2021-06-14 第204回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
キャンプ桑江北側地区の返還跡地で、伊礼原遺跡という縄文時代の遺跡が発見されました。ウーチヌカーという湧き水があり、全国的にも珍しい土器やくしなどの出土品が発掘されております。二〇一〇年には国史跡として指定もされております。 北谷町は、こうした出土品や町内に点在する歴史的資料、文化財を展示し、学校教育、生涯学習の場としても活用できる施設として遺跡の隣接地に博物館を建設する計画を進めてきました。
キャンプ桑江北側地区の返還跡地で、伊礼原遺跡という縄文時代の遺跡が発見されました。ウーチヌカーという湧き水があり、全国的にも珍しい土器やくしなどの出土品が発掘されております。二〇一〇年には国史跡として指定もされております。 北谷町は、こうした出土品や町内に点在する歴史的資料、文化財を展示し、学校教育、生涯学習の場としても活用できる施設として遺跡の隣接地に博物館を建設する計画を進めてきました。
返還跡地から大量の有害物質を含むドラム缶が発見されたこともありました。そして、返還跡地の利活用に防衛省が最優先で取り組まなければならない自治体でもあります。 ここに事業費をつけないで、国の予算が逼迫するからといってほかの自治体につけるなんという、そんなまさか矛盾した行為なんか、やれるはずないと思いますよ。
今日は外務大臣には津堅島への海兵隊のヘリ不時着事件についても伺いたかったところですが、時間が来ましたので終わりますが、ただ、防衛副大臣、こういう説明で、一番嘉手納基地のそばで苦しめられている北谷町が、返還跡地でさんざん迷惑をかけた北谷町が返還跡地に博物館を造ろうとしたら、国の予算が逼迫しています。じゃ、新規事業はないのかといえば、それは説明できません。
返還跡地の活用という問題であります。 返還される基地や施設の跡地というのはいずれも一等地でありまして、ここに沖縄の将来、未来がありますし、もとより、我が国の明るい将来像をここにつくっていくという使命もあると思っています。 民有地である部分について地権者の方の意向が尊重されるべきことは、もちろんこれは当然のことであります。
同じく、基地返還跡地の件、もう一つ聞かせていただきます。これは西普天間住宅地区跡地の件であります。 基地返還跡地の活用に関するモデルケースにするんだということで、返還をされた当時の安倍総理大臣、菅官房長官にリードをしていただきました。ここには、琉球大学医学部と附属病院の移転が進められておりまして、地元としても非常に歓迎をし、感謝をしているところでございます。
また、今後、返還が予定される駐留軍用地については、昨年六月から沖縄担当大臣のもとで開催している基地跡地の未来に関する懇談会において、返還跡地の核となる施設や機能のあり得るオプションを検討してまいりました。引き続き、跡地利用に関する県及び関係市等の検討を支援してまいります。 現行の沖縄振興特別措置法の期限、そして沖縄の本土復帰五十年という大きな節目まで、残すところ約二年となりました。
私は、その返還跡地も実際に見てまいりました。日米地位協定上、米軍は基地返還時に原状回復補償義務は負いません。私は、本件事案については、基地提供者たる国が、原状回復、若しくは北谷町がこうむる損失の補償措置を講ずるべきだと考えます。 防衛大臣の御英断による早期解決を望むところですが、河野大臣の見解を伺います。
○照屋委員 河野大臣、この返還跡地の上勢頭地区、これはもう長い間原状回復はできない、そして、そこはもともと米軍のちり捨場だった、だから有害物質があることは間違いない。
また、今後返還が予定される駐留軍用地については、昨年六月から沖縄担当大臣の下で開催している基地跡地の未来に関する懇談会において、返還跡地の核となる施設や機能のあり得るオプションを検討してまいります。 現行の沖縄振興特別措置法の期限、そして本土復帰五十年という大きな節目まで、残すところ約二年となりました。これまでの沖縄振興の検証に引き続きしっかりと取り組んでまいります。
また、今後返還が予定される駐留軍用地については、本年六月から沖縄担当大臣の下で開催している基地跡地の未来に関する懇談会において、返還跡地の核となる施設や機能のあり得るオプションを検討してまいります。 現行の沖縄振興特別措置法の期限、そして本土復帰五十年という大きな節目まで、残すところ二年半を切りました。まずはこれまでの沖縄振興の検証が必要であり、しっかりと検証に取り組んでまいります。
大規模返還跡地については、返還前から地元自治体や地権者を中心に検討を進め、関係者の合意を形成しておくことが重要と考えています。懇談会の有識者からあり得るオプションを提案していただくことはそうした地元自治体等の検討の参考となるものと考え、本年六月から開催したところであります。現在、二回開催されています。 以上です。
とりわけ、普天間飛行場、牧港補給地区といった大規模な返還跡地において、沖縄の自立的発展に資するような跡地利用につながる核となる施設や機能のあり得るオプションについて、本懇談会において様々な分野で御活躍されている有識者の皆様から自由闊達に御意見をいただくことは有意義なものと考えているところであります。
○赤嶺委員 いつまでも、返還跡地の上空、返さなきゃいけないところを使い続けることは許されないと思います。 宮腰大臣に伺いますが、北部訓練場がある沖縄本島北部は、今政府が世界自然遺産登録に向けた取組を進めている地域であります。政府は、二〇一七年、推薦書を提出しましたが、北部訓練場の返還地などが含まれていなかったために出し直すことになりました。
その上で、返還跡地の上空につきましては、現在、返還後の地形を踏まえて、制限空域の形状を変更すべく、関係省庁及び米側と調整を行っておるところでございます。 関係省庁及び米側との調整が整い次第、速やかに防衛省から国土交通省に対し、航空路誌、AIPに掲載された制限空域の変更を依頼する予定でございます。
なのに、返還跡地の上空、返されるべきものがそのままになっている。 事前の説明を受けたら、米軍が返還後の空域使用のニーズを示していないことが協議が進んでいない理由の一つだということでありました。そういうことですか、副大臣。
私ども相模原市は、この国民生活センター相模原事務所については、旧米陸軍キャンプ淵野辺返還跡地の場所でありまして、当時、相模原、神奈川県はいろいろなものを誘致したいという思いもあったんですが、国からの強い要請もあって、市、県、国で最終的な協議を経て、この国民生活センター相模原事務所が設置をされたというふうに承知をしております。
今会期中、本委員会に参考送付されました陳情書及び意見書は、お手元に配付いたしておりますとおり、北方四島における共同経済活動への北方領土隣接地域の確実な関与を求めること等に関する陳情書外四件、沖縄県立普天間高等学校のキャンプ瑞慶覧西普天間住宅地区返還跡地への移転推進に関する意見書外一件であります。 ————◇—————
実は、この返還跡地をしっかり有効活用できるように、効果的に活用できるようにというのは、沖縄のこれからの発展のために非常に重要なポイントになってまいります。今後に向けて、予算面も含めた支援をぜひいただきたいと思っておりますけれども、政府の、大臣の御所見をいただきたいと思います。
私自身、西普天間住宅地区における国際医療拠点の実現に向けて全力で取り組み、これを普天間飛行場返還跡地の利用につなげ、宜野湾市や沖縄県だけではなくて日本全体の振興に寄与していきたいと考えております。 また、嘉手納以南の千ヘクタールに及ぶ土地の返還につきましても、次世代のため、沖縄の飛躍的発展に寄与するとともに、日本全体の振興に大きくつながるものであります。
その返還跡地をしっかりと、国の国策という立場から、沖縄県民と、あるいはまた地方自治体も含めて一緒になってそれを描いていくというのが沖縄の振興あるいは日本の振興に寄与するものだと理解してございます。 ぜひ、先生方におかれましても、やはり沖縄の実情というものをしっかりと理解していただきながら一つ一つ前に進めていく。
─────── 本日の会議に付した案件 ○政府参考人の出席要求に関する件 ○沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する 調査 (経済等日露間の交流拡大の意義に関する件) (沖縄振興の意義に関する件) (機動隊員による「土人」発言に対する鶴保内 閣府特命担当大臣の認識に関する件) (基地問題と沖縄振興予算との関連性に関する 鶴保内閣府特命担当大臣の認識に関する件) (北部訓練場返還跡地
防衛省としては、北部訓練場の過半、約四千ヘクタールの返還について、地元の国頭村や東村が、返還跡地の有効活用策として、国立公園の指定、世界自然遺産への登録を目指すとして、早期の返還を要望しており、私が沖縄に行った際にも、国頭村や東村の村長とお会いして、この返還について御理解をいただいていること、また、これが返還されれば、沖縄県内の米軍施設・区域の面積が約二割減少し、沖縄の負担軽減にも資することとなることを
まず、サッカー場におけるドラム缶の件ですけれども、昭和六十二年八月三十一日に一部返還されました嘉手納飛行場の返還跡地におきまして、平成十一年から沖縄市がサッカー場としての利用を継続しておられましたけれども、平成二十五年六月に、沖縄市が発注したサッカー場の人工芝の敷設工事の実施をしている中におきまして、地中からドラム缶が発見されたところでございます。
いずれにしましても、先生御指摘のとおり、施設・区域返還跡地の周辺住民の方々の御懸念を十分に踏まえまして、米軍が環境面に最大限配慮するよう、さまざまな機会を通じて働きかけるとともに、返還された駐留軍用地の跡地の原状回復について、引き続き取り組んでまいりたいというふうに考えております。
今後、基地の返還跡地からも発見される可能性はあるわけで、先ほど儀間さんの話ありましたけれども、それこそ戦火の中を逃げ惑って、戦後七十年たった今も発見されないままの犠牲者の方たちがいると。その遺骨が発見された場合には是非DNA鑑定を行って御遺族の元に遺骨を届けるなど、きちっと政府も誠意を持って対応して調査をすべきではないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
そこで、今度は、軍用地の返還跡地で、これも解決しなきゃいけない問題として、西普天間住宅地区における土壌汚染などの問題について聞きます。 二〇一四年の八月以降、宜野湾市による西普天間住宅地区の文化財調査中に、油臭やドラム缶などの異物が確認され、急遽、防衛局による汚染状況などの調査が行われました。その経過を聞きたいと思います。
○赤嶺委員 大臣がおっしゃった返還跡地利用、二十一世紀ビジョンというのはまさに基地のない沖縄を展望した経済発展、こういう認識であります。 米軍の直接統治下に置かれていたときに、米軍の高等弁務官が支配者だったわけですが、沖縄の基地は沖縄県民にとって金の卵を産むガチョウだ、沖縄県民の生活は基地から離れることはできないんだ、このように言われて、私たちは非常に屈辱を感じてきました。
北谷町や沖縄市の返還跡地でも西普天間地区でも、有害物質の入った大量のドラム缶が発見されました。沖縄市の場合は枯れ葉剤の可能性も指摘されています。有害物質を埋めて廃棄したとしても、米軍が最終的に責任を問われることはないのであります。日米地位協定で、基地の返還に際して原状回復義務を免除されているからです。 去年の八月には、宜野座村のキャンプ・ハンセン内に米軍ヘリが墜落をいたしました。