1971-12-09 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第3号
他方、また陸軍長官のスチムソンは、一九四五年に、これらの島は信託統治制度によるよりも四つの主要連合国会議で地位を定める防衛拠点とするのが一そう適当であると示唆をしておりました。これはスチムソンとマクジョージ・バンディの回顧録にあるのです。なお、その背景には、米国独自の次のような沖繩観があったようであります。
他方、また陸軍長官のスチムソンは、一九四五年に、これらの島は信託統治制度によるよりも四つの主要連合国会議で地位を定める防衛拠点とするのが一そう適当であると示唆をしておりました。これはスチムソンとマクジョージ・バンディの回顧録にあるのです。なお、その背景には、米国独自の次のような沖繩観があったようであります。
「また、桑港条約によって、日本は、千島列島、すなわち国後、択捉を放棄している、それで、将来この島々の帰属を決定する場合、法理論士、連合国会議によってその帰属は決定さるべきものか、または、これに最も関係ある日ソ両国間で決定して、必要があれば連合国の了解を得るということでよいのか、そのいずれであるかとの質疑でありました。
(拍手) また、桑港条約によって、日本は、千島列島、すなわち国後、択捉を放棄している、それで、将来この島々の帰属を決定する場合、法理論上、連合国会議によってその帰属は決定さるべきものか、または、これに最も関係ある日ソ両国間で決定して、必要があれば連合国の了解を得るということでよいのか、そのいずれであるかとの質疑でありました。
更に翌昭和二十年二月三日から十一日には米英ソ三国首脳がクリミヤのヤルタに会合して、ダンパートン・オークスで合意に達することができなかつた安全保障理事会の表決手続の問題及び非自治地域に関する一般方針を決定し、合せて同年四月二十五日に国際連合憲章を作成するためサン・フランシスコで連合国会議を開くことを決定いたしました。
さらに翌昭和二十年二月三日から十一日には、米英ソ三国首脳がクリミヤのヤルタに会合して、ダンバートン・オークスで合意に達することのできなかつた安全保障理事会の表決手続の問題及び非自治地域に関する一般方針を決定し、あわせて同年四月二十五日に国際連合憲章を作成するため、サンフランシスコで連合国会議を開くことを決定いたしました。
たとえばもう一度サンフランシスコ会議のような連合国会議を開いてきめるのかどうか、それをお聞きしたいと思う。私はそれを問題にしたのであります。もし大体のお見通しでもついておれば、日本人としては関心を持つている問題と思いますので、政府の御見解を承りたいと思います。これで私の関連質問を終ります。
このことは一九四二年ワシントンにおける連合国会議におきましても、或いは彼のカイロ宣言におきましても、連合各国は單独講和をやらないという取り決めが行われておる筈でありまするから、恐らくさようなことはないと思いまするが、若し万一にも單独講和の交渉があつた場合に、政府はこれをそのまま受入れる所存であるかどうか。