1965-12-28 第51回国会 参議院 農林水産委員会 第3号
そういうことからいたしましても、そのときそのときの価格差にもよりますが、なかなか根本的に一挙にこういうこれだけの金を集めて、これでもっていわば輸出補給金と申しますか、そういうものを出そうというところまでは至っておりません。
そういうことからいたしましても、そのときそのときの価格差にもよりますが、なかなか根本的に一挙にこういうこれだけの金を集めて、これでもっていわば輸出補給金と申しますか、そういうものを出そうというところまでは至っておりません。
○成瀬幡治君 僕が指摘しておるのは、どうも、いろいろな援助があったんだ、しかし確かに輸入した物資が、日本のマル公価格よりも高く売ったんだから、そういう輸入補給金を使われたんだということは了承しているんで、また逆にいえば、輸出補給金を使われたんだ。だけれども、どうもあなたのような数字では、いろいろごまかしておるような気がしてしようがない。
当時為替レートがございませんので、輸入補給金としてどれだけのものが使われたか、また輸出補給金にどれだけのものが使われたか、そういうことにつきましては、作業といたしまして一応いたしてはおりますけれども、これは非常に、申し上げるほどのものじゃございませんので、正確にお答えしかねる次第でございます。
○成瀬幡治君 では、こういうことをお聞きしたいと思いますが、私のほうでほんとうに聞きたいのは、輸入補給金あるいは輸出補給金にどれだけ使ったかということをお聞きしたいわけです。これはわかりますか。それはもちろん二十四年三月までの話です。
はやっぱり占領軍でありましたのでつまびらかにいたしませんので、これははっきり申し上げておきますが、しかしつまびらかにしないならば、日本の品物を安く買って、安く買わなくても普通の値段で買って、それをより安くアメリカに輸出した輸出差の補給金を出しておらぬかと、こういうよりも、私のほうは輸出差の補給金を出しておらないで、国内でアメリカから来た高い品物を国民により安くしてその差額の補給金は出しておりますが、輸出補給金
○大矢正君 輸入補給金ですらわからないのに、輸出補給金のわかるはずがないでしょう。そういう金が出ているとか出ていないとか、それは理論的にいえば、あなたの言うことは、為替レートがないの、だからという理屈は成り立つ。あなたの言う理屈は、為替レートがないのだから換算のしようがないから、幾らで買って幾らで売ったということはわからないかもしれない。
その結果、円貨を払って輸出をまかなっておるという状態でございますから、かりに輸出補給金は幾からということは、理論的にはこれは査定が困難だということでございます。
それが見返資金なりあるいは外為に行く場合に、正確な数字やあるいは資料を引き継がれておるならば、そういうような間違いというものはなくて、計算をすればすぐ出てくることですから、レートはそのときに幾らになったのだ、そのときには輸入補給金は幾ら出しておる、輸出補給金は幾ら出したのだということは明確に行なわれておったのじゃないだろうか。
○成瀬幡治君 これはどうしてこういうことを言っておるかというと、一つの食い違いの問題もさることながら、一体輸入補給金をどのくらい使ったか、輸出補給金をどのくらい使ったのかということがわかりますか。
従って、この操作を通じて、わが国とわが国民は、輸出補給金を通じて余って返るほどに返済をやったのであります。すなわち、等価交換が行なわれたといたしまするならば、輸出六億五千万ドルは当然二倍以上の十三億ドル以上には売られたはずであります。輸入十七億四千万ドルは半分の価値と見れば八億七千万ドル以下となり、差引四億ドル以上の受取分があるはずであります。
これだけ高いものを買ったんだが国内へこれだけ安く売ったのだ、これだけやったのだと、それを品目別に全部もらいたいと思うけれども、そうもいかぬと思うから、私は、あなたのほうでお気づきになった、こういう品目を出したらいいだろうということで十ぐらい品目を引き抜いて、当時の価格でこうなっておったからこういうふうに輸入補給金を使ったと、また輸出補給金はこういうふうに使ったのだと、この資料を出してもらいたい。
しからば、その差額はどこから出たか、こう申しますと、これはやはり日本のものを高く買って安く売らなければ国際価格に合いませんので、生産者のためにその輸出補給金を出したのであります。また、輸入いたしました外米も、一石五千円から六千円の外米を、昭和二十一年には五百円からで配給したじゃありませんか。昭和二十四年に私は米価を上げて四千三百円にしたのですが、なおかつ、千数百円の赤字が出ました。
(拍手) なお、産投会計より支出する理由いかんということは、私が昭和二十四年に大蔵大臣を拝命いたしましたときに、それ以前の援助物資が輸出補給金や輸入補助金に使われまして、国民にその使途がはっきりいたしません。従って、私は、将来この援助を返さねばならぬと考えまして、援助物資に相当する金額をためおいたのであります。そのためおいた金額は二千数百億円、三千億円近くに相なっております。
一千億というものが輸入の補給金に使われたんじゃないかという計算も出るわけでございますけれども、先ほど申しましたように、計算すればなるということでございまして、実際にそうだということは申し上げかねるわけでございまして、事実輸入補給金の作用もし、輸出補給金の作用もしたというのが実態であろうと考えております。
したがいまして、そういう意味で、輸出補給金に使われたのもあります。一方、輸入補給金に使われた。先ほど、二十四年二月の小麦の例で申しましたように、一ドル当たり百六十二円程度の価格で国内に売っておるわけであります。三百六十円のレートから考えますと、二百円も国内には安く払い下げをしておるというようなことになりますので、輸出補給金、輸入補給金、両方の作用をしたものだというふうに考えます。
輸出補給金の作用もしたということもあると存じます。
その輸入代金——国民から徴収された輸入代金が、実はその当時、経済的に申しますと、輸出補給金として使われてしまった。当時の貿易の基礎は複数為替レート制であります。
一体何億円が輸入補給金になりあるいは輸出補給金になったかということは計算上非常に困難で、できないと思いますけれども、ただ一例として申し上げまして、一ドル三百六十円のレートがきまりました面前の昭和二十四年の二月二十一日の例でございますが、貿易庁が農林省の食糧管理局に売却した小麦、これを幾らで売っておるかと申しますと一石当たり二千二百二十四円二十六銭で売っておるわけでございます。
○伊藤説明員 総金額で幾らが安売りをされたか、あるいは総金額で輸出補給金に向けたのが幾らかという金額は、これは出すことはできないと思います。ただ、一例として調べましたのを申し上げますと、これは三百六十円レートがきまります直前の昭和二十四年二月の例でございますが、貿易庁が農林省に売却した小麦でございます。これは当時一石当たり二千二百二十四円で売っております。
いかに輸入補給金、あるいは輸出補給金の役割を果たしたといえども、百円の品物を輸出補給金で二百円にしても、それが一ドル六百円なんということだったら何の役にも立ちませんよ。企画庁長官、あなたの方の資料でこうなりましたが、どうでございますか。
これはみな輸入補助金、輸出補給金、こういうふうにして、アメリカからもらった八億ドルの援助というものは、やみからやみに行って、だれもわからなかった。こういうことでいいんでしょうか。私は昭和二十四年に大蔵大臣になりまして、アメリカから輸入したものは国民に売って国民から金をもらっている。国民から輸入物資の金をもらって、政府はその金を持っている。
だからその差は今あなたがお話しのように、輸出補給金で払った。だから輸出補給金で払い、輸入補給金で払ったその金額は、全部どこに行っているかといえば、それはあげてアメリカの業者に対する利潤じゃありませんか。だからそういう意味で、私が総理に申し上げておきたいところはこういう当時の価格です。
一等、二等の区別のついております一般市中品を買うよりも、輸出補給金のついております安いものを買つたらよかろうじやないかということで出発しております。
CCCで扱つておりますルートを通じて買うということになると、一等、二等を向うで差をつけておりませんので、いわゆる二等の価格で買つておるということでありますが、これを一等、二等の差をはつきりいたしましたものとして、必要な量だけ一等を入れる、必要な量だけ二等を入れるというような差別をつけて参りますと、一般市場買付になると思うのでありますが、そういたしますと、CCCの輸出価格は一ブツシエル五十二セントの輸出補給金
そこでただいまの御質問でございまするが、補給金剰余額は輸入補給金に使われたのでございまするが、買上げ輸出品につきまして特に加工を要する工業用原料というものについて輸出補給金に使われたんではないか、こういうふうな御質問の御趣意と思いまするが、私どもはそうではなく、当時のマル公の計算におきまして、各種の賃金とか、あるいは機械器具の値段とか、あるいはそれの償却とか、金利とか、各般のものを調べまして、これを
米の二重価格制が盛んに今論議されておりますが、これは農家に対する生産費補償の考え方と、低額所得者保護の政策であることはもちろんでありますが、これと同じように、輸出補給金による二重価格制度は、国内物価が国際物価に比べて割高である、コスト引下げによつて中小貿易を保護する政策でもあると思います。
この十九億ドルの金をそれじやどうやつたかと申しますと、昭和二十四年度までは、輸入補給金とか輸出補給金とかいうものにどれだけどこに使つたということはわからずに過ごして参りました。
十九億ドルに達する援助費が昭和二十四年度の予算を作るまでどうなつておつたか、行方はどうなつたか、ただ普通為替制度で輸入補給金とか、輸出補給金になつておるくらいのことは御承知だつたと思いますが、そういうことぐらいしか御存じなかつたら、これではいかん、これではいけないというので、昭和二十四年度の予算案から、この対日援助的の物資で来たものを換価して金を得たのであります。それが対日援助見返資金であります。
從いまして十億ドル余りは輸入補給金か輸出補給金か、とにかくその金の使途がはつきりしないのであります。これは誰がやつたとかという問題じやございません。そういうふうになつております。これじやいかんからというので、八億六千万ドルの分は対日援助見返資金特別会計を作つてやつたのであります。
一方、輸出関係について見ますれば、輸出補給金の撤廃、それからフロアー・プライスの撤廃等により、滞貨の処理が、従来のようなダンピングによつて行われるではなかろうかという外国方面の懸念が、漸次増加しつつあるように見受けられるのであります。こういう事情から、漸次最低賃金の問題は、本格的に研究すべき段階に入つて来たというふうに考えるのであります。