1964-04-01 第46回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会原子力政策に関する小委員会 第4号
さらに現在原研にございますスイミング・プールあるいは現在船舶技術研究所と運研が名前を変えておりますけれども、そこにございます振動台、そういったようないろいろな施設をこの新しい機関が持ちまして、何と申しますか、原子力船の研究開発の恒久的の中核体とする、こういう考え方もあると思います。
さらに現在原研にございますスイミング・プールあるいは現在船舶技術研究所と運研が名前を変えておりますけれども、そこにございます振動台、そういったようないろいろな施設をこの新しい機関が持ちまして、何と申しますか、原子力船の研究開発の恒久的の中核体とする、こういう考え方もあると思います。
こういう情勢になってまいりましたので、この三つの間にいろいろ協定と申しますか、連絡をしなければならぬ、こういうことを感じまして、ここにおられます当時の原研の副理事長であられた駒形さんと運研の所長の服部さんと私と三人でお会いいたしまして、いろいろ御相談申し上げた記憶がございます。
○説明員(田原保二君) 従来海岸堤防は、海岸のいろいろな工事に対しましては運研でやつておりますので、これについては当然いろいろな資料もお互い持ち寄りまして、今回の設計に関する限り運研とよく連絡をとつてやつております。
自動車製造事業につきましては通産省が所管いたしておりますが、運研におきまして自動車関係の方も実は研究しておられます。通産省の方の自動車関係の国立研究所が整備してなかつたということから、たまたま製造工業は通産省で所管いたしておりますが、研究は運輸省でやつておる、こういう一つの事例がある。ところが一面航空機製造事業は通産省が所管いたしておるのであります。