1982-04-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第8号
マッカーサーはそれを伝達した程度にすぎないのであって、いま私は日本の憲法を、解釈にはいろいろあるにしても、国家基本法としての憲法を崩すことは明らかに、国連をして国連の機能を果たさせないようにするための外堀を埋めるようなものであって、ヤルタ体制における戦時中の軍事謀略協定、それを生かして、米、英、ソのあの軍部が必要とした戦時中における謀略協定、それを守って、うるさい国連から今日脱出してわれわれだけの核
マッカーサーはそれを伝達した程度にすぎないのであって、いま私は日本の憲法を、解釈にはいろいろあるにしても、国家基本法としての憲法を崩すことは明らかに、国連をして国連の機能を果たさせないようにするための外堀を埋めるようなものであって、ヤルタ体制における戦時中の軍事謀略協定、それを生かして、米、英、ソのあの軍部が必要とした戦時中における謀略協定、それを守って、うるさい国連から今日脱出してわれわれだけの核
いま、戦時中の軍部に圧力が加えられて、米英ソ三国の首脳のルーズベルト、チャーチルあるいはスターリンが結んだヤルタ協定どこの国連憲章とを比較するならば、ヤルタ協定は戦時中の軍事謀略協定ではありませんか。われわれは知らない。認めるわけにもいかない。
あの当時から、すでに連合国とイタリアの間に一九一五年にロンドン協定なる秘密協定が行われ、イタリアに北亜といまのユーゴスラビアの地域の一部を割譲してやるというような参戦誘導の秘密協定が存在したのに対してウッドロー・ウィルソンもそれを認めて、この戦時中の軍事謀略協定というものはわれわれは認めるわけにはいかない。
○戸叶武君 先ほど松前理事から詳細に、時間がないから詳細とも言えませんが、日ソ漁業協定に関しても質問がありましたが、今回の漁業協定に関しては、従来の方向を原則的に守ることに終始し、ソ連例もきわめて日本との関係を悪化させまいというふうに注意深い配慮はなされているようですが、領土問題はこの漁業問題のように簡単にはいかないかもしれませんけれども、やはり戦時中における軍事謀略協定を、次の平和条約を結ぶのに当
○戸叶武君 一生懸命やっている努力を買うことにいたしますが、私はいま大切なのは、やはりいますぐに、一九四五年二月十一日、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの間においてクリミアのヤルタで戦時中の軍事謀略協定として他国の主権を無視して、領土をソ連に与えるというような密約を結んだ――密約じゃない、後で暴露されているが、これがポーランドなりあるいは中国なりにどれだけアメリカに対する不信感を根強く持たせているかわからないということを
北方領土の問題も、戦時中における軍事謀略協定としてああいうこともあり得るかもしれないが、次の平和を保障すべき条件を具備しての平和条約なら別でありますが、次に恨みを民族に残すようなゆがんだ権謀術策における条約は、みずからの責任において解消していかなければ、世界平和の新秩序について諮る資格はないのであります。日本も日本。
再び戦争をしないというもりと原点に戻って、戦時中における軍事謀略協定のヤルタ協定のようなものを自主的に、ソ連だけじゃなく、アメリカなりイギリスなりが解消しなければ、次の平和を保障すべきところの平和条件が具備しないじゃないかというだけの信念を持たなければ、小商人的な駆け引きのうちに終始するならば日本は笑われてしまう。
戦時中のヤルタ秘密協定、軍事謀略協定は、アメリカが仕掛けてルーズベルト、チャーチル、スターリンによってヤルタでつくられたので、あれを変えろと私たちは叫ぶのじゃないが、あれは当然ソ連、アメリカ、イギリスの責任において解消すべきものです。
戦後三十三年を経て、いまだにヤルタ体制を固執しているソ連、戦時中のどさくさにあのような他国の領土を勝手に軍事謀略協定によってソ連に与えるような約束をしたアメリカのルーズベルトなりチャーチル、北方領土の問題はソ連だけの反省ではない。
やはり日本の固有の領土だ、領土だということを明確にして、ヤルタ協定なんという戦争中のインチキ協定、軍事謀略協定はわれわれは認められないんだということをはっきりソ連にもわかるように言えば、ソ連もああそうだったかと、そういう余りそれた返事はしないと思う。やはり物をはっきり言わないからわからなくなっちゃうんで、私らはクレムリンの宮殿に行ってそれをはっきり言ってきた。
ですから、領土問題なんかとっても、自民党の中にもあるいはわれわれの党の中においてもいろいろな説がありますけれども、本当に私は政府が毅然としてこれを行うならば、国民はやはりわれわれと同じような形において、われわれ固有の領土というものは、戦争に負けたがゆえに、それをソ連あるいはアメリカあるいはイギリスの戦争中における軍事謀略協定のヤルタ協定によってそれを守って、そうしてわれわれの領土をも放棄しなけりゃならないなんというべらぼうな
外務大臣も御承知のように、国際条約の理念というものは何もいま新しいものではありませんが、ベルサイユ会議以後ポツダム会談あるいはその後の国際外交の面でもあらわれておりますように、他国の領土を戦争に勝ったからといって、戦時中に締結した軍事謀略協定によって、それを押し通そうというような形は非道な行為であって、平和条約の基本的理念というものは、次の平和を保障し得べき条件を具備して平和条約を結ぶという前向きの
ソ連、イギリス、アメリカ共同で戦時中おける軍事謀略協定を、みずから次の平和条約をつくるべきときには解消するというのが未来の平和を保障する基本的な条件であり、姿勢じゃありませんか。
に支配されるのではなく、次の平和を保障すべき条件を具備した上において平和条約は締結すべきであるという信念のもとに、いままでわれわれの平和外交というものは推し進めてきたんであり、ソ連においても、レーニンがあれほど敗戦の中から革命を断行したときにおいても、ソビエトロシアの寸土だに譲らず、他国の領土は寸土だに取らないという気概でレーニン、リトヴィノフの外交が展開されたのが事実であるし、戦時中における軍事謀略協定
あすこで、ねじ伏せられるであろうが、日本の全権から日本固有の領土を返してもらいたいということを言い切れなかったのは、要するに、アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルとが組んで、スターリンを利用して、一九四五年二月十一日のヤルタ秘密協定、戦時中の軍事謀略協定においてソ連を加わらすのに領土を与える、他国の主権を無視し、アトランチックチャーターの精神も無視して、戦事中の軍事謀略協定をやった。
日本政府も、終戦後幾たびか、われわれが吉田内閣にも質問をしたが、戦時中の軍事謀略秘密協定ということを非常に遠慮していやがったですが、事実は戦時中における軍事謀略協定です。
ことしはもうヤルタ協定がつくられてから三十二年、あのような戦時中の軍事謀略協定によって、それが条件になって次の平和条約なんて結ばれっこはないんで、平和条約というものは、次の平和を保障すべき条件を具備して前向きにつくられるのが平和条約であって、大国が戦争に勝ったから他国の固有の領土を侵してもいいとか、あるいは自分たちの力で押しまくるというような力の政治も限界点に来ているんで、これはこの際における日本さえしっかりしていれば
あってもそれが悲劇の種を持ったのであって、総明なその国による一国の指導者があったならば、たとえばウッドロー・ウィルソン級の人でもあったならば、あのようなアメリカ、イギリス、ソ連——ルーズベルト、チャーチル、スターリン、巨頭における戦時中の他国の主権を無視して領土をも変更するような軍事謀略協定というものは、当然ベルサイユ体制が無理をしても崩壊したように、崩壊とかなんとかじゃなくて、みずからやっぱり清算
戸叶武君 第一次世界大戦が終わってから後のベルサイユ体制の崩壊、その後における一九三三年の国際経済首脳会議の失敗、そういうものを受けとめ、その流れの中に第二次世界戦争への突入となったのですが、第二次世界戦争の終末期におけるやはり国際会議の中におけるヤルタ体制が、皆遠慮してこの問題に触れていないけれども、何といっても戦勝国になったアメリカ、ソ連、イギリスの首脳者が一九四五年二月十一日における戦時中の軍事謀略協定
結託して、軍事戦略の上からソ連を連合国に引き込むためにヤルタ秘密協定を通じて、とにかく中国なり、日本に特に迷惑をかけた、こういう問題に対するアメリカの内部からも批判があり、事実上ヤルタ秘密協定というものを——秘密協定は、日本では政府でも、私らが国会で質問すると、それは秘密協定と言わないでくれと言って、アメリカから教わったような答弁を政府当局がやっていましたが、明らかにできた当時においては戦時中の軍事謀略協定
クレムリンの最高会議でもって説明したあとで、私は立ち上がって、とにかく日本の国民感情としては、曲がりなりにも沖繩や小笠原が返還される前に、やはりソ連がせめ千島でも……、私は率直に言うならば、ヤルタ協定の制約を多分にサンフランシスコ講和会議で受けていないといいながら、暗黙の間に、共同の責任はソ連だけじゃなく、アメリカにもあるんだから、やはり私はその制約を受けているという観点において、ああいう戦時中の軍事謀略協定