2000-05-23 第147回国会 参議院 交通・情報通信委員会 第19号
私は、もうこの問題は二十年ぐらい前から自分なりに考えておりまして、近松門左衛門が、芝居のおもしろさ演劇のおもしろさは虚実皮膜の境にあるんだということを言っておりますけれども、虚実がはっきりすればいいんですが、虚と実がその境界領域が肥大化してどっちだかわからなくなる、これは問題ではないかなということは二十年ぐらい前からいろいろ書いたりしております。
私は、もうこの問題は二十年ぐらい前から自分なりに考えておりまして、近松門左衛門が、芝居のおもしろさ演劇のおもしろさは虚実皮膜の境にあるんだということを言っておりますけれども、虚実がはっきりすればいいんですが、虚と実がその境界領域が肥大化してどっちだかわからなくなる、これは問題ではないかなということは二十年ぐらい前からいろいろ書いたりしております。
ただ、近松門左衛門という有名な文楽あるいは歌舞伎の作者がおりますけれども、この人が、演劇というのは何かと問われて、虚実皮膜の間であるというふうに答えた有名な言葉がございます。虚と実の皮膜、皮と膜の間にドラマというのはあるんだと。つまり、事実をそのままやったんじゃドラマにならない、といってドラマチックになり過ぎてしまったら事実がどこかへ行っちゃう。
○政府委員(小野沢知之君) 例えばNHKでございますと、「君の名は」とか「ひみつの花園」とか「近松青春日記」とか「日曜インタビュー」とかいうふうに大体毎日行っておりますが、一番組につきまして三十分単位だとか十五分単位だとかいろいろさまざまでございます。
例えば、適塾を開いた緒方洪庵であるとか、あるいは間宮林蔵であるとか近松門左衛門であるとか、たくさんの方々が歴史を切り開いてきているわけです。そういう方々をぜひ切手にして顕彰していくベきじゃないかということをこの分科会でもしばしば指摘をしているわけですけれども、いやそれは結構な提案だが、ぜひひとつ検討させていただきたいということで実は終わっている。ディズニーも切手になっております。
それはいろんな学者がいるかもしれないだろうけれども、近松門左衛門ならその人の使った用語、その人の使った言葉というのが一つの学問体系ぐらいになるみたいらしいですよ。西鶴は西鶴、近松は近松、十返舎一九は十返舎一九、それぞれ一つの辞書ができるようですよ。それでもいいじゃないかと言うんだ。それだから国にお願いしたんだから。
今文化史とおっしゃいましたけれども、例えば近松何がしの浄瑠璃のことは書いてある。与謝野晶子の文学活動は書いてある。しかし日本海海戦についてはほとんど書いていない。仁徳天皇のいわゆる仁政と呼ばれました、徳政と言われましたことについても触れてない。
ここでまた、もう時間がありませんので、こういうカタログをお見せすることはできませんけれども、そういう人々、あるいは近松門左衛門だとか井原西鶴だとか、今日の歌舞伎等でいえば中村歌右衛門であるとか尾上菊五郎とかというようなのも、歌舞伎を開いてきた人々ですから、そういうようなところを出すべきではないかということを私は提案するわけです。
今日の歴史教科書の欠点は歴史そのものを美術史とか民俗史、芸能史ないしは考古学史というような視点から物を見ているものですから、近松門左衛門の浄瑠璃は一ページを費やしても、大化の改新はささっといっちゃったりしているわけです。そういう点に大変な誤謬があろうと私は思っているわけであります。 そこで、私は教育ということについて五つの問いをここに用意してきたのであります。
○説明員(近松真次郎君) はい。それはいま問い合わせ中でございます。警備員は全体として九百五十ばかり、九百四十九名おるわけでございますが、そのうちどれぐらいに持たしておるかというのは、いま照会中でございます。
○説明員(近松真次郎君) 従業員の雇用、管理を行っておるという立場におきまして、米軍に対しましては機会あるごとに慎重に配慮されるように要請していきたいというふうに考えております。
○説明員(近松真次郎君) 補償の問題でございますが、当然業務上ということであれば業務災害補償の対象になるというふうに考えております。
お互いが協力し合っていくべきものであるとか、友好親善は重要であるとかという言葉でも十分意味の通ずることでありまして、運命をともにするのだったら、これは西鶴か近松門左衛門の心中物語を思い出すような大層なことになるわけです。
たとえば近松門左衛門等にいたしましても、あるいはその当時文化栄えて、たくさんの画家、作家、学者等がいるわけですし、そういう者をぜひ顕彰していただきたいというように考えます。
これは松尾芭蕉だとかあるいは良寛、近松門左衛門、さらには井原西鶴、こういったものをもし切手にするとこういう図案になるのではないかという素人のイラストですけれども、どうですか大臣、もう一度お伺いをしたいのですが、そういうように、医学の面におきましてもあるいは植物なり地理なりあるいは学問の分野においても芸術の分野においても、歴史的に評価の大体定まっている人が相当います。
大 臣 園田 直君 出席政府委員 防衛庁長官官房 防衛審議官 上野 隆史君 沖繩開発庁振興 局長 美野輪俊三君 外務省アジア局 長 中江 要介君 水産庁次長 恩田 幸雄君 委員外の出席者 防衛施設庁施設 部施設補償課長 近松眞次郎君
○近松説明員 赤尾嶼、黄尾嶼にあります制限水域に関係いたしますところの沖繩県の漁業組合といたしましては十一組合ございます。そして、これらの組合が沖繩周辺で関係しますところの制限水域は、黄尾嶼、赤尾嶼を含めまして八水域ございます。そして、毎年、これら八水域につきまして一括して補償申請がなされておるというのが現実でございまして、実質的には毎年これに対しまして補償をしておるということでございます。
○説明員(近松眞次郎君) 現在私の方で補償費を差し上げまして境界を確定していただいた案件が相当数あるわけでございますが、ほぼ現在のところ一年でもって終わっている例が多いということで、まあ現在のところはこういうことでいわゆるその境界確定のための通損期間といいますか、通常必要な期間として一年プラス一年を設定していきたいというふうに現在も考えておる次第でございます。
○説明員(近松眞次郎君) 種々できない場合には事情があろうかと思いますが、われわれといたしましては、一応通常一年あればできるものであるというふうに考えておるわけでございます。
○説明員(近松眞次郎君) 現在私の方でやっておりますのは、通常一年あればできるであろうということを通常的に認定いたしまして……
局環境保健部長 野津 聖君 環境庁自然保護 局長 信澤 清君 環境庁大気保全 局長 橋本 道夫君 環境庁水質保全 局長 堀川 春彦君 沖繩開発庁総務 局会計課長 隈 健君 法務大臣官房会 計課長 近松
○政府委員(近松昌三君) 昭和五十一年度法務省所管予算の内容について、概要を御説明申し上げます。 昭和五十一年度の予定経費要求額は、二千五百三十四億七千五百七十六万円でありまして、これを前年度補正後予算額二千三百三十一億六千七百十二万五千円と比較いたしますと、二百三億八百六十三万五千円の増額となっております。
中村 英男君 安永 英雄君 内藤 功君 下村 泰君 国務大臣 法 務 大 臣 稻葉 修君 政府委員 法務政務次官 中山 利生君 法務大臣官房長 藤島 昭君 法務大臣官房会 計課長 近松
近松法務大臣官房会計課長。
近松八郎さん、資料がつくられた当時五十三歳、勤続二十八年、昭和二十一年十二月二十六日に機械工として入社したわけで、ずっと機械職の仕事をしてきました。ところが、第一組合に入っているということから、本来の機械の仕事をさせられずに、従来の仕事と全く関係のない雑役、掃除のような仕事をさせられている。
私のところにさっき名前を挙げた長崎造船所の近松という人の手紙が届いているのですが、この人は、余りにもひどい差別が続けられるから、何回か自殺さえ考えた、ところが、この前共産党の金子満広議員が来て法務局ともいろいろ交渉してくれた、そのときに法務局では、いままではなかなか調査が思い切ってできなかったけれども、今度は新たな気分で本格的な調査をしますということを約束してくれたので、それを聞いた近松さんは、うれしくてうれしくてしようがなかった
次郎君 委員外の出席者 警察庁刑事局捜 査第一課長 鎌倉 節君 警察庁警備局公 安第三課長 福井 与明君 法務大臣官房秘 書課長 谷川 輝君 法務大臣官房人 事課長 筧 榮一君 法務大臣官房会 計課長 近松
○近松説明員 法務省といたしましては、かねてから中小企業に対しまする発注の確保については鋭意努力をいたしてまいっているところでございます。
庁石油部長 左近友三郎君 中小企業庁長官 齋藤 太一君 中小企業庁計画 部長 織田 季明君 中小企業庁指導 部長 児玉 清隆君 中小企業庁小規 模企業部長 栗原 昭平君 委員外の出席者 法務大臣官房会 計課長 近松
環境庁大気保全 局長 春日 斉君 沖繩開発政務次 官 國場 幸昌君 沖繩開発庁総務 局会計課長 隈 健君 国土庁大都市圏 整備局長 小幡 琢也君 法務政務次官 松永 光君 法務大臣官房会 計課長 近松