2012-06-07 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第7号
これについてはまた、先ほどお話があったように、美観あるいは性道徳、国家的な秩序の利益ということについては、人に迷惑さえかけなければこれらを脅かしてよいのかということについて、なかなか説明がつきづらいという側面があります。 青少年の健全育成に係る規制、あるいは薬物を使用しても、例えば暴れ出してほかに迷惑をかけなければ、自分自身が健康を害してもいい、そういうようなことにもつながっていきかねません。
これについてはまた、先ほどお話があったように、美観あるいは性道徳、国家的な秩序の利益ということについては、人に迷惑さえかけなければこれらを脅かしてよいのかということについて、なかなか説明がつきづらいという側面があります。 青少年の健全育成に係る規制、あるいは薬物を使用しても、例えば暴れ出してほかに迷惑をかけなければ、自分自身が健康を害してもいい、そういうようなことにもつながっていきかねません。
私はあれを読んでなるほどと思ったことは、戦後、自由と民主主義の旗印で、世界の道徳国家として、理念型の指導国家としてのアメリカと、同時に日本は、ひとりで片隅でひっそりと人に迷惑をかけずにつつましやかに自分の国の幸せだけを考えて生きていこうという、片隅の幸福型国家とでも言うべき生き方を戦後選んだのではなかったのだろうか。人に迷惑をかけないようにしていこう、自分のことを中心にやっていこう。
(拍手) わが国が、道徳国家として、平和国家として、福祉ないし文化国家としていよいよ発展し、国民並びにわれわれの子孫に生きがいを感ぜしめ、安心感を持たせること、ひいては全世界のよき隣人となるためには、その前提として議会制民主主義の確立、発展にあることは申すまでもありません。
道徳国家の建設という意味でもございます。教育者の資質の向上、教育制度、教育内容の整備充実もさることながら、最も大切なことは、政治経済を含む社会全般に倫理感が浸透することではないかと考えるのでございます。自由社会の特色は、その社会に可能な限り最大限の自由を確保することでありましょう。ところが、国民の一人一人が無制限な自由を求め、また、それを許せば、力の強い者本位の社会になります。
それから演説の内容なんかも、人と全然別な内容の話をしておりまして、たとえば日本から事故死をなくそうじゃないかとか、世界一の道徳国家になろうじゃないかとかと、そういうことを中心にして話をして、それじゃ票にならないぞとばかり注意されるのでありまして、そういうことは私は全然考えておりませんから、どこかに措っておるのじゃないかなどと考えないでくださいまして、ほんとうになかったのであります。
道徳国家として誉れ高いわが国の前途に深い暗影を投げかけると思うのです。非常に私懸念される。万博を前に各国の元首、賓客が、そして世界の多くの国々の人々が、日本といううるわしの国を、そこに行なわれる万博を求めて大量に日本にやってくるとき、わが日本がこれらの国々に期待に反する国であったときはどんなに失望を与えるか。
平和国家というものの基本は何だろうかと言いますると、私は最高の道徳国家になることだと思う。
たとえば親に孝行するとか、隣人に対して親切をするとか、国家に対して忠誠を尽すとかいうことは、民主主義であればできないかというと、決してそうでなくて、民主主義に基いた隣人に対する道徳、国家に対する道徳なるものができてくる。
でこの徳育の基準というものを定めなければならない時期だと思つておりましたのに、その道の権威者である天野文相によつて、ともかくもこうしたまとまつたものを御発表頂いたことは誠に時宜にふさわしいと思うのですが、いずれ各方面の批判を受けつつ普遍、妥当、必然性のあるものに完成されて行くだろうと思うのですけれども、今朝掲げられたのは項目だけでございまして個人の道徳とか或いは家庭に対する道徳、或いは社会に対する道徳、国家