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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-04-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第8号

マッカーサーはそれを伝達した程度にすぎないのであって、いま私は日本憲法を、解釈にはいろいろあるにしても、国家基本法としての憲法を崩すことは明らかに、国連をして国連の機能を果たさせないようにするための外堀を埋めるようなものであって、ヤルタ体制における戦時中の軍事謀略協定それを生かして、米、英、ソのあの軍部が必要とした戦時中における謀略協定、それを守って、うるさい国連から今日脱出してわれわれだけの核

戸叶武

1982-03-30 第96回国会 参議院 外務委員会 第2号

あの当時から、すでに連合国イタリアの間に一九一五年にロンドン協定なる秘密協定が行われ、イタリア北亜といまのユーゴスラビアの地域の一部を割譲してやるというような参戦誘導秘密協定が存在したのに対してウッドロー・ウィルソンもそれを認めて、この戦時中の軍事謀略協定というものはわれわれは認めるわけにはいかない。

戸叶武

1981-12-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第1号

○戸叶武君 先ほど松前理事から詳細に、時間がないから詳細とも言えませんが、日ソ漁業協定に関しても質問がありましたが、今回の漁業協定に関しては、従来の方向を原則的に守ることに終始し、ソ連例もきわめて日本との関係を悪化させまいというふうに注意深い配慮はなされているようですが、領土問題はこの漁業問題のように簡単にはいかないかもしれませんけれども、やはり戦時中における軍事謀略協定を、次の平和条約を結ぶのに当

戸叶武

1981-11-12 第95回国会 参議院 外務委員会 第3号

○戸叶武君 一生懸命やっている努力を買うことにいたしますが、私はいま大切なのは、やはりいますぐに、一九四五年二月十一日、ルーズベルトチャーチルスターリンの間においてクリミアのヤルタ戦時中の軍事謀略協定として他国主権を無視して、領土ソ連に与えるというような密約を結んだ――密約じゃない、後で暴露されているが、これがポーランドなりあるいは中国なりにどれだけアメリカに対する不信感を根強く持たせているかわからないということを

戸叶武

1981-09-08 第94回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

北方領土の問題も、戦時中における軍事謀略協定としてああいうこともあり得るかもしれないが、次の平和を保障すべき条件を具備しての平和条約なら別でありますが、次に恨みを民族に残すようなゆがんだ権謀術策における条約は、みずからの責任において解消していかなければ、世界平和の新秩序について諮る資格はないのであります。日本日本

戸叶武

1979-04-26 第87回国会 参議院 外務委員会 第9号

再び戦争をしないというもりと原点に戻って、戦時中における軍事謀略協定ヤルタ協定のようなものを自主的に、ソ連だけじゃなく、アメリカなりイギリスなりが解消しなければ、次の平和を保障すべきところの平和条件が具備しないじゃないかというだけの信念を持たなければ、小商人的な駆け引きのうちに終始するならば日本は笑われてしまう。

戸叶武

1978-04-18 第84回国会 参議院 外務委員会 第15号

やはり日本固有領土だ、領土だということを明確にして、ヤルタ協定なんという戦争中のインチキ協定軍事謀略協定はわれわれは認められないんだということをはっきりソ連にもわかるように言えば、ソ連もああそうだったかと、そういう余りそれた返事はしないと思う。やはり物をはっきり言わないからわからなくなっちゃうんで、私らはクレムリンの宮殿に行ってそれをはっきり言ってきた。

戸叶武

1978-03-30 第84回国会 参議院 外務委員会 第9号

ですから、領土問題なんかとっても、自民党の中にもあるいはわれわれの党の中においてもいろいろな説がありますけれども、本当に私は政府が毅然としてこれを行うならば、国民はやはりわれわれと同じような形において、われわれ固有領土というものは、戦争に負けたがゆえに、それをソ連あるいはアメリカあるいはイギリス戦争中における軍事謀略協定ヤルタ協定によってそれを守って、そうしてわれわれの領土をも放棄しなけりゃならないなんというべらぼうな

戸叶武

1978-02-21 第84回国会 参議院 外務委員会 第3号

外務大臣も御承知のように、国際条約理念というものは何もいま新しいものではありませんが、ベルサイユ会議以後ポツダム会談あるいはその後の国際外交の面でもあらわれておりますように、他国領土戦争に勝ったからといって、戦時中に締結した軍事謀略協定によって、それを押し通そうというような形は非道な行為であって、平和条約基本的理念というものは、次の平和を保障し得べき条件を具備して平和条約を結ぶという前向きの

戸叶武

1977-12-20 第84回国会 参議院 外務委員会 第1号

に支配されるのではなく、次の平和を保障すべき条件を具備した上において平和条約は締結すべきであるという信念のもとに、いままでわれわれの平和外交というものは推し進めてきたんであり、ソ連においても、レーニンがあれほど敗戦の中から革命を断行したときにおいても、ソビエトロシア寸土だに譲らず、他国領土寸土だに取らないという気概でレーニン、リトヴィノフの外交が展開されたのが事実であるし、戦時中における軍事謀略協定

戸叶武

1977-11-22 第82回国会 参議院 外務委員会 第8号

あすこで、ねじ伏せられるであろうが、日本の全権から日本固有領土を返してもらいたいということを言い切れなかったのは、要するに、アメリカルーズベルトイギリスチャーチルとが組んで、スターリンを利用して、一九四五年二月十一日のヤルタ秘密協定戦時中の軍事謀略協定においてソ連を加わらすのに領土を与える、他国主権を無視し、アトランチックチャーターの精神も無視して、戦事中の軍事謀略協定をやった。

戸叶武

1977-04-07 第80回国会 参議院 外務委員会 第3号

ことしはもうヤルタ協定がつくられてから三十二年、あのような戦時中の軍事謀略協定によって、それが条件になって次の平和条約なんて結ばれっこはないんで、平和条約というものは、次の平和を保障すべき条件を具備して前向きにつくられるのが平和条約であって、大国が戦争に勝ったから他国固有領土を侵してもいいとか、あるいは自分たちの力で押しまくるというような力の政治も限界点に来ているんで、これはこの際における日本さえしっかりしていれば

戸叶武

1976-10-07 第78回国会 参議院 外務委員会 第1号

あってもそれが悲劇の種を持ったのであって、総明なその国による一国の指導者があったならば、たとえばウッドロー・ウィルソン級の人でもあったならば、あのようなアメリカイギリスソ連——ルーズベルトチャーチルスターリン、巨頭における戦時中の他国主権を無視して領土をも変更するような軍事謀略協定というものは、当然ベルサイユ体制が無理をしても崩壊したように、崩壊とかなんとかじゃなくて、みずからやっぱり清算

戸叶武

1975-11-13 第76回国会 参議院 外務委員会 第3号

叶武君 第一次世界大戦が終わってから後のベルサイユ体制崩壊、その後における一九三三年の国際経済首脳会議の失敗、そういうものを受けとめ、その流れの中に第二次世界戦争への突入となったのですが、第二次世界戦争終末期におけるやはり国際会議の中におけるヤルタ体制が、皆遠慮してこの問題に触れていないけれども、何といっても戦勝国になったアメリカソ連イギリス首脳者が一九四五年二月十一日における戦時中の軍事謀略協定

戸叶武

1972-04-26 第68回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

結託して、軍事戦略の上からソ連連合国に引き込むためにヤルタ秘密協定を通じて、とにかく中国なり、日本に特に迷惑をかけた、こういう問題に対するアメリカの内部からも批判があり、事実上ヤルタ秘密協定というものを——秘密協定は、日本では政府でも、私らが国会で質問すると、それは秘密協定と言わないでくれと言って、アメリカから教わったような答弁を政府当局がやっていましたが、明らかにできた当時においては戦時中の軍事謀略協定

戸叶武

1972-04-26 第68回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

クレムリン最高会議でもって説明したあとで、私は立ち上がって、とにかく日本国民感情としては、曲がりなりにも沖繩や小笠原が返還される前に、やはりソ連がせめ千島でも……、私は率直に言うならば、ヤルタ協定制約を多分にサンフランシスコ講和会議で受けていないといいながら、暗黙の間に、共同責任ソ連だけじゃなく、アメリカにもあるんだから、やはり私はその制約を受けているという観点において、ああいう戦時中の軍事謀略協定

戸叶武

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