1986-04-16 第104回国会 衆議院 文教委員会 第7号
今まで個人が、例えば貴族なら貴族が、それは個人的なあれだったけれども、公教育というものは産業社会の中で、すなわち狩猟採取時代やあるいは農耕時代では、社会の変化はないから親の伝承で済んだ。
今まで個人が、例えば貴族なら貴族が、それは個人的なあれだったけれども、公教育というものは産業社会の中で、すなわち狩猟採取時代やあるいは農耕時代では、社会の変化はないから親の伝承で済んだ。
そういうことがずっと農耕時代まで続いておった。それが、産業社会という三百年、その中の今度の第二次世界大戦という今から五十年くらい前からの社会進出でありますから、その限りでは社会全体の大きな変革であることは間違いない。
○木島委員 時間がありませんから深くお聞きいたしませんが、しかし、親の教育権というものは、変化の少ない狩猟採取時代や農耕時代ならともかくも、変化の多い産業社会の中では有効に作用しませんから、したがって、国に生存権的基本権として委託をした、保障を求めた、そこから今おっしゃるように国家教育権が出てくるのです。
教育が私事であったころは、狩猟採取時代や農耕時代の変化少なきときにおいては親の伝承がすなわち教育であった。けれども、産業社会になるとそうはいかない。だから、そこから公教育が生まれた。親の教育では子供の生存ができないから、だから生存権的基本権として、そこにその保障を国に求めるがゆえに、公教育というものはそこに出発をした。
いろいろ説がありますけれども、人類二百五十万年とするならば、二百四十九万年の狩猟採取時代、あるいは一万年の農耕時代は親の伝承で済んだであろう。産業社会は、労働者にその知識や技術を必要とするから、そこから公教育が生まれた。したがって、均一な労働力を必要とするとき、それはおのずから両一的になります。
二百五十万年前とすると、二百四十九万年は狩猟採集時代、一万年が農耕時代、産業社会が三百年。その三百年の変化が非常に急激でしょう。急激で、しかも幾何級数的に変化していますから、したがって今日ほど、今日ほど、七〇年代は、八〇年代は、二十一世紀は、というのが常に存在するのです。二十一世紀二十一世紀と言うけれども、二十一世紀というのは一体どんな時代を想定しながら教育改革をなさろうとするのか。
人類は、数百万年の狩猟時代、一万年の農耕時代、そして三百年の産業社会、その産業社会のそれが、いまのあらわれている姿はひずみなのだろうか、第四の新しい時代の兆しなのだろうか、私は常にそのことを疑問に思っておるのです。
そのうちの二百四十九万年というのが狩猟採取時代、一万年が農耕時代、そして産業社会は三百年ですね。この三百年というのは大変急激な変化、上昇をしているわけです。そのために、いま総理大臣がおっしゃったように、精神文化がついていけない要素がそこに生まれてきておる。いま大臣おっしゃるように、私は一つの新しい価値観なり新しい文化、新しいそういう意味の時代が生まれつつあるのだろうと思っておるのです。
私は、元来、今日の土地の値上がり益というものは、農耕時代とは異なって、所有者本人の努力によるものではございません。経済の発展と公共投資のいわゆる外部経済効果、いわば国民努力の結晶にほかならないものである。
しかも学者の方々の意見を伺いますと、すでに過去人類の歴史の中の数万年以前の時代の、いわゆる先土器時代というのですか、その時代からその後の縄文時代、その縄文時代も前期、中期、晩期というのですか、その後期、それからさらに農耕時代に入っての弥生時代、それから古墳時代、さらに奈良、平安時代というような各様相が、それぞれの谷筋谷筋に住居あとその他のものが時代の経過をたどってずっと集約的にあの辺全体に分布している