2014-05-16 第186回国会 衆議院 法務委員会 第17号
これは、引用させていただきますと、社会正義、「その考えを抱く人を幸せにするにすぎないかぎり尊重して邪魔をすべきではないが、他の人びとを強制する口実となるときには戦わなければならない擬似宗教的な迷信である。」と喝破しておるわけですね。さらには、社会正義というものを、無数の特殊利益の要求を満たすための呪文である、人々を誘惑する鬼火のようなものと言っているわけですね。
これは、引用させていただきますと、社会正義、「その考えを抱く人を幸せにするにすぎないかぎり尊重して邪魔をすべきではないが、他の人びとを強制する口実となるときには戦わなければならない擬似宗教的な迷信である。」と喝破しておるわけですね。さらには、社会正義というものを、無数の特殊利益の要求を満たすための呪文である、人々を誘惑する鬼火のようなものと言っているわけですね。
日本には、迷信にも近いような血液型信仰というのがあると思います。それから、マイナスイオンは、さまざまな電子製品を初めとして、健康にいいということが言われたりします。それから、私も初めて聞くものも多いんですが、ホメオパシー、波動、水の結晶、あるいはゲルマニウム製品なんというのもありますね。それからEM菌。実際に真偽のほどがどうなのか、科学的にどうなのか、必ずしも明らかではない。
恐らく、ロシアと仲よくすれば領土は返ってくるという迷信に近い妄想を持っているのではなかろうかというふうに思うわけでございますが、一九五六年の日ソ共同宣言、平和条約を結べば二島を返すといったその約束以来、もう六十年弱になるわけでございますが、これっぽっちも進展していないのではなかろうかと思いますし、一方で状況はむしろ難しい状況になってきていると思います。
人間の理性への過信というのは絶対的な迷信であるというふうに言っております。同様に、例えば国民世論というものへの絶対的な過信というのは迷信であろうかと思いますし、それこそ法の支配を揺るがす一つの物の考え方であろうかと思います。 こういったことを思えば、私は、昨今、この法の支配を揺るがすような事態に立法府が陥っているような気がしてなりません。
先ほど、理性への過信は迷信だというふうに申し上げました。やはりこれは、これまでの判例の積み重ね、研究であったり、事実と証拠の積み重ね、そういったことによろうと私は思います。 司法が破壊されたとき、毛沢東の人民裁判しかり、ポル・ポトの裁判しかり、これはもう無法の支配になるわけでございます。
ある意味、政治家が教育に口を挟むことは、何やらそれ自体がもうだめみたいな、こういうのは私は永田町の迷信だと思いますね。もっと言えば、メディアも一緒になってつくっている政治的迷信だと思いますね。 そうではなくて、冷静に、きちっと責任者を定める。教育委員会が責任者じゃ絶対だめです。それは無責任という状態です。 その意味では、私たち維新の会は、A案だったら議論できます。
迷信だと申し上げましたけれども、何か昔からいろいろな迷信がありますよ。熊を見たら死んだふりをしろとか。死んだふりをしてもあれはだめなんですよ、逃げなきゃ。お酢を飲むと体が柔らかくなるとか。もうこういうのじゃだめなの。
これは、江戸時代に、女性の前であれですが、ひのえうまの女性は災いを招くというふうな迷信がありまして、その迷信が昭和になってもまだ残っていたのかもしれないというふうに言われているわけであります。 その迷信の一・五八よりも今もっと低い数値になっておりまして、私も考えまして、これは、ひょっとしたら、今、日本を取り巻いている空気、そこに何か誤った迷信があるのではないかというふうなことなんです。
ここで詳しく説明することはいたしませんが、一生の伴侶に信頼できる人を選べですとか、盲目的な結婚を避けよですとか、迷信や因習にとらわれるなという、今の感覚からすると極めておせっかいなことをスローガンとして言っているなというふうに思います。 ここで重要なことが、最後の十番目でございまして、最後の十番目は、産めよふやせよ国のため、これがスローガンとして掲げられていた。
民営化はすべて良いは一種の迷信であります。民営化すべきものと民営化すべきでないものとの判断を国民は冷静に考えていただきたいと、こう思うわけでございます。 ゆうちょ銀行、かんぽ生命は、現在二百二十六兆円の国債を保有、民営化後も高い保有率を続け、二〇〇八年の三月には、国債発行額の二九%を占めております。民営化の最大の目的の一つは、官の金を民に流し、民の活力を増すということでありました。
根拠になっていない以上は、それは単なる勘か、あるいは迷信とか信仰のたぐいと変わらないんじゃないか。テレビのふぐあいはたたけば直るとか、けがしてもつばつけておけば治るとか。ひょっとしたら、その手が汚れていたら、汚い手でさわったら、逆にけがは悪化するかもしれないんですよね。
ですから、まあ御答弁いただけなくても結構なんですけれども、そういった迷信に対してやっぱり多くの皆さんはそろそろ気付いていただきたいと思っております。
そういった、迷信なのか非科学的なのかアミニズムなのか分かりませんけれども、我々が自然や家畜や農業や様々なこと、地球を含めて我々が自由にできるんだという、この間違った考えをだれかが指摘をしているんではないか、そんなことを思うわけであります。
○北川委員 ちょっと今の御返事は冷たいなと一瞬思ったので言葉が出なかったんですが、なぜかというと、せっかく災害対策大臣が内閣府の方にできて、これから日本が地震の活動期に入るというのはもう数年前から言われていて、特に瀬戸内は、地震がなぜか起こらない地域というような迷信みたいな言われ方をしていたところであって、ですが、やはり二十年前、予見の明がある学者の方は、そんなことはないと。
そういう意味では、戦争になればとにかく軍が守るというのは全く迷信のようなものでありまして、みずからの命はみずから守らなくてはいけないというふうな状態に追い込まれるわけでございます。 私は、川崎に学徒動員で軍事の兵器をつくるために動員をされましたけれども、頭の上をアメリカのグラマン戦闘機が、敵の飛行士、パイロットの顔が見えるような状況まで低空飛行で飛んできまして、実弾を浴びたこともございます。
○野沢太三君 整備新幹線は赤字になるという誤解、偏見、迷信がございますが、私どもはこれまで十有余年の勉強会の中で、すべて採算がとれる、そして、国費、上下分離という方式を入れまして国が三分の二、地方三分の一、公共事業方式によってインフラをつくって、利用されるJRは受益の範囲の負担だけでいいと。金輪際赤字が出ない仕組みにしてあるわけです。
地域熱供給は、単に高いんだとか使いにくいというある種の迷信で今まで十分やられてこなかったんですけれども、それはドイツ、デンマーク、スウェーデン等ではもう非常に研究が進んでいまして、どうすればパイプを安く引けるかとか、パイプからお湯が漏れたときにどうやって検知するかとか、入り口と出口の温度を何度にすればどれだけ経済性が豊かになるかという非常に詳細な研究がもう進んでいますので、スウェーデンのどこに行かれても
極端な言い方になると思うのですけれども、仮に、実際には危険性がないのに迷信その他で危険性があると信じ込まされていた、それで不安だ、不安だというふうに感じている、この状態を解消するというのは、一つのあり得る目的なんですけれども、これはあくまでも不安の解消の問題であって、客観的な危険がなければ公共の安全性の確保という目的を掲げる根拠を失うのではないか。
例えば、ごく最近の例を挙げますと、戦争末期におきましてもそうでございますけれども、神田三亀男さんという方が「原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言」というのを岩波新書から出しておりますけれども、それをちょっと御紹介申し上げますと、原爆を落とされた広島におきまして、やけどに骨灰を塗ると治るという迷信が広がったということが書かれてあります。
核兵器が戦争を抑止するということなどとんでもない迷信であります。 日中米三国及び韓半島の両国の間に三十年間の相互不可侵条約を結ぶことを喫緊の重要課題として検討することを切に要望いたします。それはやがて全世界に波及するはずであります。沖縄の解放も戦争の放棄も核廃絶も、すべてそこからこそ現実化するでありましょう。 米国は一国で全世界の四〇%以上の軍事予算を負担しているのです。
その両院法務委員会において、大衆の無知、病気、貧困、精神的苦悩に乗じて入信を強要したり、非科学的な医療類似行為や迷信的行為で公共の福祉を破壊する宗教界の現状などというものが論議されまして、法改正が必要ではないかということから、その当時の清瀬文部大臣が宗教法人審議会に諮問をした。そして、翌年一九五七年に十一項目にわたる改正案が出たわけです。
ですから、日本の稲作が労働生産性においてアメリカに絶対がなわないということは迷信でありまして、そんなことはありません。 それで、午前中見ていただきましたように、平野部の田んぼが二百万ヘクタールあるわけでありますから、これは全部三ヘクタール区画につくり直すことが可能であります。現在、十アール当たり五百キロ、一ヘクタール五トンでありますから、二百万ヘクタールであればこれは一千万トン。
これはある種の迷信に近い言葉にさえ私には思えるわけです。よく一枚のはがきを何万人に出すのに幾らかかる、ポスターをつくるのに幾らかかるという議論が出ますけれども、これほどの情報社会の日本で、はがきを一枚もらったぐらいでその政治家に一票を投じようというような国民が一体今どれだけいるでしょうか。
の方からは、一〇〇%よいものはないけれども、とにかく家を建てかえてみたらどうか、こういうような御趣旨のお話がございましたし、また田勢参考人からは、日本の伝統といいますか、風土的に二者択一の制度というのはなかなか日本人に定着しにくいといいますかなじみにくいというようなお話ですとか、あるいは国家としての意思決定システムそのものをもうちょっと見直したらどうかとか、あるいは政治に金がかかるというのはこれは迷信