2015-07-14 第189回国会 参議院 農林水産委員会 第12号
さて、ここで、本改革案は実に六十年ぶりの農協改革と言われておりまして、戦前の産業組合、農業会、そして戦後、民主化政策の折、農業協同組合に変わり、日本の農業、地域農業として率先垂範してきたと思っております。政府の認識において、農業の果たす役割、その役目を、さきにも聞きましたけれど、おさらいのつもりでいま一度お伺いをしたいと思います。
さて、ここで、本改革案は実に六十年ぶりの農協改革と言われておりまして、戦前の産業組合、農業会、そして戦後、民主化政策の折、農業協同組合に変わり、日本の農業、地域農業として率先垂範してきたと思っております。政府の認識において、農業の果たす役割、その役目を、さきにも聞きましたけれど、おさらいのつもりでいま一度お伺いをしたいと思います。
第一は、戦後間もなくのころの再建整備の時代であって、これは農林省主導で行われたもので、とても自主改革と言えるものではありませんが、農家がみずからの出資で農協を再建させたことで、農業会の看板かけかえと言われた戦後農協が、おらが農協になったという意味で、大変重要な転換点であったと思います。 二番目が、一九六〇年代から七〇年代にかけて、総合農協と専門農協の合併が進んだ時期であります。
○小山委員 今大臣の答弁にもございました中で、ちょっと私、見解が違うところは、戦前の産業組合というのは、戦時体制に入るときに、農業会というものになります。これは、戦時体制、統制経済に入っていくわけですね。この中で、農村部の農村金融と購買、販売事業を行っていたところと都市部の信金というのが分離させられるんですね。これは国策としてそうしたんです。
私は国保の歴史もずっと研究しておりますけれども、戦前は、農協、農業会などが国庫負担なしで運営していたものですけれども、それが新しい国保になったのは、高度経済成長の中で、日本の国が、国民が、その当時三分の一が無保険であったその状態ではこれから経済成長ができない、そういう国家戦略のもとで皆保険制度がスタートしております。
戦後の農協法の成立の前に、大正時代の産業組合、あるいは農会、戦時体制としての戦時農業団、農業会等があり、これらの組織を受け継ぐ形で農協に組織が移行したと考えられますけれども、これらの歴史的な経緯等について、政府はどのような認識を持っているでしょうか。
それから、昭和十八年には農業団体法というものができて、強制加入の戦時統制組織だった農業会、こういうものができておりますが、こういうものとは今の農協は性格を異にするものであると考えております。
もう岩永委員御存じのことでございますけれども、いわゆる戦前の産業組合法に基づく、あるいは農会というような組織の在り方から、これは戦時中はまた変わりまして、農業会というような戦時経済の下で、あるいは統制経済の下での行政の下請としての運動というか活動というものが何年かございました。
そういう中から、住民がみずから出資をし、共同で医療施設の運営が始まり、県農業会から厚生連、そうしたさまざまな経過を経て、最終的には国の政策的関与によって県立病院となりました。県下にあまねく医療の均てんを、これが県立病院の精神でありますが、県立病院だからこそ、不採算あるいはそういう医療の中でも持ちこたえてきたというものがあると思うんですね。 鳩山大臣、そういう公立病院の役割について認識はあるのか。
また、戦前、産業組合、この時代から推移をして、農業会制度というものを経て、戦後、今の第一条の趣旨にのっとって、農村の民主化の実現、あるいは農業生産力の増進と経済社会的地位の向上、さらに農地改革によって創設をされた自作農の小作農への転落を防止する、こんな目的も込められて、農業協同組合制度が設けられましたね。これは、スタートした時点の一つの歴史であります。
○亀井国務大臣 委員御指摘の農協、かつての産業組合あるいは農業会という歴史があるわけであります。そういう中で、中央会の制度、御指摘のように、そういう経過の中で、戦後の混乱をした状況の中で、農協経営等もやはり戦後大変経営が厳しい状況下に立ち至った、こういうことがあろうかと思います。そういう中で、昭和二十九年に農協及び連合会に対しましての指導機関として創設された経緯があるわけであります。
私は、昭和二十三年、戦前の農業会に引き続いて農業協同組合が、民主的に、半分自主的に組織をされてきた歴史があると思っています。そういう意味では、あくまで自主的で、独立性を持った民主的な組織だと思っています。
○亀井国務大臣 今委員からも御指摘のとおり、戦前の農業会あるいはその後の農業協同組合、時代の趨勢、それに呼応していろいろな対応をしてまいった歴史があるわけであります。
この農協の流れ、戦前から農業会があり、そして戦後、農業協同組合に継承されてきた。いわば、戦中戦後の食糧不足に対応する強制供出の組織であったり、あるいは配給組織であったり、そういう流れをくんできた。あるいは戦時中は、農協資金を吸収しながら戦費へ投入するというような国家目標に沿った農業会組織みたいなものを引き継いできている。
北海道農業会、ここで聞いた話ですけれども、重点化と言うが余りに極端過ぎる、このような声が出ております。それから、北海道農政部、これは道の農政部ですけれども、小規模な農家も残っていく仕組みが必要、多様な農家が残ってこそ地域に活力が生まれる、こういうふうに、いわば新政策に基づいて規模拡大路線の先頭を走ってきた北海道で、政府の選別政策に疑問を今回投げかけておられました。 さらに滋賀県。
まず、農協組織でありますが、御存じのように戦前の農業会を引き継ぐ形で戦後の農協法ということで、農協が設立をされ今日に至っている。今、農協、JA関係は大型合併の推進、二段階化の推進だとか必死に取り組んでいるわけであります。そういう意味では、私はある意味では戦後の全国画一型といいますか中央統制型といいますか、そういう事業が行われてきたのだろうと思うんです。
戦時の強制的な食糧管理法、戦後の画一的な農地法、あるいは農業会から引き継ぐ団体組織、これらを改革し、思い切った地方主権の生き生きとした農政の転換を行うべきときだと思うのであります。 言うまでもなく、我が国農業の歴史は、食料の増産、そのための農地の開墾や開田の歴史でありました。それは、稲作文明が伝えられて以来、戦後まで続けられました。
○鉢呂委員 一九四八年が新しい戦後の農協、その前の農業会ですとかいろいろあったのですけれども、戦後の発足は一九四八年で、今、私ども地元に帰れば、農協の五十周年というのに御招待されて行くわけであります、私は北海道でありますから全国的なものとは若干違うのでありますけれども。
ロッチデールの、あのイギリスの紡績工場の方々が、資本主義のもとに生まれました矛盾を革命によらずしてみずからの力でこれを団結して修正をしようというところに出発した農協が、戦後天下り式に、全国の農業会が一晩のうちに看板を塗りかえて農協になって、村の顔役が役員になって、でありまするから、全然農協精神がございませんわな。
○後藤(康)政府委員 農協法発足当時のお話がございましたが、確かに戦時中の農業会からの切りかえというようなこと、それと当時の米の統制というようなものとの関係がございまして、一夜にしてほとんどの農家の方が加入をされたということ、事実でございます。
○国務大臣(田澤吉郎君) 農協の役割りは、いま中野委員御指摘のような、非常に大きな役割りを果たしてまいったわけでございまして、かつては、戦前はいわゆる産業組合、それから農会、こういう形で進められてきたんですが、戦時中は農業会というもので、この農会と産業組合が一本になりまして農業会というものになって、その後、二十二年に今日の自主的ないわゆる農協機構ができたわけでございまして、その間、大変なやはり経済的
そういう経過をたどりながら、いままで農業会という戦争遂行のための政府の教育機関というものを変えて、そして民主的な農協運営というものを図っていこう、そういうところから農協というのは出発してまいったわけなんでありまするが、そういう点からすると、いま余り注文をつけると、また昔に戻る危険性というのが出てくる可能性があるんじゃないかという実は心配をいたしておるわけなんであります。
それを戦時中に農業会というのになりまして、やや国家がある程度指導してつくった機関なんです。その後、御指摘のように二十二年に自主的な協同組織として農協が発足したわけでございますので、それからいわゆる民主的な運営がずっと進められてきたわけですよ。 ところが、最近、御承知のように米の過剰の問題とかを含めて農産物の需給関係というのは非常に複雑になってきた。さらに、われわれの生活様式もかなり変わってきた。
○田澤国務大臣 御承知のように、戦前は農業指導については農会が、あるいは信用あるいは利用、販売については産業組合がその役割りを果たしてまいったのでございますが、戦時中農業会ができまして、その後、戦後になりまして、自主的な協同組織として二十二年にいまの農協ができたわけでございまして、自来、日本の社会経済の大変な変遷の中で革命的なまでのいわゆる農業の改革、改正を進めながら農家経営に大きな貢献をしてきたことは
安易な実態の把握、そこからは厳しい対処というものは出てきませんから、こういうことで現地北海道や、道の農業会ではその実態を把握しようということで、いろいろ検討しておるようでありますけれども、農林水産省としましても、今日の経営状況、資材の高騰、乳価の三年、四年据え置き、こういう中で悪戦苦闘していらっしゃる酪農民の実態というものは、数字の上からいたしましても、抽出の状況にもよるだろうと思いますが、非常に実態