2014-04-10 第186回国会 参議院 国土交通委員会 第9号
その方々のアイデアの中には、昔、戦争でなくなってしまったんですが、軽便鉄道という、JRの車両から二回りぐらい小さい、要するに島嶼型、島の狭い地域に合ったそういう軽便鉄道、この現代版を沖縄で開発し、生産をし、そして世界の島々に島嶼型の交通システムとして輸出していきたいんだと、そのような夢を持って活動をしている市民団体などもございます。
その方々のアイデアの中には、昔、戦争でなくなってしまったんですが、軽便鉄道という、JRの車両から二回りぐらい小さい、要するに島嶼型、島の狭い地域に合ったそういう軽便鉄道、この現代版を沖縄で開発し、生産をし、そして世界の島々に島嶼型の交通システムとして輸出していきたいんだと、そのような夢を持って活動をしている市民団体などもございます。
私は沖縄県の選出でありまして、私たちの県には六十八年前に軽便鉄道という鉄道がありました。沖縄の戦前の平和な時代の原風景というものは、青い海と青い空、そして赤い赤瓦、空手、三線、泡盛といろいろありますけれども、その中の一つには鉄道というものもあります。 ですから、結びに大臣にお尋ねしたいんですが、今、国も一億九千万で、内閣府の方が沖縄に対する鉄道の可能性調査を継続しております。
○玉城委員 冒頭、私が沖縄県の離島の話をさせていただきましたが、戦後、一九四五年から一九七二年、いわゆる施政権がアメリカから日本に返還されるまでの二十七年間、沖縄はアメリカの施政下で、戦争で失われる前までは軽便鉄道というのが沖縄県内でも実は走っておりましたが、その軽便鉄道が戦後復活するだろうという期待があったにもかかわらず、ちょうどアメリカのモータリゼーションの真っただ中にあって、道路の整備の方が先
もう何度も申し上げていまして、担当大臣は、またも山内は鉄道の話かとおっしゃるのかもしれませんが、ここに各党の委員の先生方がいらっしゃる、その中で唯一山内徳信だけが戦前の沖縄の軽便鉄道に乗った男なんです。
鉄軌道について伺いますが、戦前、那覇—与那原間、那覇—嘉手納、それから那覇—糸満、総延長四十八キロの沖縄軽便鉄道が走っていたということは、最近、我々の間でも随分知られるようになりました。地上戦で施設が破壊され、運行が停止となったわけでありますが、戦後、沖縄を占領した米軍によって、一九四七年の十一月ですけれども、実は鉄道の復活を計画して測量まで行ったということがあったようなんですね。
○国務大臣(玄葉光一郎君) まず一つは、山内先生にはこの間も、特に軽便鉄道の話は今日初めて実はお聞きしましたけれども、沖縄のたどった歴史を、まさに御経験踏まえていつもこの場で教えていただいて、大変有り難く、本当にそう思っております。
県が経営する沖縄県軽便鉄道であります。沖縄も、県土全体で見ればそれほど交通渋滞というのは目立ってはおりませんけれども、しかし、那覇市内あるいは那覇市圏ということで見ますと、ある意味では東京よりも交通渋滞が目立っているような状況がございます。どうしても本土との格差是正を最大の眼目に県道整備をしてまいりましたから、道路の整備ということが優先をされてきた事情がございます。
私は、那覇—嘉手納間の軽便鉄道を何度か乗っておる世代なんです。そういうこともありまして、復帰後三十九年たちました。そして、政権も替わって新しい政府になって、是非、長年の懸案であったこの鉄軌道を実現していただかなければいけないと、こういう思いも、私にもありましたし、県当局にも県民にもありまして、今県民全体の声になっております。
戦前、沖縄には沖縄県営軽便鉄道が走っておりましたが、戦災で壊滅をいたしました。戦後、沖縄を除く四十六都道府県は、戦災復興の形で政府による鉄道再生整備が行われたわけですが、復帰以前はもとより復帰後も、沖縄県は鉄道整備から置き去りにされたまま現在に至っております。その結果、県内の陸上輸送はほとんど自動車によって行われ、県内の慢性的な交通渋滞が社会問題を引き起こしていることは承知の事実でございます。
戦前の沖縄の鉄道の経営母体は、鉄道省には沖縄県営鉄道、沖縄県側では沖縄県軽便鉄道と呼称されておりまして、一九一七年以降は沖縄県鉄道と改称をされております。この沖縄県営鉄道若しくは沖縄県鉄道の経営母体、まあ形式上のことだと思うんですが、というのが残っているのではないかという可能性があります。
○山内徳信君 私は、質問に入ります前に、今日最初の質問者でありました田城郁委員から、戦前の沖縄の鉄軌道の話、そして軽便鉄道の質問がございました。私は、実は軽便鉄道に乗った世代の一人なんです。それに対して担当大臣が前向きの答弁をしていらっしゃいますその姿を見ていて、やはり政治は、政権はやはり替わって、新しい政権になってやっとこれが日の目を見ると。
私は少年でございましたが、嘉手納から那覇へ行くにはこの鉄軌道に乗って、いや、軽便鉄道といったんです、この軽便鉄道に乗って那覇に行くんです。ところが、戦争の結果、この軽便鉄道はことごとく爆弾を撃ち込まれて破壊をされて、そして六十五年間その復活、再建を求めておりましたが、それは今申し上げましたとおり、七二年に沖縄は復帰したといっても、その再建はなかなか具体的に予算の上にも上がってきませんでした。
戦前の沖縄県には軽便鉄道が走っておりました。戦争の結果、鉄道は破壊され、戦後六十二年たってもその再建は果たされておりません。人間が間もなく月に行く時代を迎えております。沖縄に電車が走っていないということは、予算以前の問題として、戦争を引き起こした政府の責任を求めたいと思います。
戦前は軽便鉄道が走ったようですけれども、これも戦争によって破壊され、戦後の交通手段といえば車かバス、正に沖縄の場合には車社会であるわけでございます。 私も沖縄に行くたびにタクシーの運転手等によく聞くんですが、残念ながら、十人聞いたらほとんど十人が赤字だと、こう言うんですよね。もちろんインフラですからもうからなくてもいいのか分からぬけれども、ちょっとどうかなというふうに思うんです。
お話、聞くところによりますと、沖縄県では、戦前、那覇を中心に、北は嘉手納から南は糸満まで軽便鉄道というのがあって、非常に輸送機関となっていたというふうにお聞きしました。ところが、戦争でもって、沖縄戦で破壊されて、全国唯一鉄道のない県になって今日に至っているということをお聞きしました。
モノレールだってそうだし、今東京の立川なんかでも敷いているけれども、ああいう軽便鉄道というのがある。 HSSTなんというのがあって、これは磁気式浮上鉄道というんだ。こんなのは一キロ七十億ぐらいの建設費でできるんだ。地下鉄地下鉄と言っているけれども、地下鉄は一キロ三百億円だよ。磁気式浮上鉄道、たしか運輸省で六十キロまでは許可出しているはずだよ。
戦前は、軽便鉄道というのが嘉手納あるいは糸満というふうなところまで走っておりましたけれども、これはもう戦争によってことごとく破壊されまして、現実はもう全く今はバス路線あるいは自家用車といった程度で、今交通渋滞が非常に極めて厳しい状況にあります。どの地域でも交通渋滞というのが非常に本土よりも著しい渋滞が起きていることは御承知のとおりと思います。
○国務大臣(中川秀直君) 戦前、軽便鉄道が大正三年、一九一四年ごろ開通をし、また昭和二十年まで、沖縄戦まで営業していたということも伺っております。その後も現地におかれていろんな御要望がこれについてあったということも聞かせていただきました。
○照屋寛徳君 戦前、那覇を起点にして与那原まで、もう一つは今の嘉手納基地のあたりまで軽便鉄道が実は走っておったんですね。
軽便鉄道が、那覇から与那原町、那覇から今の嘉手納町、嘉手納基地のあるあたりまで走っておったようでございます、私は戦後生まれですので実際見たことはございませんけれども。 その後、沖縄は今日まで一切国鉄の影響を受けていないわけでございます。沖縄は鉄道がないものですから、大衆の足というか公共的な輸送機関はバスに頼らざるを得なかったわけであります。しかも、公営バスは全くございませんでした。
那覇−与那原間、それから那覇−嘉手納間に軽便鉄道が走っておったのでありますが、あの戦争でなくなりました。戦後は唯一沖縄だけが国鉄の恩恵を一切受けなかったのでございます。一方で、本土にあるような都営鉄道あるいは県営バスなどもなかった。沖縄の公共交通はすべて民間のバス企業が支えてきたのでございます。
戦前までは軽便鉄道があったわけでありますが、今次大戦ですべてのものが焦土と化し、今はただその形跡のみが地図上で残っているというふうな状態でございます。 戦後、沖縄の陸上交通の整備は、土地が軍用地に接収されるなどで著しくおくれております。とりわけ那覇市内の慢性的な交通渋滞は、小手先の対応ではもういかんともしがたい状態に陥っております。
戦前、那覇を中心に嘉手納にも与那原にも糸満にも御存じの軽便鉄道がございました。戦後なくなりました。残念です。そういう軌道システムがないのは全国で沖縄だけです。これを考える重要なときに今来ておるのじゃないかというふうに思い、質問をいたしたいのです。
沖縄は昔は軽便鉄道があったんですけれども、戦争でやられて、あれでもってそのままになってしまったわけです。おいでになればわかりますけれども、行くたびごとに沖縄は車はふえておりますし、渋滞が続いておりますし、距離にすれば那覇から名護まで七十キロぐらいしかないんです。ちょうど東京から成田の距離なんです。山形から仙台の距離なんです。
モノレールはその後全国的に見まして伸び悩んでおりましたが、最近都市交通の中でいろいろなところで取り上げられまして、一番大きなものは沖縄で、昔は小さい軽便鉄道があったのでございますが、モノレールを本格的に取り上げるということになっておりますし、千葉県でも御承知のように取り上げられる。今モノレールを計画しておられるところは非常に多くなっております。