1962-11-10 第41回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第3号
しかし、これは長官はどこからそういうことを——現地の、おそらく七管かあるいは十管から出動した巡視船からの報告だと思いますが、私の持っております、先ほど申し上げました、この十三日の一時十四分、第二十一昭徳丸がこういう無電を発して日本の巡視船に救助を求めておる、これが第一報だと思いますが、一時十四分第二十一、第二十二昭徳丸、農林漁区二四四区三において韓国艇に追跡され中、各船の救助を求む、これが第一信、以下
しかし、これは長官はどこからそういうことを——現地の、おそらく七管かあるいは十管から出動した巡視船からの報告だと思いますが、私の持っております、先ほど申し上げました、この十三日の一時十四分、第二十一昭徳丸がこういう無電を発して日本の巡視船に救助を求めておる、これが第一報だと思いますが、一時十四分第二十一、第二十二昭徳丸、農林漁区二四四区三において韓国艇に追跡され中、各船の救助を求む、これが第一信、以下
私は昭和三十三年一月十日二十三時五十分農林漁区二三四区の八地点におきまして、無灯の韓国警備艇の接近――国際法を無視し、まっ暗にして、ちょうどどろぼうネコが何かを盗むような格好をして接近してくるのでありますが、その銃撃により、速力の相違もあり逃走できず、拿捕された次第であります。
まず、海上保安庁当局にお尋ねいたしますが、新聞でもすでに発表されております通り、去る本月の十二日の夜半過ぎに、長崎県の五島の永田水産という会社の底びき漁船が五島の大瀬崎の西方農林漁区二百四十五という海域において拿捕されました。韓国の警備艇に拿捕されて、しかも、乗組員十三人というものは抑留された。
昭和三十一年十二月十五日十時戸畑港出港、李ラインを迂回して、同年十二月十八日二十三時山東角のエビ漁場農林漁区三十八区に到着、操業開始いたしました。同年十二月二十一日曳網して農林漁区百三十九区に移動操業中でありましたが、エビ漁獲希薄のため、二十三日二十二時、冷凍船信濃丸にエビ漁獲のみ積み移し、漁場変更航走南下して、二十四日十一時農林漁区三百二十二区中上に投網操業再開いたしました。
そうしてその位置は、海上保安庁のいすず巡視艇が測定したところによりますと、まさしく李承晩ラインの外側でありまして、はっきりと位置も出ておりますが、北緯三十三度三分東経百二十八度十一分で、農林漁区の二百四十三区の中で拿捕されております。
そうしてこの船の消息につきましては、農林漁区の二百六十五区でありますので、李承晩ラインの中であり、あの辺の警戒が非常に厳重になつているので、当時の実情からすれば、台風が来て沈没するというふうなことは全然考えられない。これは従船——底びき船は御存じのようにめおと船になつておりますので、主船と従船がありますが、その従船の方でありますから、無線の装置を持たない。
これは一つの例でありますが、七月の二十二日に、農林漁区の二百三十二区といいますと済州島の東方でありますが、そこで底びき漁船第二千穂丸四十四トンが拿捕せられる事件が発生したのであります。このときにはちょうどその近所におりました巡視船こしきが緊急通信を受けまして、さっそくにその現場におもむいたのでありますが、そこには九時十分ごろでありますが、武装韓国兵数名が認められた第二千穂丸を発見したのであります。
農林漁区五五四、詳しくいえば北緯二十八度二十四分、東経百二十二度十九分の位置であります。当時の状況を説明するのに、かりにこの部屋の天井が北、床を南、こちらの窓口を東、向うの入り口を西とします。時間は二十二日の五時四十七分、三十二山田丸が西に向いておったのであります。それに三十一山田丸は船尾を接近して東に向けたのであります。
十一月二十二日早朝東シナ海農林漁区五五四区におきまして撃沈せられ、死者二名、重軽傷五名を出しまして、ただいま当時のなまなましい記録を東根漁撈長より述べました第三十一、第三十二山田丸の船主でございます。
しかるに今回、すなわち昭和二十九年十一月二十二日午前五時五十三分、本船は政府において許可されておりまする区域内におきまして、すなわち東経百二十二度二十分、北緯二十八度三十分、農林漁区五百五十四区の右上の公海におきましてまつく理由なき銃砲撃を受けまして第三十二山田丸がまず沈没し、続いて第三十一山田丸も沈没したのであります。
同月五日午後二時十分、農林漁区二七七区において第一回の投網操業開始、爾後三一九区、五二二区、五二三区、五三四区、五四五区、五五四区の各漁場において操業し、同月二十一日午後八時零分揚網投錨仮泊いたしました。仮泊の位置は東経百二十二度二十分、北緯二十八度三十分、農林漁区五五四区の右上と推定されます。
その報告によりますと、その当時漁区ははっきり覚えておりませんですけれども、農林漁区の一六〇区、及び三三二区付近に中共船が多かったようであります。五五四区付近の状況は、その当時全然わかりません。それで私たちの会社の各船間におきましても、中共船のキャッチにはいつも当っておりますけれども、現在五五四区付近には方位測定できないのであります。これはあまりにも中共船が遠距離にある関係であると思います。
及び第三十二山田丸、六十五トン強でございますは、いずれも長崎市山田吉太郎氏所有の漁船でありまして、この二隻の漁船は去る十一月二十二日他の僚船と共に支那東海農林漁区五百五十四、これは東経百二十二度より百二十二度三十分、北緯二十八度より二十八度三十分の海面を申しまするが、この附近で操業中、午前五時五十分頃突如といたしまして、国籍不明の軍艦より約百メートル乃至百五十メートルの近距離から攻撃を受けたのでございます
もうすでに新聞紙上において大体正確に伝つておるのでありますが、去る十一月の二十二日の午前五時五十分、農林漁区で申しますと五百五十四区ということになりますが、大陳島の東南二十海里附近で第三十一山田丸、第三十二山田丸、この二隻の船が国籍不明の軍艦二隻に両舷から攻撃を受けまして第三十二山田丸は六時三十分頃現場において沈没をいたし、乗組員十名は、もう一方の船の三十一山田丸、これは十二人乗つているのでありますが
巡視船「さど」は二十日の午前零時三十分農林漁区二百九十四、これは済州島の西南西約五十海里、おおむね位置は北緯三十三度十七分、東経百二十五度十五分、当時こういうことでございます、におきまして突如韓国警備船P三十八号、韓国の沿岸警備隊所属、トン数は約二百五十トン、装備は十三ミリ機銃二門及び小銃、これは後ほど先方の金星号ということがわかつたのでございますが、これから銃撃を受け横付けを要請されました。
巡視船「さど」の連行事件でございますが、巡視船「さど」は、二月十六日十時門司を出港いたしまして、済州島西方の特別哨戒に従事いたしておりましたが、今朝六時三十分農林漁区二百九十四区中ほど、すなわち済州島から見ますと、西南西方約五十海里の地点でございますが、その地点におきまして韓国の警備艇P三八号、これは韓国の沿岸警備隊の船と思われますが、これより銃撃を受けました。
その他済州島の西南方百海難の、いわば西部の李承晩ラインでありますが、その附近が現在約百四十隻程度、それから青島の南東二百海里附近で――これは農林漁区の百三十区というところでありますが、ここで約四十隻くらいが大体終結しながら、集団操業をしているというような現状でございます。
特に一月二十八日、農林漁区五百三十一区、これはずつと舟山列島の近所でございますが、におきまして拿捕されました第十六、十七東海丸の場合は、相手は中共の軍艦四隻であつたと伝えられております。これらあの付近では艦艇の出動があるということは注目を要するところであります。
翌二十二日十時、砕氷補給及び漁獲物一千百函4第二九北新丸に転載すべく、農林漁区三百十八区左中発、その場合六三明石丸と別れ、単独で五島荒川港に向けて航走を始めました。当時北の風が強く、風力五、北東でありました。
私の方に入りました最近の情報によりましても、去る九月十二日の午前四時でございますが、農林漁区の二百五十四区においてさばづり漁船が約三十隻、二百五十三区において数隻が認められ、またおおむね李ラインの付近において約百隻の漁船が認められた、こういう情報も入つておるのであります。
次に、同海域におきます日本漁船は、韓国艦艇による退去措置により、大部分が退避中の模様でありまして、同海域における操業は事実上不可能になりつつありますが、なお昨夜の午前零時の状態では、約三十隻はなお済州島南東海域、農林漁区二百四十四区、二百五十四区等において操業中との報告を受けております。
その状態が午前二時頃まで、場所は農林漁区二百五十四区、二百四十四区のあたりであります。
なお、昨日夜来から今日までの間に巡視船からの報告によりますと、これは農林漁区の番号で甚だなんですが、済州島の東方海上でありますが、二百四十四区等に百隻以上の日本漁船がいる。それから二百四十三区におきまして四十五隻程度、これが巡視船から入りました情報の一番新らしいところであります。
この事件の概要を申上げますと、二月の四日の八時十分から八時二十分頃に、農林漁区二百八十三区、北緯三十三度三十一分、東経百二十五度五十一分の、これは済州島西方約二十マイルの地点でございますが、この地点で、福岡市にありまする大邦漁業株式会社所有の第一大邦丸、第二大邦丸の両船が操業をいたしておりました際に、韓国漁船の昌運号という船が近づいて参りまして、どうも今までその附近における漁業をやつておりまする際に