2013-04-10 第183回国会 衆議院 予算委員会 第22号
○山内委員 道徳意識、規範意識が下がっているという大方の見方ということをおっしゃいますけれども、それは具体的に何か裏づけるデータというのはあるんでしょうか、それとも印象でおっしゃっているんでしょうか。
○山内委員 道徳意識、規範意識が下がっているという大方の見方ということをおっしゃいますけれども、それは具体的に何か裏づけるデータというのはあるんでしょうか、それとも印象でおっしゃっているんでしょうか。
道徳意識を植え付けるための教育をどうやっていくのかということは、共に私どもも協力して考えてまいりたいと思います。 しかし、その一方で、大事なことは、やはり国が信頼を取り戻すこと、政府がその倫理性において信頼を取り戻すこと。
○国務大臣(秦野章君) もとより普遍的な道徳意識を否定どころか、これは大事にしなくちゃいかぬと思いますよ。 私がマキアベリを持ち出したというのは、普通の一般的な、いわゆる普通の道徳観ですね、子供に教えるような、正直とか清潔とかといったような、いま先生もおっしゃったように。そういう道徳観でたとえばINF交渉なんてものができますか。とてもじゃないけどできない。
というのは、幾ら施設をつくりましても、暴走族のようにそれを無視してやる、信号を無視してあるいは規制を無視して突っ走る、そういうふうな連中ではもう施設あるいは規制もむだでございますから、やはり交通道徳意識の涵養、法意識の重視ということが大切であるということで、特にそういうふうな点の強力なる交通道徳の完全なる徹底ということを図りたい、こういうふうに思っております。
この事態は、健全な道徳意識をささえにしてきた日本の社会が、崩壊の危機にさらされていることを示すものであり、与党、野党の立場の相違をこえて憂慮すべきものと思います。 しかも、今日われわれが当面している経済的環境は、量から質への転換であり、規模の拡大によって、エゴの満足を求めてきた従来の道は、すでに閉ざされたと考えるべきであります。
そういう意味におきまして、職場における経営者なり管理者というものが、仕事の技術的な面だけでなくて、やはり道徳意識の向上というような意味で、人生観だとか道徳観、そういうようなものも話し合うというふうにやっていかなければいけないのではないか。ただ、それが金融機関の場合、支店に分かれておりまして、行員と毎日会っておるわけでもありません。結局支店長を通じてというようなことになります。
ですから、胎児であっても一個の貴重な生命というものが、やみからやみに葬られることの罪というもの、あるいは人間の道徳意識、モラルの立場からいかに重大なことであるかということで、これは厚生省でありますけれども、いま少しく現在の法律のやむを得ない場合ということを厳密に条件を明示していかないと、日本の将来はたいへんなことになるのではないか。
第五には、一般に児童生徒は、学習意欲に欠ける、怠惰で生活に活気がない、根気に乏しい、注意力散漫で落ちつきがない、情緒不安定で道徳意識が低い、陰うつである等教育の危機的状況を示しているのであります。 第六に、これらのことは、当然に学力の著しい低下をきたしております。
第五には、一般に児童生徒は、学習意欲に欠ける、怠惰で生活に活気がない、根気に乏しい、注意力散漫で落ちつきがない、情緒不安定で道徳意識が低い、陰うつである等、教育の危機的状況を示しているのであります。 第六に、これらのことは、当然に学力の著しい低下を来たしております。
さらに、平常の場合にはきたないから暗渠にするということは、これは市民の道徳意識の問題にかかわるわけでございまして、幾ら口をすっぱくして言っても、下水を流したり雑物を捨てたりしますと、川はよごれてきます。これは暗渠の場合も同じだろうと思います。
第四には、一般に児童、生徒は、学習意欲に欠ける、怠惰で生活に活気がない、根気に乏して、注意力散漫で落ちつきがない、情緒不安定で道徳意識が低い、陰うつである等教育の危機的状況を示しているのであります。このことは、当然に学力の著しい低下を来たしております。
このほか、一般に児童生徒は、学習意欲に欠ける、怠惰で生活に活気がない、根気に乏しい、注意力散漫で落ち着きがない、情緒不安定で道徳意識が低い、陰うつである、学力の低下が著しい等々、教育の危機状況を示しているのであります。
歩行者の中には、確かに交通規則を守らない交通道徳意識の低い人も少なくないことは事実でございましょう。それが交通事故を起こす原因になっていることもいなめない事実でございます。しかしながら、そうかといって規則を守らない歩行者をひき殺してもいいということにはならないのであります。人命は最高で絶対でございます。
したがいまして、学校がすべての教育活動を一手に引き受けなければならない状態の中で、教職員の不断の努力にもかかわらず、欠食児童、長欠、不就学の児童、生徒や非行少年が年々著しく増加しておるばかりでなく、一般に児童、生徒は学習意欲に欠ける、生活に活気がない、根気に乏しい、注意力散漫で落ちつきがない、道徳意識が低い、学力の低下が著しい等々、教育の危機的状況を示しているのであります。
また、気持ちが落ちつかないとか、授業中でもかってなことをするとか、あるいは注意散漫とか、学習用品に対する観念と申しますか、そういうものを粗末にするとか、あるいはなくするとか、そういったことが別に悪いことでないと申しますか、良識と申しますか、道徳意識と申しますか、人間としての最低の必要なものの判断力、こういったものが次第に低下していって、教えるということ、あるいは学習をさせるということよりも、人間としてどう
このことはまた健全な国民道徳意識を涵養する上にも意義があると信じます。本案に賛成するゆえんであります。 要するに、本案は憲法解釈の上から見ても差しつかえはないし、また、国家政策的立場から見ても妥当性があるというのが私の意見であります。これをもって私の所見開陳を終わります。
第一は、国民の道徳意識の向上についてであります。私は、人つくりの問題はいろいろの角度から論議もありましょうが、要諦は、社会人としてのりっぱなマナーを持った人間を作り上げるということに尽きると思うのであります。日本の義務教育制度は世界にまれに見る水準の高いもので、日本人の頭脳は世界に誇るに足るということは定説のようであります。
さらに、青少年の道徳問題でありますが、三十八年度から倫理の課程が設けられることになっておりますが、これは以前の修身のような復活は好みませんが、今の青少年の道徳意識の低下を思ったときに、これはやはり倫理、社会の充実、すなわち道徳的な教育は非常によいのではないかと思うのであります。
ただ私の気持といたしましては、一つの設備が、宗教面と宗教以外の国民感情あるいはその他の道徳意識との面を組み合わされている、一つのものが裏表の両性質を持っておるということは、口では言えますけれども、実際はこれがくっついて発達してきておったのでありますから、ここのところを割り切るには、相当骨が折れるわけであります。
我々は刑法によりまして復讐的刑罰を受ける前に、社会の非難と自己の宗教意識乃至道徳意識によりまして、十分制裁され得る現代社会の中に呼吸しているのであります。宗教的に又道徳的に制裁し得ることに対しまして、更に復讐的刑罰を與えよと叫ぶのは、余りにも現実の暗黒面のみ提はれ過ぎて、人格の尊嚴を軽視した御意見ではないでしようか。