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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1980-10-31 第93回国会 参議院 安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 第3号

陸軍の幼年学校に入ってから、昭和二十年ポツダム宣言を受諾して日本陸海軍が解散するまで、四十年近い間の軍人生活と、大正三年ですよ、これも時代が違うんですが、青島に兵を出しましたな、あの青島出兵以来、大日本帝国といった日本がやったあらゆる事変や戦争、シベリア出兵もしかり、満州事変、支那事変、大東亜戦争しかり、ことごとく私は不思議に直接そのことに介入してまいりました。

遠藤三郎

1963-03-19 第43回国会 参議院 予算委員会 第15号

ただ、昔の軍隊と今日の軍隊の違いますのは、機動力と申しましょうか、装備力、こういうものが根本的に変わっているのでございまして、旧軍人と今日の軍人が、どこが強いか、どこが弱いかということを判断することは、少なくとも、しろうとの、軍人生活をやったことのない志賀防衛庁長官としては、判断のつきかねるところでございます。

志賀健次郎

1959-11-26 第33回国会 参議院 内閣委員会 第5号

それでまたさっき申されましたいわゆるレーダーがどれだけの能力があって、そうしてサイドワインダーはどれだけの命中率があって、ファルコンはどれだけの命中率があるか、こういうことはわれわれは航空自衛隊の幹部として今度の評価に当たりまして、そういうことをやらないで帰るというようなことは考えられないのでありまして、これは長い間軍人生活をやりました私たちが、行って飛行機だけ見て、その飛行機がどれだけ相手を落とせるだろうかということを

源田実

1958-02-25 第28回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

また体験のおもなるものは、明治四十年から昭和二十年に至るまでの軍人生活ことに大正の末期には参謀本部部員海軍軍令部参謀といたしまして、直接国防用兵作戦計画立案の任務を担当したこと、昭和二年ジュネーヴの海軍軍縮会議に列席し、次いで国際連盟全般軍縮会議準備委員といたしまして、軍縮問題に直接ぶつかったこと、また実戦の体験といたしましては、満州事変及び上海事変には参謀本部からの派遣参謀として、もしくは

遠藤三郎

1954-04-14 第19回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第2号

しかもそれが四十年間の軍人生活の結論であり信念であつてかわらない、こういうふうに拝聴いたしましたが、あのマレー戦場における軍人としてのあのお働きも、おそらく私は信念の上に立つたお働きであると、今日まで非常な敬意を持つて参つた次第でありますが、ただいまのお話を承りますと、あなたの信念が百八十度大転換をしておる。その転換されました動機について後輩として承りたいと思います。

辻政信

1949-01-10 第4回国会 参議院 法務委員会 閉会後第6号

○証人(石井春朗君) それで、初め入りましたときは、軍人生活から入りましたものですから、会社の仕事に馴れていないので、庶務で見習をやれというようなことでありまして、殆んど吉田庶務課長の命令を受けてやつておりましたけれども、当時は新聞記者なんかを各地方工場を案内しましたり、それから又庶務のいわゆる雜務というような仕事に使われておりました。

石井春朗

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