1973-07-03 第71回国会 衆議院 地方行政委員会 第39号
○瓜生政府委員 皇居、赤坂御用地の関係のお尋ねでありますが、この皇居の関係では、昭和三十四年に皇居造営審議会が開かれまして、いろいろ審議された際に、このうちの一部分の東側地区の庭園部分を一般に公開したらどうかという御答申がございました。
○瓜生政府委員 皇居、赤坂御用地の関係のお尋ねでありますが、この皇居の関係では、昭和三十四年に皇居造営審議会が開かれまして、いろいろ審議された際に、このうちの一部分の東側地区の庭園部分を一般に公開したらどうかという御答申がございました。
東御苑といいますか、束公国というのですか、あれはいわゆる宮内庁所管の皇居の一部たる付属苑地ということで整備をされたのでございますが、これにつきましては例の皇居造営審議会、昭和三十四、五年ごろでございましたか、あそこで皇居の造営にからみましていろいろ皇居並びに皇居の周辺の環境整備ということも議論されました。
○宇佐美説明員 いまの皇居ができますときに、皇居造営審議会というものが置かれまして、国会からも多数の方に御参加いただいて、あるいは言論界、各方面からお集まりいただいて審議されたわけでございます。そのときに、皇居をつくるのにいまの皇居でいいかどうかというのはもちろん一つの問題となったわけでございます。
○政府委員(瓜生順良君) お尋ねは多分皇居の下を地下道のようなものを通したらどうかということじゃないかと思いますが、これは先ほどちょっと申しました皇居造営審議会の際も、そういう問題を審議されたことを記憶いたしますが、この皇居の下へ地下道をつくって、たとえば代官町から祝田橋通りのほうへ一本ぐらい地下道をつくりまして、その通るだけで、その代官町なり祝田橋のところが前と同じ状況であっては何も効果がない、相当金
○政府委員(瓜生順良君) 皇居移転のことに関しては、皇居造営審議会が開かれて、いまの宮殿をつくる際から皆さんが集まっていろいろ審議をされた事項でありまするが、そのときからいろいろ審議されてもやはり皇居だけが移転してもいかないので、やはりいろんな政府機関とか、それから外国の大公使館だとか、いわゆる政治のやはり中心がほかに移る、向こうへ一緒に移られるんならいいんですけれども、やはり国事行為をなさって公的行為
そういうこともございますので、政界、官界、言論界、建築界とか都市計画とか、各方面の方々にお集まりをいただいた皇居造営審議会というものをつくりまして御審議を願ったわけであります。結局しかし、皇居はいまのところというのがほとんど全会一致の議論でございました。
それで、両方とも空気調節施設——東宮御所もしてございますが、だからお部屋の中は空気の問題はまずなかろうかと思いますが、皇居全体を見ますと、ちょうど約十年あるいは十一、二年前に、皇居造営審議会ができます前に調査いたしましたころは、あの辺は東京都下でも石神井ぐらいにいいほうであった。
はきれいだと思いますが、ただ皇居だけがあそこにかわってもいけないのでありまして、やはりいろいろ行事を行なわれる、外国の大公使館とか政府機関というようなほうとの関係が非常に多いですから、皇居だけがずっと遠くに行かれますと、そういう方々が非常に不便をされますから、結局首都の全体の問題としてかわれば別ですが、皇居だけが移るということは非常に不便があって感心しないということに思われるので、かつて昭和三十四年に皇居造営審議会
○瓜生政府委員 皇居周辺の交通のふくそうに関連することで、皇居の下を地下道でも通したらどうかという問題は、皇居造営審議会が十年前にあったときもその問題がやはり一応検討されました。そのことにつきましては昨年池田先生にお答えしたのでありますが、宮内庁としては、皇居の下は一切そういうものを通しては困るという、そういうかたくなな考えではないのであります。その場所によっては困ります。
○政府委員(瓜生順良君) この皇居造営のための寄付を特別に制限をするというようなことはないのでありまするが、ただ皇居造営審議会のほうで答申された趣旨においても、この寄付が強制的になるような、そういうきらいを生じてはいけないということで、したがって特に、ある村なら村の人がずっと全部帳面を回してその寄付を集めてこられるというようなことは避けてもらっておるわけであります。
○瓜生政府委員 その問題につきましては、昭和三十四年、もう九年前になりますが、皇居造営審議会というのが設けられて、国会の方とか報道関係の方、それから都市問題、建築問題の専門家二十五名の方が審議会でいろいろ審議されました際に、先生おっしゃったようなことも検討されておりました。
○瓜生政府委員 現在の皇居に関しまして、新しい宮殿をつくる、あるいは皇居の全体を整備するという問題を審議するために昭和三十四年に皇居造営審議会というのが設けられまして、国会の各政党それから言論機関それからいろいろ専門家の方二十五名で審議をされました。その審議の結果、皇居はやはりいままでの位置がよろしいというふうに結論を出されましたので、われわれはその結論を尊重して考えております。
○瓜生政府委員 その問題も、十年前ではございまするが、皇居造営審議会で皆さんがいろいろ考えられまして、検討された事実がございます。しかし結論としては、いまのままでよろしいという結論になり、われわれもそれを尊重して考えております。
これは昭和三十四年に皇居造営審議会が設立されたわけですが、総理大臣から皇居造営の大綱についての諮問があって、同年の十月八日に答申がなされた。この答申に基づいて三十五年一月二十九日に次のような閣議決定があったわけですね。宮殿は旧西の丸地区の旧宮殿あとに造営することとし、昭和三十五年度からその実施準備を始めること。それから二つとして、お住まいは昭和三十五年度から吹上御苑内に造営を実施すること。
○政府委員(瓜生順良君) ちょうど三十六年ごろでありますと、皇居造営審議会の答申が三十四年の暮れごろですから、それを受けて新しい皇居の造営の仕事にかかっていくというときで、いろいろの審議の際に、皇居造営審議会が開かれたころいまおっしゃるように、あの周辺の交通が非常に混雑しているから、それを緩和するために、皇居の下を地下道でも通したらどうかというのが、外部で御意見がございました。
○竹内政府委員 北の丸公園の建設の問題でございますが、ただいま御指摘のとおり、皇居造営審議会の答申がございまして、その後、三十八年五月、閣議決定によりまして、北の丸地区は皇居外苑の一部として、森林公園として整備するということになっておりました。
○山田(長)委員 いろいろ伺うのでありますが、まず最初に伺っておきたいことは、昭和三十四年十月に皇居造営審議会によりまして、本丸、二の丸、三の丸の整備、約三十四・五ヘクタール、皇居に付属する庭園の整備について、北の丸はなるべくすみやかに公園化するということで、これが実施をはかろうとしておったのでありますが、これが実現に至るまでに、その目的がかなえられないでおられるのじゃないか。
それで、これまでおくれましたこと、それからこの東側地区にありまする建物で、いわゆる皇居付属庭園のそこにあるのは適当でない建物については、外のほうへ出てもらうということが、皇居造営審議会の御答申でもありましたのですが、その中で、運輸省の関係の地震調査所の関係はすでに建物は出ております。ただしその機械だけは、目立たないものですから中に入っております。
これは昭和三十四年設置の、皇居造営審議会の答申によりまして皇居の造営について、三十五年一月二十九日に閣議決定がなされ、三十九年度より三カ年計画で、経費約八十八億円で工事を開始いたしましたが、その後の設計変更等の理由で、四十一年度に、工期を四カ年、工事経費約百十八億円に改めるようになったのでありますが、この経過について、簡単に御説明願いたいと存じます。
○瓜生政府委員 その問題は、ちょうど昭和三十四年に皇居造営審議会が開かれ、そこでいろいろ審議された際に、そういう問題も皆さまが討議をされ、検討されました。この空気の汚染の関係はある程度の影響はありますが、それはやはり堀の周辺の近いところで、ちょっと中へ入りますとその割りではないのでありまして、吹上御苑あたりは、その当時の調査ですと、空気の鮮度は、ちょうど石神井あたりと似ておるということでした。
それから空気の汚染度の調査の関係でありますが、これは皇居造営審議会が開かれたのはもう数年前ですけれども、そのころの調査でありまして、ごく最近の分はまだやっておりません。あそこはやはり木が多い関係で、木が多いと、そこを通ってくるほこりがそこですくわれる。それから、木は酸素を吐くというような関係で、木の多いところでありますので、空気は比較的きれいなものと思っております。
○瓜生政府委員 この北の丸につきましては、皇居造営審議会が昭和三十四年に開かれまして、その答申の中にも、付記として、北の丸についても早くこれを整備して公園にするようにということを希望するというのが入っております。
○伊藤顕道君 この皇居造営については、三十四年に皇居造営審議会が設けられて、新宮殿の建設について答申されたと思うのです。それに基づいて東大の教授等三名の顧問の方と芸大の吉村教授が設計なさって、この造営計画に対する基本方針が打ち立てられた。それが現在進められていると思うのです。この基本方針というのは一体どういうものか、ごく概略でけっこうですが、こういうものを説明していただきたい。
○瓜生政府委員 皇居の空気の汚染の関係で、陛下がお住みになるのは健康上どうだろうかというような問題、こうした問題につきましては、ちょうど昭和三十四年に皇居造営審議会というのが国会並びに各界の代表の方二十五名でつくられまして、いろいろ審議をされました。その際にもこの問題を検討されました。
なお皇居造営審議会の審議過程におきましても話がありまして、普通の日比谷公園とか上野公園のようにしてしまうとどうも荒れてしまう。やはり皇居付属の庭園として維持されながら、年間の大部分は、昼間はそういうふうにして公開されるということのほうがきれいに維持する上においてよろしいというようなことを言われております。
○瓜生政府委員 いま申しましょうに、三十四年に皇居造営審議会がいろいろ審議をされ、その答申が出ましたのが三十四年の十月、それを受けて閣議の決定は三十五年の一月にありました。
○伊藤顕道君 皇居造営審議会の答申がここにありますが、これを見ますると、昭和三十四年六月五日付の総理大臣の諮問に対して、審議を重ねた結果を同年十日八日に答申しておるわけです。その一節に「周辺の施設」、こういう項があるわけです。その項の中に、「行事に支障のない場合、一定の日時を限って、一般参観人が正門から入って宮殿参観のできる工夫をも考慮することが望ましい。」
○伊藤顕道君 皇居造営審議会の答申を見ますると、その一節に、国民からの自発的な寄付は受けることとして、その方法については強制にわたったり、あるいは売名宣伝に利用されないように、こういうことが一応注意されておるわけであります。
また宮内庁の公用財産であるところを、皇室用財産としていただくというようなことが出ておりますが、このことはこの皇居の東側地区約十万坪余りございまするが、その部分につきまして、これは皇居造営審議会の答申に基づきまして、皇居の付属庭園として整備をして、これを皇室で御利用にならない場合は、原則として一般に公開する。
ただ特にその際に、宮殿のために寄付がしたいという誠意を持っておられる方、これをお断わりするのも、人情にも反しますし、誠意を生かしたほうがいいということで、皇居造営審議会の答申の際も、弊害のないものは受けてよろしいという決定をされ、閣議もそういうふうに決定になったわけであります。
のできるというような関係になりますと、現在のたてまえで宮内庁として、それをやめてほしいとかなんとかというようなことを言うような権限もないので、そこまではちょっといたしておりませんけれども、しかし皇居に隣接する部分について、たとえて言いますと、半蔵門の前のあのお堀の反対側のところ、そこのがけをくずして道路をつくろうというような計画がいっときあったことがございますけれども、そういうことにつきましては、皇居造営審議会
○政府委員(瓜生順良君) いまお尋ねの件につきましては、昭和三十四年に皇居造営審議会というのが総理大臣の諮問機関として設けられまして、そこでいろいろ審議されました。その委員は国会の各党派からもお出になり、なおその他報道機関の関係、それから学識経験の専門家等、二十五人の委員で半年にわたっていろいろ審議をされました。
○瓜生政府委員 この東側地区は、やはり皇居付属の庭園としてこれを整備し、皇室で使われない場合には原則として公開するというようなふうに皇居造営審議会の答申がございます。閣議もそれを受けてきめておるわけでございまして、皇居付属の庭園として整備する、皇室でお使いにならない場合は原則として公開するということでございます。ですから、厚生省に移管をするのではございませんので、やはり宮内庁で管理をいたします。
この寄付を持ってこられた中で、皇居造営審議会の答申の精神に反するような、何か特に強制的に集めたのではないかというような懸念のあったものが一件ございまして、これはやはり違うからというのでお返しをする、その点は相当潔癖に事務的には進めております。