一院で取り上げた問題を一院では取り上げなかったということもございましょうし、あるいは結論的には同じ方向なんだが、その緩急の追跡の度合いが違うという場合もございましょうし、あるいはその見方の観点が違うという場合もございましょう。
しかし、いずれもこれが外国の創意に基づくもので、日本はいつもそのあとを追跡して、これを修正するとか、そういった面から研究を続けておったわけです。しかるに、国際的な動向として、やはりNTSC方式というものが、これは全人類が聰知をしぼっても、なかなかこれの右に出るものがないということを立証するかのごとく、各国がその方式に研究の方向をしぼって参りました。
それでございますから、川自身にとりましても、経済が拡大して、生産が上がってきますと、それに対するいろいろな手段を講じますので、常に新しい条件が出て参りますから、そういうものをよく見ながら、追跡しながら、動的にと申しますか、常にその伸展していると申しますか、伸びているという中で、この問題をどういうふうに考えていくかというのが、今後の一の課題じゃないかと思うのでございまして、せっかく、そういうものに対しまして
この間におきまして海上保安庁の巡視船は、昭和三十三年の三月十四日、第二十寿丸、第二十二寿丸が韓国警備艇に追跡された場合、拿捕寸前のところで巡視船の「たつた」が、韓国警備艇と漁船との間に突入いたしまして、無事に遭難を免れたというような実例もございました。
これにも、さらに内容を詳しく分けて、この自沈であるという点については拿捕した日本の漁船の乗組員に対する取り調べの結果、これは自供したものである、それによると、韓国側に保護されるよりはみずからの手で処分した方がましだ、船を沈めて海上に避難すれば追跡中の日本の巡視船から救助されるかもしれないという希望をも持ってこれを自沈したものであるということをこの拿捕された船員が述べておるということも加えてあるのですね
そうしたら、韓国の警備艇が右舷の方に回りまして第六・八幡丸を追跡しました。追跡してから五分か十分——無灯でしたものですから時計は見られずに、多分五分ぐらいだと思いますが、追跡されましてウエスの方に逃げました。それから、わきにおった第五・八幡丸の方に警備艇が転進した。
○中村(時)委員 そうすると、その韓国船があなた方を発見をし、追跡する、こういうことになってきたわけですが、その場合に、たとえば海上保安庁の方から、今こういう状態にあるからというような無電やそういうものは受けていないですか。
従いまして用語といたしましては、国会議事堂周辺地域ということに改めて、「国会議事堂周辺地域とは別表に図示するところの国会議事堂周辺の道路及びその追跡に隣接する国会用地をいう、」こういうようにいたしましたならば、しっくり来るのじゃないかと存じますが、地域という言葉を避けて道路という言葉を特にここに擬制的に道路というものをこしらえたということは、何か特別な事情がありますれば承っておきたいと存じます。
銀座の宵に起こっている事件なんというものは、実際、店員が今のはどろぼうだということであとから追跡しても、外人なるがゆえに、だれもあの人通りの多い混雑の中で、現行犯の犯人を取り押えることができずに逃がしてしまった。こんなことがあがらなかったというようなことになりますと、来ている外国人が付和雷同して、次々こういうことを起こさないとも限らぬと思うのです。
そうすると午前四時十五分ころ韓国の警備艇の追跡を受けましたので、その旨の緊急通信を発しまするとともに、逃走を開始した、こういうことになります。なお第六八幡丸の方は別に逃走いたしまして退避いたしまして大体退避に成功いたしております。
韓国、台湾には友好的な感覚で外交をしておるということを了解してもらっておるとあなたは言われましたけれども、本日午前五時三十八分第五八幡丸という長崎県所属の船が、操業中に韓国の警備艇に追跡をせられまして、その逃走中に警備艇に激突されてその船は沈んでしまったという事件が起こった。乗組員はその警備艇に連れられて、十八名であったということでございます。
同時に、派遣警察官を通じまして、警視庁に対しましては、何時でも、中の警察官派遣に切りかえができるように心がまえてもらいたい、あるいは全学連の学生が、たまたまさくを飛び越えて入ってきた場合には、追跡して逮捕せよといったような指令は——指令と申しますか、要請は、私から出しております。
ましいということで、私どもも実は研究してみたのでございますが、どうも現在の自治法の建前等からは、そういう道は開かれておらぬようなことでございまして、やや余談になりますが、もし人が配置できないとすれば、せめて旅費くらい何とか国費から出せないものであろうかということも実は検討してみたのでございますが、これも唯一の例外的な前例は、麻薬類の取締官が厚生省にございますが、管轄を越えて容疑者が逃亡したために、それを追跡
それからもう一つは、でき上がつたものがどういうふうに沈下していくのかというようなことも、絶えず調べておかんとやはりいかんと思っておりますので、作ったもののあとを一つ追跡して参りたいというふうに考えておるわけであります。
それから第三は攻撃する態勢でございますが、ちょっと簡単に御説明しますが、パーシュート攻撃と申しまして、敵の後に追尾して攻撃するやり方、それからコリジョン攻撃と申しまして、待ち伏せするように衝突点に向かって飛んでいって、そこでやっつけるというコリジョンというのがございますが、まず第一の機銃に対しましては、リード・パーシュート、見越し追跡という攻撃方法を基準にしております。
「都内で交通事故しきり」「鉄材トラック衝突 酔っ払い運転六人がケガ」それから「都バスが追跡し急報 ひき逃げトラック捕う」といったような交通事故の記事で充満をしているような状況でございます。 そこで私は、先般横浜市内の生麦の踏み切りにおきまして起こった事故を一つ取り上げまして、これにつきまして、全体の事故防止に対する当局の御意見をお伺いいたしたいと思うのであります。
多くの社会学者なり心理学者が言うように、少年の非行というものが彼らの持っている能力、判断力、こういうふうなものからいって、非行を犯した、そういう事実関係よりも、なぜそういうふうなことを犯したかという理由ですね、いわばファクターになっている、要因になっているもの、あるいは原因づけられるもの、そういうふうなものを追跡していく必要がある、そういうものを明らかにしていく必要がある、こういうふうにいわれております
この時期の子供の非行につきましては、アメリカのマサチューセッツ州のケンブリッジという町とサンマービルという町で、キャボット博士が一九三九年から一九五五年にわたりまして調査をいたしておりますが、この十六年間の追跡研究におきまして、十五才未満の者が一八%、十三才から十七才が四八%、十八才から二十二才までの者が二四%、二十二才以上の者が一〇%、大体二十三才以後に少年非行というものはやむという実験的なデータ
スラムからスラムに入ってくる人たち、スラムから出て行った人たちの追跡、さらに現状、こういうふうなものを考えていくということ。
少年院が非常に悪くても、保護観察で非常にりっぱに導いていただいたのかもしれませんし、このあたりはよくわかりませんが、今観察所と連携いたしまして、入ったときの生徒と出るときの生徒にどれくらいの変化が起きるものかということを、今追跡調査をやっているわけなんでございます。何か結論が出ますれば、またお答えいたしたいと思います。
しかし、イギリス側が常にそういう改良を施して新しい型へ進みつつあるということは重大なことでありまして、われわれの委員会といたしましても、イギリス側の情報の入手に努めまして、彼らの努力の跡を追跡いたしまして、研さんして参りたいと思います。
これが、三十一年と三十二年の生産費を比較いたしまして、三十一年に八〇%バルク・ラインに位していた農家が三十二年にどこへ移ったかということの追跡でございます。
これは前に生産費で三十一年にたとえば八〇%バルク・ラインに属した農家が三十二年でどのバルク・ラインに属することになるかということを追跡いたしたものを資料として差し上げてございますが、それは家族労賃をいわゆる都市の平均賃金で評価がえをする前の原生産費であったわけです。