1986-11-21 第107回国会 参議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会 第6号
私がよく行きます隅田川の駅というのがありますが、南千住にあるんですけれども、ここではことし若い職員が二人、いずれも触車事故で轢断されて亡くなっております。若いとうとい命が失われておるんです。国鉄における触車による死亡災害撲滅というのは私は緊急課題だと思うんです。
私がよく行きます隅田川の駅というのがありますが、南千住にあるんですけれども、ここではことし若い職員が二人、いずれも触車事故で轢断されて亡くなっております。若いとうとい命が失われておるんです。国鉄における触車による死亡災害撲滅というのは私は緊急課題だと思うんです。
で、お客さまが右手を轢断されまして、ほとんど即死の状態でございましたので、駆けつけました警察官立ち合いの上で、救急車で十八時四十分、市内の大山外科というところに収容いたしましたわけですが、亡くなられたわけでございます。で、旅客の住所、氏名でございますが、名取市の手倉田字小字五五五の二、板橋博さんという方でございます。
ですから、たまたま列車が入ってきて轢断してしまうというふうな上野さんのような人もその中から出たわけで、決して少なくない数で日常こういう事故が起きているということがこのアンケートの調査でわかったわけなんです。
この方はどういう状態で轢断されましたか。ちょっとそのことを……。
○紺野委員 どうもはっきりとリアルに——轢断されたのは上身、それから下身が真っ二つにやられたのでしょう。知っていますか。真っ二つにやられて、そうして下の方の体はその現場の近く、それから六十メートル先に上半身が、轢断されたものが落ちるという最もむごたらしい形でこの事故が起きているのです。それを確認しますか。わからない形で表現されているけれども、そういう大変な事故なんです。
桑島さんは、下山さんは自殺ではなくて死後轢断ということをはっきりこの間は発表されております。こまかい医学的なことは私にはよくわかりませんが、いろいろ発表されておりますけれども、列車で受けた傷には一つも出血がない。反対に、皮膚の表面には何も傷がないところに皮下出血がある。
御承知のように、この事件につきましては、鑑定としまして、死後の轢断であるかどうかという点につきまして、生体でもこういう轢断現象があり得るというような意見を述べた鑑定者もあるわけでございます。
○志賀(義)委員 死体が轢断されたのは翌日のまだ夜の明けない前でございますね。死体の発見されたのが七月六日の午前五時何分でございますか、そうなりますと、列車の運転その他について、当日列車が一本間引きされたということがいわれております。そういうことばあったのでございましょうか、いかがでしょう。
数日前から本日にかけて、全法務委員にこの資料が渡ったようでありますが、これを見ますと、他殺である、死後轢断である、静止状態で轢殺されたものであるということがはっきりしておりますが、東京地検検事金沢清名義で鑑定を嘱託した結果の報告が昭和二十四年十二月三十日、及び東京地検検事布施健の鑑定嘱託で秋谷七郎を鑑定人として昭和二十六年二月十九日に鑑定書の報告が出されております。
十時六分ごろ、この二百三十五列車がホームに進入して参ったのでありますが、この列車がまだ停車しないうちに、この男女の六人の者も、それから女子学生の列も乗車口の方へ追いかけまして移動し、この六人のうちの男子の二名がまず五号車の後部のデッキに飛び乗りまして、そのころ、ほとんど時を同じくいたしまして、ただいまの小沢桂子が列車とホームの間に転落いたしまして両足と右上膊部を轢断されたのであります。
○坂本参考人 むろん現場にありました着衣、身体の状況、所持品、それから轢断されました顔、こういうものが一応下山総裁に間違いなしということが明らかにせられておつたのでありますが、さらに指紋を照合するために、下山総裁の死体からとつた指紋と、下山総裁が日常使つておつたところのガソリンの入つておつたびんから得た下山総裁の指紋とを照合いたしまして、間違いなしに下山総裁であるということが確認されたのであります。
そこで委員長から注意もありましたように、私はその知らない事実についてお確かめをいたしたいと思いますが、下山総裁は轢断せられた、汽車にひかれて殺された、こういう事実だけは争われないことだと思いますが、自殺であつても他段であつても轢断された状況、どういうふうな状況において轢断されたか。
ことに下山総裁の轢断が死後轢断であるか、生後轢断であるかということが、学者間にいろいろ問題になつておるようでありますが、かような死体については保存せられることが最も必要だとは思います。しかし現在の法律その他の面から申しまして、遺族の葬儀をむりに押おて、死体をそのまま長く維持することがいろいろな面に困難がありますので、できずにおるわけでございます。
轢断したときに生活反應が全然なくして、下山さんのように睾丸とか陰嚢にあるという例になれば、中舘教授の意見も一應成立すると思いますが、私どもの申しておりますのは、轢断せられた場所、あるいは轢断でなくとも、ぶつかつた場所に生活反應があるかないかということを問題にしております。中舘さんの問題にしておるのと私どもの問題にしておるのとは、非常に大きな相違がある。
そこでこういうことがあるのですが、何か汽車か何かに当つて、その轢断される直後に死んだ形になつて、それからひかれるだから人が殺したのでなくても、その走つている汽車によつて何か死因を來し、それがひかれてもそれは科学上、医学上から言うと、死後轢断ということになるのでしようか。
かりに死後轢断としても、必ずしも他殺とはならない。場合によつては排障器に当つたりして死んでからひかれる場合もあるから、死後轢断すなわち他殺とはならないというのでありますが、かりに死後轢断で、しかも他殺でないような場合、いわゆる自殺でもつて死後轢断になる、こんな場合、死骸があんなに散乱するような場合が考えられるかどうかお伺いしたい。