1999-03-18 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第2号
政治家の怠慢が軍部、官僚の暴走を許した失政を二度と繰り返してはならないからであります。 総理、このように考えるとき、私は、安全保障の問題とは、突き詰めていけば、民主主義の手続の中で国民自身が、また、国家の緊急事態に際して何を犠牲にして何を守るのかということに対して議論をし尽くして、事前に合意しておくということにほかならないと考えます。
政治家の怠慢が軍部、官僚の暴走を許した失政を二度と繰り返してはならないからであります。 総理、このように考えるとき、私は、安全保障の問題とは、突き詰めていけば、民主主義の手続の中で国民自身が、また、国家の緊急事態に際して何を犠牲にして何を守るのかということに対して議論をし尽くして、事前に合意しておくということにほかならないと考えます。
まさに五・一五事件の起きる、血盟団事件、二・二六事件、あの時分に軍部、官僚、財界、すべて国を滅ぼすものであるといって田舎の青年が少壮軍部とともに立ち上がったときのようなこわい気流がいま底辺に流れていると思います、こわい。話せばわかるといったって、ピストルぶち込まれてから雄弁な、説得力の上手な犬養も多数党をまくらにして死んでいってしまったじゃありませんか。原敬だってそうだ。井上準之助だってそうだ。
民族統合の象徴としての天皇というものの存在がどういうふうに定着するかは歴史の流れの中において定むべきであって、再び天皇をして慟哭せしめるようなひどい無責任な目に遭わせるようなことをして、国会の周囲に、天皇をしてあれだけの無責任な敗戦外交になっても何らの責任をとらない軍部官僚の手によって伊藤の銅像だけが保護されているようなばかげたことは、日本にいかに官僚軍閥の亡霊が主権者としての国民を乗り越えて、日本
プロシア的な、ビスマルク的なこの軍部官僚の自由にできるような憲法が日本を亡国に導いた原因であるということを忘れて、そしてこの方が楽だというようなことで、明治十六年八月二十三日にベルリンでビスマルクに心酔していたウィルヘルム一世に言われて、ドイツではとにかく社会民主党というのがあって、軍事費の問題を国会に出すとみんな削減されてしまうので全くてこずっていた、これができないような工夫をしなければいけないということを
このごろはどうも官僚政治の時代で、政党のボスと大企業と官僚で日本をわけのわからないところへ引っ張っていき、堕落して醜態をさらけ出しておりますが、元来、軍部、官僚が政権を握ったときには必ずこのような一つの危機を倍加させていくんです。 で、いま韓国の問題は、すでに前に質問し、答弁もありましたが、私の尋ねたいのは、いま韓国の問題、イランの問題、ベトナムの問題、火を噴いているんです。
当然、あのときにおいて天皇がみずから自分を処断しなければならないような窮地に立たされたのは、軍部官僚が天皇を利用しての統帥権という形において、明治憲法で、憲法という名ばかりで、事実上における責任内閣制というものを成立させないところにあったんだと思うんです。
これが伊藤博文や山縣や寺内や日本の軍部官僚のなしたところの帝国主義的侵略である。アジアのためにと言いながら信義を裏切る日本のこの指導者に対して、民族を代表して身を鬼にして彼は暗殺を企てたのであります。
戦後三十年間、じっと日本国民は日本国民自身の責任じゃなく、軍部、官僚の責任ですけれども、国民を挙げて忍耐強く、ソ連みずからがやはり革命外交をレーニンが提唱した国なんだから、自分自身が率先してこの領土問題を解決して、日本が要求するというんじゃなくても解決してくれるものとわれわれは大きな期待を持っていた。
を道の向こうから国会の中へ運んできたんですが、戦争に破れて、天皇も国民も声をあげて泣きながら、再び戦争はしまい、平和共存の世界のモデルになるんだという決意をした日本国民が、なぜ自民党が憲法改正を党議できめたからと言って、現行憲法を変えるために、明治憲法へ復帰しようという手段のために、ドイツのカイザーにだまされて、ビスマルクにそそのかされて、欽定憲法の名のもとに統帥権を侵犯することができないような軍部官僚
動きがとれないところに、万機公論に決すべしどころじゃない、軍部、官僚の手によって日本は運営されて、だれも責任をとる人がいないから、天皇がしかたがなしに八月十五日に責任をとって、もう戦争はしまいと、国民の声を代表してやはり——したんたが、こういう私は明治憲法に対する——憲法の審議というので、ただ学者を集めて、御用学者だけの堂々めぐりの論議をしていちゃだめなんで、一番のつぼは、明治憲法の弱点はどこにあったか
これはコペルニクス的な転回じゃありませんが、コペルニクスが地球は回るんだと言っても、ローマ法王の圧力の前にそうでないということを書けと言われており、そうでないと言いながらバット・ノーと論文を書いて、コペルニクスの学とは、いつでも、しかしそうではないということをしまいに取り消しを書いたということ、官僚政治というものが、軍部、官僚の政治がいかにこわいかということはこの一事をもってわかるので、モナリザの憂
したがって、明治以来の戦前までの国家体制は、旧ドイツ帝国と同じく、軍部・官僚を二大支柱として国家運営を行なったのであります。そこに、ドイツ帝国と日本帝国の勃興と破滅の原因があったのであります。すでに旧体制に対して歴史の審判がなされたのにもかかわらず、日本においては、敗戦と同時に軍部は解体したが、官僚は占領軍に迎合し奉仕して、ほとんど無傷のままその勢力を温存しているのであります。
戦時中における軍部、官僚がいかに軍機保護法などを乱用したか。そうしてわれわれの自由を抑圧し、言論を抑圧し、それがそもそも日本を戦争に突入せしめた最大の原因なりと考える。民主政治は言論の自由思想の自由というものを堅持しなければ有終の美をなさぬことは当然のことでありますが、かような永久法である刑法にこういうスパイ罪なんというものを新設したということは、容易ならざることだと思います。
あなたのことを私はかれこれ言うのでありませんが、いわゆる東条内閣時代の前後日本の国運を誤ったものは、軍部、官僚、財閥、この右翼団体であります。彼らがいかにわが国の進路を誤ってしまったか。
あのときには七千万か八千万の国民のほとんどが、時の強圧下にやられて、そうしてずるずると軍部官僚の独裁に追随した。だから、あなた方が多数でやることは正しいのだというならば、大東亜戦争が最も正しかった。そういう形式的な多数民主主義の論理を振り回すことは絶対に許されない。われわれ国民はいやというほどそれを体験しておる。そういう点から、われわれは第十三条の削除に反対の修正をいたしておるわけであります。
しかもその後、一般的にわれわれが考えておる協調運動の段階から満州事変以降におけるいわゆる産業平和運動、それから支那事変の段階、大東亜戦争の段階、こういう段階の進むにつれて、協調会自体の中から、従来の協調主義運動を脱皮して、別個の、つまり戦争に協力する、当時の軍部、官僚、そういう部分に協力するような新しい動きが台頭してきたと思うのです。
旧軍部と同じだとは言わないけれども、やはり日本の旧軍部の崩壊した原因かつての旧ドイツが崩壊したように、近代国家をドイツがユンカーを基礎として軍部官僚の秀才を作り上げたが、そういう促成栽培的な権力部隊というものが、かえって国家を崩壊するもろさを作った原因になったのは、やはりこの人としての信念、謙虚さ、進歩性、そういうものに欠けてきておったので、人間自体に病根があった。
ちょうど大東亜戦争前に、軍部、官僚が結託して、そうして軍部の機密費が右翼反動団体に相当流れ、天皇機関説の爆撃その他に現われて、だんだん戦争に国論を持っていった。今公安調査庁が相当の機密費を取っている。本年度もまた増額を要求しているらしい。
こういうような数々の欠点を網羅しておりまする本法案に対しては、社会党は断じて反対であり、また与党の諸君も、いずれの方々も、戦年中の軍部、官僚の全体主義の横行には辟易した経験を持っておられる方々で、今この制度を通すということは、やがてはまた日本を戦前の教育制度に戻す第一歩を踏み出すというようなことを十分お考え下さいまして、本法案の撤回を私は切に望みまして、反対討論を終る次第でございます。(拍手)
あの大東亜戦争のごときも、軍部、官僚の徒輩と、それに便乗いたしました右翼の暴力団対、それらの総力によつてあの戦争は勃発した。彼らの存在というものは、日本の民主政治発展のためには見のがすことのできないこれは存在であります。ところが吉田内閣は何かしら左翼にばかり気をとられ、そうして教育二法案だの警察法の改正だなんといつて、そういう方向にばかり頭を注いでやつておる。