1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号
「第五に伊藤律の話の件だが……、とにかくタシケントの第五分所が民主運動の最も高揚した当時、伊藤氏が、ソ連から共産主義者になつて帰つたからといつて、日本に帰つてただちに監獄に入れられるというような心配はいらない、今や日共は公然と合法活動に入つているということ、あるいは伊藤氏がハバロフスクの日本新聞社を訪れたというような話を当時民主グループが都合よく利用して、運動高揚にこれ努めた、そういう話がありました
「第五に伊藤律の話の件だが……、とにかくタシケントの第五分所が民主運動の最も高揚した当時、伊藤氏が、ソ連から共産主義者になつて帰つたからといつて、日本に帰つてただちに監獄に入れられるというような心配はいらない、今や日共は公然と合法活動に入つているということ、あるいは伊藤氏がハバロフスクの日本新聞社を訪れたというような話を当時民主グループが都合よく利用して、運動高揚にこれ努めた、そういう話がありました
今や日共は公然と合法闘争活動に入つているということ、或いは伊藤氏がハバロフスクの日本新聞社に来たというようなことを当時の民主グループが都合よく利用して運動高揚にこれ努めた例を見ても、とかく日共がソ連に対して何かしら連絡運動しているに相違ない。これは我々ばかりでなく帰国した復員者は当然誰しもがそう考えたことである。良心的に篤と在ソ当時のことを思出して貰えば必ず頷けることなのだ。