2006-03-17 第164回国会 衆議院 厚生労働委員会 第10号
大臣も御自身の状況をおっしゃっておられましたけれども、団塊の世代で四・幾つだったという出生率のお話もございましたけれども、私の祖母は、産めよふやせよの軍国時代でございました。六人の子供を持ちましたけれども、私が一人しか持たないことに対しましては、子供はそんなに多く産まなくたっていいんだ、とにかく大切に育てなさいというふうに励ましてもらいました。
大臣も御自身の状況をおっしゃっておられましたけれども、団塊の世代で四・幾つだったという出生率のお話もございましたけれども、私の祖母は、産めよふやせよの軍国時代でございました。六人の子供を持ちましたけれども、私が一人しか持たないことに対しましては、子供はそんなに多く産まなくたっていいんだ、とにかく大切に育てなさいというふうに励ましてもらいました。
昔の軍国時代の妻であるとか軍国時代の母であるとか軍国時代の父であるとか、そういうものとは今は時代は変わっているわけです。変わっているのだけれども、それをほうふつとさせるよう宣言動が出てきておりますよね。私は、けなげだとは思いながらまた悲しいと思います。私が親であって私の子供であったら、今は私は何と言うであろうか。
それで大正に入って大正デモクラシー、よく外国の思想とか文化を勉強して導入して、それで軍国時代に入っても、さっき申し上げたように日本人の国際性は、そのときももうちょっと欧米的でした。
個々の請願者の人々の考えや気持ちは別といたしまして、戦前、戦中のあの金鵄勲章が国外での戦争、つまり侵略戦争での武勲、武功を奨励するためのものであったこと、そしてまた軍国時代の軍隊の精神的支柱とされてきたことも否定しがたい歴史的事実であります。だからこそ一九四八年五月三日、現憲法の施行とまさに日を同じくしてこれが廃止されたのであります。 憲法前文は、御存じのようにこう述べております。
たとえばあの軍国時代に治安維持法その他政治的な治安立法で国立大学の教職を失った方がおられます。有名な学士院会員であった一橋大学教授の大塚金之助さんとかあるいは東大の教授でやはり学士院会員をやられた山田盛太郎さん、これらの方々の場合には戦後復職しておられます。
ついででございますから総務長官にもあるいは法制局長官にもお聞きしたいんですが、あの暗い軍国時代と申しますか、帝国主義時代と申しますか、私も戦争に行った一人でございますけれども、われわれのいわゆる同僚なりあるいは先輩なりが国に召されて亡くなっている、戦死している。こういう人たちを国が守らぬという手はないんですよ。
○国務大臣(山田久就君) まあ一つのお説としては承りますけども、しかしながら、いろいろな政治的な判断で入れたり入れなかったりと、これはかつて日本の軍国時代にも、違った角度で非常にそういう行政的に介入がありました。
それは、昔の軍国時代の日本には絶対してはならぬ。
何かやはり将来、どうもかつての軍国時代における要塞地帯のような形に、これがだんだんと発展していく可能性を持つんではないだろうかということを実は私は最近憂慮しております。 衆議院を一部修正で通過した直後のことであろうと思うんですが、やはり私は企業の側の姿勢も官憲の姿勢も変わってきているんではないだろうか、この種のものに対する扱い方が。
同月十三日には、豊岡公会堂に地主を集め説 明会が開催されたが、その参加者は五十人から 八十人位だったようで、会場の周辺はすべて憲 兵によってガードされていたため内容はつまび らかではないが、二、三名の農耕者の反対があっ たが、軍国時代という世相にあって、農民は国 のためでは止むを得ないということで買収に応 じたようであります。
医者の下に働いた者として、かつての軍国時代の急造成の医者が人の命をあやめた経験、これは無過失というよりは未熟でありますから、そういう経験はたくさん知っておるわけでありまして、私は困難なことであっても、国家投資をしてでも医者は十分訓練をして、一人前の医者になるまでに十人の人を殺さなければならぬというような、医者が酒を飲めば歌うような世の中の状態はやってはならぬことだと思うのであります。
かつて日本が軍国時代であったときのごとく一方的にそれをきめ、私たちの農民としての生命、自由及び幸福を根こそぎ奪おうとしております。
かつて大陸を震憾さした日本の軍国時代も軍隊においては食糧開発をやった、まあこれは携帯食糧とか何とかいって盛んにやった時代がある。しかし今日のように電電の機械が次から次へ開発されて、電電の至るところの諸君は五十の手習いをやらなきゃならぬ。五十の手習いを強要されている、強いられている。
○川村清一君 ただいまのお話にもございましたように、いわゆる昔は、軍国時代の日本において、しかも軍馬というものがその軍事目的を達成する上においてやはり重要な意味を持っておったという時代におきましては、軍馬を育成するという意味において、馬の生産、馬質改良、こういうものにずいぶん力を入れられておった。
これは軍国時代になりましたら途中で中断をいたしました。その当時は、わずかに環境改善というようなものだけを目的としてやられたもので、その当時の金で五千万円の計画がありました。おそらく物価の指数はいろいろの論点がありますでしょうけれども、実際の物価でいえば、これは千倍に当たると思います。環境改善のみで五百億、年間五十億というような計画が大正年間にすでにあったわけであります。
○池田(勇)国務大臣 昔の軍国時代とは違って、お互いにこういうようにして、防衛庁設置法につきまして議論をしておるのであります。前の時代とは私は違っておると考えるし、またそういうことはない、起こり得ないと確信いたしております。
きょうは名前をあげませんけれども、具体的に通産省のだれだれ、防衛庁のだれだれ——私データを持っておりますが、非常に暗躍をし、疑惑を招いている実例もございまするので、少なくとも日本の予算が、かつての軍国時代の臨時軍事費等にはならないように、防衛予算については、通産省も御関係がございまするので、十分なる御注意を要望して私質問を終わります。
非能率と高能率の労務者が雑居しておる、こういうお話もございましたが、一応将来非能率と高能率とを分けるということになると、これまたなかなか——体力検定だというようなことになると、昔の軍国時代の体力検定を思い出して強い反対が起ってくることは火を見るよりも明らかなんですが、一体年令構成その他がどういう形になっておるのか、わかっておれば御誤明願いたいと思います。
こういうふうな軍国時代にしばしば使われた言葉が使われておりますが、国民精神の覚醒とはどういうものであるか、伝統の恢弘とはどういうものであるか、この点を具体的に私お聞きしたいのであります。
もちろん、かつてわれわれが軍国時代のときのように、仮想敵国を持っておって、その敵国に対抗するような軍備もしくは戦力を持とうというようなことは毛頭考えておるわけじゃないのであります。従いまして、究極の日本の安全保障というものは、決して日本の力だけで、独力だけでできるものじゃない。