北海道を開発し入植をさせた人々の営農を確立をし、あとう限りの援助をするために、かつて日本帝国時代に軍馬補充部の用地として国が保有した財産を払い下げに必要な経費をもって対価として払い下げたというのが、私は国の政策方針であったと思うのであります。
この土地は、大臣、実は軍馬補充部の用地でありますから、旧地主も国家であります。したがって、当然公共用地に供されるべきであります。 第二に私の言いたいことは、もう時間がございませんので急ぎますが、この土地が四十年の三月十二日に標茶の法務局に登記をされておりますが、越えて四月の二十日に初めて農業委員会にかかっております。
それからこれは昭和三十四年に国が自創法四十一条によって開拓農協の財産として払い下げたものでありますから、もとここは軍馬補充部の土地であります。したがって農地であります。
隣の東北大学の方はこの間からやっておりまして、たまたまあそこの農場が、もとの軍馬補充部の敷地を二千町歩も持っておるということから、それを中心にして、全く東北地方の農業開発の教育研究の中心的な面に改造を加えよう、こういうことで、これは大学の自発的なものでありますが。それを一つ取り入れていきたいというように思っておるわけであります。
戦前におきましては馬事思想の普及、畜産振興の徹底というような意味、あわせて軍馬補充の意味を持っておったと考えます。戦後、これがただいま申し上げました点のうち、軍馬補充の点は全然その必要性を失っております。しかし、健全に発達して参りました競馬というものは、事務局も御説明申し上げましたように、少なくとも国民の健全なる娯楽という点については、どなたも御異論のないところだと思うのであります。
と申しますのは、ここは御存じのように、軍馬補充地の跡地でございまして、萩野の開墾地というのが昭和初めに発足しているわけでございます。当時加藤完治先生が山形におられまして、あそこに五町歩の畑を持って開墾をしたわけでございますけれども、私、そこに行ってみたことがございますが、やはりあの地は水がなければいかぬ。
たとえば戦争中の軍馬補充部時代の考え方が日本の馬政を相当に強く指導して参りましたが、必ずしもそうばかりじゃない。今日山間地における輓馬等の関係からいたしましても、いろいろな点があるんじゃないか。たとえば田の浅いところならば牛を農耕に非常に利用してきた。
ことに上北平野と野辺地の原野は終戦後にあれは軍馬補充部の用地が開墾になって、そして農林省で緊急開拓を始めたところなんです。その当時の農林省ではやはり機械開墾をやろうというので委託をしたときに、あそこには徳川義親氏の名前をかりた団体が行って荒し回ったところなんです。機械農業ということについては非常にあの辺では苦汁をなめている。
○衆議院議員(片島港君) それから県営伝習農場でございますが、北海道の中川郡本別町に軍馬補充部の跡がございます。それから青森県の上北郡三本木町に、これも元軍馬補充部の跡、開拓財産がございます。長崎県の東彼杵郡千綿町の元高射砲陣地跡、開拓財産、それから大分県北海部郡坂ノ市町にあります、これもやはり同じでございます。
今のやり方では困る、これはどうしても戦前の軍馬補充部時代の感覚が残り過ぎている。こういうところに非常に意見があるわけです。だからよほど競馬の開催の方法を思い切つてかえて行かなければならぬ、かえてほしいという意見が多いわけです。
軍馬補充という目的があつた。元来日本の競馬は、軍馬補充部から出発して、かつての陸軍の裏づけによつてできたものだ。賭博類似の行為をやることに違いないけれども、軍馬改良の必要性から競馬をやらせようということでできて来たのが日本の競馬だと思う。そこでそういう意味において、農馬とは別に乗馬、軽種の馬をつくるというようなことから競馬というものが必要になつて来た。
簡単に当時の状況をお話いたしますと、この土地は、元陸軍の軍馬補充部の三本木支部倉内出張所属の財産であります。昭和二十二年二月、自作農創設に伴いまして、開拓地として農林省にその土地の所管がえをいたしたのでざいます。
併し、校舎は何と言いましても元監獄でございまして、陸軍の軍馬補充部の建物を改築したようなものでございますので、もう少し高等学校らしい立派な建物が欲しいという感じを受けました。
それから第十九番目の東北大学の川渡農場の緊急造林、これは東北大学の川渡農場と申しますのは元の軍馬補充部でございますが、これを終戦後所管変えを受けまして、東北大学の農学部の農場といたしております。
中京競馬場を新説したいという議は、只今の日本の競馬場は全國で十一でございまして、過去におきましてはこれを公認競馬と称し、公法人のような団体でこれを経営しておつたのでございまするが、戰争の頃から軍馬補充というような関係に結び付きまして、大変に競馬場は國策的に重く見られておつたのでございます。
それから岡村委員の方の先程の東北地方の国有牧野の問題でありますが、これは恐らく軍馬補充部の跡とか、或いは畜産局の方の関係で、種畜牧場あたりの関係じやないかと私は思うのですが……
川渡の元軍馬補充所、舟岡の海軍火藥所跡あたりは國庫から拂い下げて、十分なる施設をして今後に備えなければならないものであると存じます。 次に岩手縣としては、二千五百、四百世帯でございまして、収容は旧兵舎で四千七百坪の所を施設いたしております。
前田榮之助君紹介)(第 一六二號) 一一 映畫館入場税輕減の請願(福田繁芳君紹 介)(第一六三號) 一二 休業料理飲食店に對する課税の減免及び延 納等に關する請願(本多市郎君紹介)(第 二〇四號) 一三 元指宿海軍航空隊跡敷地魚見嶽地區拂下に 關する請願(井上知治君紹介)(第二四〇 號) 一四 會計檢査人法制定に關する請願(前田榮之 助君紹介)(第三〇四號) 一五 元軍馬補充部十勝支部用地
號) ○米麥需給計畫の根本方針に關する陳 情(第二百三十六號) ○農業保險法制定に關する陳情(第二 百四十四號) ○農業會の農業技術者給與國庫補助に 關する陳情(第二百四十五號) ○岩手山ろく國營開發事業に關する陳 情(第二百四十八號) ○未利用地耕作利用臨時措置法案(内 閣送付) ○青果物の統制撤廢に關する請願(第 百七十六號) ○開拓對策に關する請願(第百七十七 號) ○舊軍馬補充部十勝支部用地内山林拂