1959-12-08 第33回国会 衆議院 内閣委員会 第9号
○丸山政府委員 お話の通り、太田市付近の人口稠密状況あるいは今後工業用地として発展する実情等におきまして、あの滑走路中心の約三十万坪くらいで十分な訓練に間に合う場所であるかどうか、これらも検討しまして、実は先般来あの辺はすべて返還させるべきが至当である、こういうことで返還の折衝をいたしておるわけであります。もう少し適当な場所を具体的に目下調査検討を日米双方で加えております。
○丸山政府委員 お話の通り、太田市付近の人口稠密状況あるいは今後工業用地として発展する実情等におきまして、あの滑走路中心の約三十万坪くらいで十分な訓練に間に合う場所であるかどうか、これらも検討しまして、実は先般来あの辺はすべて返還させるべきが至当である、こういうことで返還の折衝をいたしておるわけであります。もう少し適当な場所を具体的に目下調査検討を日米双方で加えております。
お問に対しての直接の答えになりませなんだと思いますけれども、あなたのおっしゃる通り、太田君に対する折衝もさしておるのです。閣議においても唱えます。唱えまするけれども、私が非常に叫んだからといって解決しがたい根本の、英語でいえばハード・アンド・コールド、固い、冷たい事実があることをどうぞ御承知願いたいと思います。
履歴書で御承知の通り太田君は昭和三年大学を卒業後外務省に奉職し、終戦後は終戦連絡事務局の第三部長として専ら渉外事務に従事し、昭和二十二年横須賀市長に当選し地方行政に盡力して来た者であります。