2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
教える人材の充実強化もあわせて、やはり最近では、農業一つ見ても、スマート農業などと、技術も日々進化をし、それに伴って機械そしてまたそういった資機材というものも日々変わってきております。 ただ一方で、今の産業教育振興法の中でもさまざまな支援というものは講じてはいただいていると思うんですけれども、学校の現場に聞くと、どうしても、一度整備のための計画を出してくれと。
教える人材の充実強化もあわせて、やはり最近では、農業一つ見ても、スマート農業などと、技術も日々進化をし、それに伴って機械そしてまたそういった資機材というものも日々変わってきております。 ただ一方で、今の産業教育振興法の中でもさまざまな支援というものは講じてはいただいていると思うんですけれども、学校の現場に聞くと、どうしても、一度整備のための計画を出してくれと。
特に、やはり中山間地、土地改良を進めていくということは、スマート農業一つにしても、また収益性を上げる上にも大変重要だと思っています。
むしろ、世界が相互依存を強めている中で、農業一つとってみても、石油が入ってこなければ、トラクターが動かない、何も動かないというような事態が考えられるわけで、むしろ、エネルギーならエネルギー共同体、食料なら食料共同体、グローバルなレベルだけじゃなくて、地域的なレベル、そして、お互いに危機を招かないための、というのは、危機が一旦来ると、それは某国だけに集中するわけじゃなくて、全ての国が市場メカニズムを通
今、それ以外にも、農業一つを取り上げてみて、地方の活性化づくりも、これも非常に面白い仕組みができそうだなと。シャッター通りと農業とどう考え合わせればいいかだとか、今いろいろやっています。昨日も飛騨高山に行って、あそこでどういうふうな仕組みができないかなと。
例えば農業一つ取ったって、確かに今回、農業地帯がやられたところが多いわけでありまして、そのときに世界に立ち向かえるような、そういった農業のありようをそういった地域で模索するということも当然あるべきだろうと。つまり、やはりこれからの日本の青写真というのをもう一回描いていかなきゃいけないというふうに思っているんです。
それぞれの分野での就業に必要な能力を習得するためには、農業一つとってみてもいろいろな、作物によっても習得するための時間に差があるということでありますし、そういう意味では、長期間、またその中身についても十分な対応をしていくことが大切ではないかというふうに思うわけであります。
きっと、あるときここは越えざるを得ないときが来ると思うんですね、農業一つとってみましても。そういうことを国会の議論の中で、国会で決められたことは国家の意思でありますので、そういうものをこういうような場を使って審議の内容を深めていく。
特区という話がありますけれども、やはり農業一つ取ったときに、今まで農業に従事した方というのは買われる方の顔が見えていないんです。ただ生産性だけ求めて取っているものですから、なかなか我々が求めているものは来ない。 例えば、作ったジャムにしましても、梅というのは取ってから一週間以内に色が変わるんです。同じ木から取ったものをジャムにすれば、千個作る量で千個できるんです。
例えば、沖縄県の農業一つを取り上げてみましても、亜熱帯性の気候を生かし、地理を生かした独特の農産物を生産し得る県でありますから、その出荷先である本土各県を考えましたときに、本土の他の都道府県にないハンディを負っておりますのは輸送コストです。
それから、いかに劣悪といえども、単に農業一つを例にとっても、農産物を供給するだけではないのだ、中山間地域四割といっても、あくまでそういう人たちがそれぞれの地域に根差して頑張っていただくおかげで、我々の自然が守られ国土の保全もできていて地域がそれぞれ成り立っているという実情も理解すべきであるということを私は主張したわけです。
例えば農業一つとっても、北海道の農業と大分県の農業は面積も地形も、またつくる産品も違うわけでございますので、やはりその地域に合った農業をやっていかなきゃならぬ。
しかし、現場に参りますれば、例えば水田農業一つとりましても、昨年の不作の次の年に、環境保全型農業ということで、農業や肥料を少しでも落とすような農法をとるべきだなどというのはなかなかしみてまいりません。しかし、確かにコンセンサスは少しずつ出てまいりました。 あるいは具体的に先ほど有機農業の話が出てまいりましたが、具体的ないろいろな形のものは各地で実は行われてきていることも事実でございます。
例えば、農業一つとっても今の農地制度は古過ぎます。合理化、近代化の余地を非常に狭めています。建設業にしても、もっと雇用保険金のそれこそ建設的な使い方があるにもかかわらず、近代化をしていない、アクセスがない、現場がきれいじゃない、プライバシーが守られないなんということで、労働力不足だと言っているのは当たり前の話でございます。
と申しますのは、戦後日本の農業、一つは農地法による自作農主義、こういうもので、食糧不足の時代を自作農を創設することによって、またもう一つは食管法などによって、そして疲弊した農村を救うために農協制度によって、私はこういう三つの大きな柱によって戦後の農業政策が行われてきたし、戦後の日本の農業が培われてきたというふうに思うわけであります。
農業一つの問題にいたしましても、飛行機で種をまいたり、ヘリコプターで種をまいているようなアメリカと、私のくにの先輩で俳句の名人である村上鬼城という先生がいますが、この先生が「生きかはり死にかはりして打つ田かな」という俳句を詠んでおります。日本のたんぼというものは先祖代々生きかわり死にかわりして一つ田を打ってきたわけであります。そういう二千年来一つの田を打ってきて、いま農業が継続している。
そういう意味で、本当にこれは農業一つ考えても、相当根本から改めなければどうにもならぬのじゃないだろうか。ただ、米だけに終始しまして、そして減反減反で大騒ぎやっていればいいというものじゃないんじゃないんだろうか、こういう気がします。 それから林業にいたしましても、ようやくいまごろになって、山が坊主になって、それによってマツクイムシも発生してみたり、あるいは大変だという話ですね。
農業一つとりましても、よりどころが、柱があるわけでございますから、その柱を基盤にしてそのときどきの施策が樹立でき、実行に移すことができる。石炭でもそのことが言えるわけであります。鉱山だけに限ってそのよりどころがないということが、過去これに対するいろいろな施策を樹立され、実行に移されたわけでございますけれども、それが成功に結びつかない、なかなか期待どおりにいかない。
また、農業一つとって考えてまいりましても、明治以来お米の生産が二倍以上になったというのには相当の期間がかかっているわけですね。他の工業製品とは違う。そういう問題があるわけです。しかも、豊作貧乏ということも商品作物にはあるものですから、消費者物価の安定ということはなかなかむずかしい問題があります。
そういう農業一つ見ても、あらゆる面にやはり二十数年続いたいわゆる占領行政の後遺症というものがまだまだ残っておるわけです。
そういう点で、目標をどうしてくれる、目標のある農業、一つの生きがいのある農業を。その人は、年いったときに借金がなくて、息子がちゃんと跡を継いでくれていて、そして安心していければそれでもいいんだが、そういう目標だけ与えてくれないかと言うのです。農林省に職を奉ずると、やがて定年退職していってもそこで生活の道があって安心できる、借金はないだろう。