そこで、それならば責任はだれがとるかという問題におきまして、憲法は五十五条をもうけまして、国務大臣の輔弼責任の規定をもうけました。つまり、言いかえれば、政治上の問題は国務大臣が計画を立てこれを実行するのであって、この場合、天皇はそれに対して法律上責任を負うような口を挟むことは許さない、これが前の憲法の趣旨であったはずであります。したがいまして、天皇は統治権を総攬する。
それで、衆議院を解散する場合は、天皇の人権の輔弼責任を持っておられる内閣が大体実質的に決定されて、天皇を輔弼されて天皇の解散命令として出されたものであります。ところが、今日のものはそうした解散命令じゃない。解散詔書に命令権はないはずです。これはなぜかというと、天皇には国政の機能がないんですから、これはもう儀式的なものだ、こうなっております。
天皇の権限がなければ、助言と承認ということは本来は輔弼責任です。昔で言うならば昔の憲法で言う輔弼責任ですよ。それでいきますならば、もとのものがないのに、それに対してどういう助言と承認をするかということになってくる。元来、助言と承認の中に政府の実質決定権があるという考え方は、これはおかしいのであって、本来は憲法の規定に基づいてどこが解散をやるかということは導き出さなければならぬ問題なんです。