1954-04-15 第19回国会 参議院 法務委員会 第19号
そうしていわゆる警察を通つた事件だけが優先的に……、絶えず事件がこう輻輳するから結局そういうふうになる虞れがあるのですが、今までは幾らかでも直告係があれば、仕事を片付けて行くわけですが、こういうふうになると、ますます告訴、告発というものは余り問題にせんことにしよう、そういうふうな方針じやないのですか。この審査会の事務官を減らしたり、どうもいろいろなことを考えるとそういうふうに思うのですがね。
そうしていわゆる警察を通つた事件だけが優先的に……、絶えず事件がこう輻輳するから結局そういうふうになる虞れがあるのですが、今までは幾らかでも直告係があれば、仕事を片付けて行くわけですが、こういうふうになると、ますます告訴、告発というものは余り問題にせんことにしよう、そういうふうな方針じやないのですか。この審査会の事務官を減らしたり、どうもいろいろなことを考えるとそういうふうに思うのですがね。
それから御承知のように南北戦争によつて、戦争がいろいろ犯罪行為を誘発して訴訟事件が輻湊して最高裁判所も困つたとき、ちようど日本の現今の状態と多少似通つた、事件が輻湊していろいろ改革案が唱えられたときに、やはり判事の数をふやしてやれということがありましたが、今申しましたように、判事の数をふやして憲法問題を各部によつてやるということになつては一国の司法制度、一国の憲法解釈というものの統一が保たれぬというので
合同会議を通つた事件です。
今警察を通つた事件は、ことごとくこれはもう拷問の結果だといつていいのです。ことごとくと言うと、少し誇張ですが、百中の八十くらいは、何か西洋の言葉で言えば強制です。誘導をする、早く言うてしまえば、そうすれば軽くなる、こういうことでやつているのですが、それを排除することはできないでしよう。
過去においてもこれに似通つた事件がはたしてなかつたかどうか、ありませんとは断言できないでしよう。こういうところに重要な人権が尊重されなければならぬのではないかと思う。一例を申し上げますと、この條文の中にあつたかと思いますが、戰争中に日本の裁判所がやつたことに対して、アメリカ側からの修正的の要求があつて、修正しなくてはならぬということを、私ちよつと見たように思うのです。