1990-03-27 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号
ですから、農業に対するさまざまな仕事をそのレベルの高い農業水準の中で、教育水準の中でできるじゃないか。しかも技術的にはバイオの技術というものが最近非常に発達しまして、それらも含めて、日本の新しい農業展開ということは十分できるというふうなことを、後継者を含めて農業に従事する方々に積極的に働きかけていく。
ですから、農業に対するさまざまな仕事をそのレベルの高い農業水準の中で、教育水準の中でできるじゃないか。しかも技術的にはバイオの技術というものが最近非常に発達しまして、それらも含めて、日本の新しい農業展開ということは十分できるというふうなことを、後継者を含めて農業に従事する方々に積極的に働きかけていく。
国家財政の赤字からもうこれ以上の補助金や価格保証への出費増は望めないわけでありますが、しかし何としてでもここ十年、十五年のうちに、せめてヨーロッパ、EC並みの農業水準に改革していくためには、どうしても農業改革への投資を今の三倍以上にはふやさなければならないのであります。
そうすると、農業水準を一本化しておいてこれでよいかということにも大変疑問がある。 こうした、かねてからの税制の基本にかかわる問題についての大きな問題点があった。そこへ、ただいま問題になっている節税の自由度の問題が大きな問題点になっておる。営庶業者の場合には、脳みそを使えば幾らでも節税することは可能である。
これを本土並みの農業水準に上げるためには、現在のような経済事情にある農民にその土地改良費の負担をさせるということよりも、全額これは国庫負担によって土地改良等はなすべきである、こういうことを私は深く考えるわけでございますが、これは農林省の所管だとおっしゃれば農林省の所管かもわかりませんけれども、開発庁としてはそういうような考え方でまず農林省に要求をしてやっていく、こういうことで進めることが妥当である、
○角屋委員 沖繩の問題についてはまたさらに別の沖特の委員会あるいはまた本委員会等でも論議する機会であろうと思いますので、本日はこの程度にとどめますけれども、いずれにいたしましても、本土の農業と沖繩農業には内容としてまた違った性格の点もございますし、非常な立ちおくれといいますか、これから本土の農業水準と匹敵していくためにも、また国際的にサトウキビあるいはパインが競争力を持っていくためにも、ずいぶん思い
そしてわが国の農業の水準のところになりますと、日本の農業はどうでしょうかと書いて、農業水準のきわめて低劣であるということを記述し、最後に、日本の農業がどうしてこんなに立ち遅れているか考えてみなければなりませんと書いてございます。
他の産業構造との関係においての農業水準の引上げの具体性もない。予算の裏づけについても分配あるいは折半や天引でやつている。そういうところへ持つて来て農林大臣が常にその地位が動揺している。第二次吉田内閣以降四年間にわたつて、農林大臣の更迭は六回に及んでおります。他の経済閣僚の中にあつて農林大臣くらいひんぴんと更迭されたいすはありません。
日本の農民は、毎日安心して農業がどうかできますように、自分の農業がりつぱになつて、世界の農業水準にまで達して、食糧を増産して、日本の國民諸君に十分な食糧を補給したいと、これは全部の百姓が考えておるのであります。そしてわれわれ農民は、自分たちの農業をよくするために、まずいい土地がほしいのであります。
況していわんや現在のような低い農業水準、又家庭における婦人の封建的な生活環境、又勤勞者大衆の低い生活水準、これらの下におきましてはどうしても封建主義セクシヨナリズム、非文化主義、バーバリズム等々の殘滓を拂い落すことは困難でありまして、日本を眞に民主化し、又文化性の高い國にしまするためには、婦人を家庭の勞苦から解放し、農村をして科學技術を理解せしめ、又工業をして封建的な低賃金制度その他能率に依存せずして
併しこの際私共がどうしてもなさなければならないことは、農村の民主化と、これに伴う農業の生産力を昂揚することによつて、日本の農業生産物のコストを低めて、將來世界の農業水準の上に日本の農業というものが正しくあるということだけは、至上命令として行わなければならんと私は確信するものなのであります。