2006-05-10 第164回国会 衆議院 厚生労働委員会 第20号
しかし、経済的評価ばかりでは、医学の進歩そのものはなかなかいかない。私、大学におりますので、やはり若い医師も新しい学問に対する興味というのが非常にあるわけです。そういうことの道をどんどんつけてあげるというようなことも大変大事なことかなと思います。 特に今、大学で、大学病院そのものが独立行政法人化しまして、福島もそうですけれども、すべて経済原理の中で動いていきます。
しかし、経済的評価ばかりでは、医学の進歩そのものはなかなかいかない。私、大学におりますので、やはり若い医師も新しい学問に対する興味というのが非常にあるわけです。そういうことの道をどんどんつけてあげるというようなことも大変大事なことかなと思います。 特に今、大学で、大学病院そのものが独立行政法人化しまして、福島もそうですけれども、すべて経済原理の中で動いていきます。
子供たちが意欲を持って学ぶ、あるいは人類の進歩そのものにとりましても、よい競争というもの、大変重要だと考えております。 子供たちがそれぞれ、自分たちが認められたいという願望の中で、よい競争を活用することの意義を感じるときに、こうした物差しをたくさんつくる等、よい競争が多様な個性や能力を伸ばす結果につながるようなシステムをつくっていくことの重要性を強く感じているところでございます。
兵器の進歩そのものによって、軍隊が国民の生命財産を守るという考えはますます幻想になりつつあります。 憲法前文の中には、「平和のうちに生存する権利」という言葉がありますが、同じ言葉を太平洋諸島の住民が使って、太平洋での核実験ができなくなるところまで成功しております。こうした一切の背景には、世界での民主化という一大潮流がありました。
それで、このたびの追加議定書あるいは改正議定書の趣旨には私は心から賛成するのでありますが、もしこういうことについて逆なことをやった国があったと、これに対する制裁はどうするかということになりますと、これは非常に進んだ兵器を使う国に対する制裁でありますから、制裁するという以上はまた兵器を使う、あるいはより進んだ兵器を使う、そういうことを考えますと、非常に兵器自身の、戦争手段の非常な進歩そのものが問題を非常
我が国だけの科学と技術の進歩そのものではなく、これから大きく変貌する国際社会、世界人類のために我が国の科学と技術がいかに貢献していくか、そうした観点に立って取り組んでまいりたいと思っております。 以上でございます。
こういうことを見ますと、まだまだ今回の地震で現在の耐震技術を再検討しなければならない部分というのもございますが、技術の進歩そのものは着実に行われてきたし、その方向は私は基本的に正しかったと思っております。
科学技術の進歩そのものが目的でないことは、経済発展が人類の目的でないことと同様だと思います。しかし、この人類の目的になくてはならない手段であることも事実でございまして、ただ、経済発展でもあるいは科学技術でも、往々にして目的を離れて、あるいは目的を忘れて手段が独走しがちなことはお感じのとおりかと思います。人類はこの点について何度か過ちを繰り返してまいりました。
そこで、まず基本的な問題の考え方といたしまして、科学技術の進歩、これを推進していくということは結構なことでございますが、もしその科学技術の進歩そのものが有害なものであるというような場合、その科学技術の進歩に対するチェックということは非常に重大な観点になってこようかと思います。
さらに第三の問題は技術の進歩がございますが、しかしその技術の進歩そのものもいろいろ問題を含んでおるわけであります。いろいろ新しいのができましても公害が一方で出てくるという問題が発生いたしましたならば、これは大変なことになる。ところがそういうものに対して資本は十分な手当てをしないでやってきた。
そのうまみ、あるいはそういう刺激というようなものが非常に不足をいたしまして、その結果がやはり医療の進歩そのものをも阻害しておるのではないか、こういうような見方もございますので、はたしてそういう場合に日本よりも英国のほうがすぐれていると言えるのかどうか。
現実に、この科学技術の発展は、何といっても人間の英知の進歩そのものなのだが、こういうものは、いわゆる東方とか西方とか——ソ連の衛星船は東方号などといいましたけれども、やはり東西両陣営ということにこだわりなく、政治体制やイデオロギーを越えて、当然資料の公開もしてもらわなければならないし、科学者間の交流もやるべきではないか、その点、私は、日本の科学技術外交というものにはどうも若干の偏向があるのではないかと
しかしながら、それについて日本の科学進歩そのものを妨げたり、また拘束されたりするような結果にならぬことに注意しなければならぬのはむろんのことであります。従いまして、さような心配のない場合において、ゼネヴァ会議の意義を特に推測して、そしてその一日も日本の科学の進歩を早くしなければならぬ状態において、それを漫然と待つことも私はどうかと思う。