1949-05-27 第5回国会 参議院 本会議 第36号
星野君によつて名指された人人が軍國主義者であるか、或いは軍國主義的な思想を持つているかいないかということに関する星野君の発言に係つております。問題は……(「違う違う」と呼ぶ者あり)若干の人々が軍國主義思想を持つているかいないかということにあるのであつて、軍國主義思想を持つておる人を軍國主義思想を持つていると呼んだことが妥当であるかないかということにあるのではないと思います。
星野君によつて名指された人人が軍國主義者であるか、或いは軍國主義的な思想を持つているかいないかということに関する星野君の発言に係つております。問題は……(「違う違う」と呼ぶ者あり)若干の人々が軍國主義思想を持つているかいないかということにあるのであつて、軍國主義思想を持つておる人を軍國主義思想を持つていると呼んだことが妥当であるかないかということにあるのではないと思います。
幸いにして私でありますからテーブルを叩きはいたしませんけれども、併しながら反動であるとか、軍國主義者である、何を以て基準にしておられるのか、この点を疑わざるを得ない。又いつも星野委員や皆さんの申上げられるように、我々の同胞が一日も早く來て貰うということを我々は念願しておるのであります。これは外の委員も皆同じであります。併しながら本年もすでにもう一ケ月は確実に遅れた。又而も何の通報もない。
絶対に帰さない人間というのはどういう者かというと、これは新聞社の政治部長の話では憲兵、特別志願將校、ハルピン学院の通訳、これは皆日本のスパイで軍國主義者の最も代表的な者だ、これは帰さん。こういうようなことが新聞社の方に命令がありました。私達はそのことは聞いております。その收容所に全部その新聞を配りまして、そうして最も親ソ分子といわれる人がその新聞を読んで解説をする。いろいろ読書会等も設けました。
つまり先程からお話を聞いておりますと、或る者は生れつき共産主義者であり、或る者は帝國主義者であるというような固定した考え方の上に立つて証人たち一同証言をやつておりますけれども、私達は捕虜になりました際はかちからの軍國主義者であります。後で段段と変つて行つたのであります。或いは早く変つた者、或いは遅く変る者、又ここまで参りましても変らない者、こういう工合にその速度が違うのであります。
曾て私は被圧迫階級の一人として、あの貴族の人々によつて、或いは帝國主義的軍國主義者によつて支配されておつた軍閥日本の下に、私たちはその手下共に、この野郎、こん畜生と言われて日夜苦しめられた來た。併しそのような時代が今過ぎて、この白亞の殿堂は決してそういうような昔の軍國主義者、或いは貴族たちの独占するところではない筈であります。この殿堂の中ではいろいろの力が闘つておると思います。
外務方面については実に練逹堪能の方でございまして、われわれも暫定條約なりその他のことは実は初耳でございますが、もしああいうようなことに相なるといたしますと、國内の余剰労働力の適正なる処理というものも問題になるとは存じますけれども、しかしこれは私の一個の見解――と申してはなんですが、見解をもしこの際申し上げることを許していただくならば、私はやはり、日本は懲罰を受けておるのであるから、侵略主義者ではない、軍國主義者
或いはかような團体が、軍國主義者、全体主義者、極右團体と相関連いたしまして、この或る場合におきまして、これが活動を開始し、以て我々が過去に嘗めたところのあの悲惨な状態に再び逆戻りするような結果を招來するということになりますれば、これは又由々しき大事であるのであります。
強制的に割当てられたものであつて、公債の消化に協力しなかつたものは、まつたく他の理由によつて行われたのであつて、公債を持つておるものが軍國主義者であるという論に至つては、実に論外であると申さなければならないのであります。むしろ國家が確認した債務を政府が一方的に履行しないということは、國際信用を傷つけることは必至であります。
敗残者とは日本の軍國主義者であるということであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)引揚者に対するところの対策は、この基点より出発しなければならないと思うのであります。(拍手)
○芦田國務大臣 ムッソリーニ、ヒトラー、東條、これらの人物が軍國主義者であり、フアッシヨであるかどうか。御見解の通り、これらの人物はそういう類型に属するものだと思います。ただし初めの方の解釈論は、野坂君の主張せられる唯物主觀論——私は不幸にして唯物主観説ではないのであります。
これがはたして東條やムッソリーニ、ヒトラーと同じような軍國主義者であり、あるいはフアッショであるというなら、これは重大な問題になると思います。これについて総理はここで簡單でよろしゆうございますからお答えは当然なさるベきだ。何もわれわれはここで理論闘爭をやつているのではありません。
少くとも日本の眞の民主化を達成するためには、この日本の軍國主義者あるいはフアツシヨ、あらゆる反動的な分子を日本から一掃いたして、眞に世界の文化國家として國際的信用の高い、文化のにおいの高い日本をつくるということがわれわれの責務であると考えます。
その中で共産党は新しいフアツシヨであるとか軍國主義者である、あるいは組合の敵である、組合運動におけるいわゆるフラクシヨン活動は絶対に排撃すべきであるというように、はつきりした日本の労働運動のあり方を指示していかれたようであります。その中で特に私の注意を引きましたことは、共産党はフラクシヨン活動を通じて、えせ民主主義をもつておるにすぎない。
而も現實にこれが適用されておるのを見ますと、戰時中においては軍國主義者であつた。ところが戰後においてそれを切換えて、そうして民主主義的な、或いは左翼的な方向へ走つた、そういう場合に適用されておるらしいのであります。
本來追放は、ポツダム宣言に言うところの、軍國主義の根絶というところから発して、極端なる國家主義者及び軍國主義者は追放すべしという原則によるべきであつて、いやしくも、追放はきわきて嚴粛であり、公正でなければなりません。その間、國民全般に一点の疑惑ももたすべき筋合のものではないのであります。われわれは、昨年の三月に、多少明朗でない追放の一端を前内閣の末期において見ておる。
先きの軍國主義者が会社に入り、御用組合を作り、その外暗黒の手段を以て労働組合の民主的発達を妨害している事実は、九月十二日占領軍総司令部の会議にも報告されておりましたし、政府はこれらの詳細を労働組合に聴くことができましよう。
併しながら問題はむしろ第三の範疇、即ち極端なる軍國主義者、暴力團、國粋主義團体、フアツシスト等を日本の政治、経済、文化の面から拂拭し、國民が安んじて平和と文化を楽しみ得る体制を作るということにあるのであると思います。この点におきまして私は政府の努力が必ずしも強力且つ十分でありませぬことを不満に感ずるのであります。特に我が國の司法警察制度は、我が國專制政治の支柱でありました。
勿論その人は、その人が意識的に軍國主義者であつた場合もあります。或いは又止むを得ずに軍國主義をやつたといいますかその職を守るために、そういう風を装つた人もある。ところが一歩を譲りまして、戰時中非常な軍國主義者であつた。そういたしましても、戰後の新しい事態によりまして、自分の過去の過ちを認めて、そうして民主主義的な運動をやる。
フランス、ベルギー、オランダ、これもファッショであるとか、軍國主義者とかいうものではない、民主主義である。しかもちやんと規定されておる。日本の特質といたしまして、天皇がわれわれの家族の父であり、われわれがその子である。渾然融和、一體をなして進んでいく。これはよろしい。よろしいが、別に國民の尊嚴、個人の尊厳を尊重するということが、この憲法の最も急所である。
この際過剰人口云々ということは一体どういうことであるか、從來我が國の軍國主義者、侵略主義者は過剰人口を口にしてその立場を弁護して來た、そういうような疑いのある言葉、これを首相が述べておる。戰爭責任を痛感していないことは先程申しました通りであります。そういうようなことからして、こういう不謹愼なことも出て來るのであります。