1988-03-24 第112回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
そして二十七年間というのは、本土から施政権が分離されて米軍の軍事施政権下に置かれた、これはさまざまな制約があったわけです。ですから、何といってもやはり物理的にもいろいろな面でも格差が大きいわけです。 それで、四十七年復帰したときに、いわゆる本土並み水準に引き上げよう、格差是正しよう、経済の自立できる基盤整備をしょうということで一次振計をつくった。しかし、それでも足りない。
そして二十七年間というのは、本土から施政権が分離されて米軍の軍事施政権下に置かれた、これはさまざまな制約があったわけです。ですから、何といってもやはり物理的にもいろいろな面でも格差が大きいわけです。 それで、四十七年復帰したときに、いわゆる本土並み水準に引き上げよう、格差是正しよう、経済の自立できる基盤整備をしょうということで一次振計をつくった。しかし、それでも足りない。
米民政府が発する布令に基づいて行なわれた軍事施政であったわけでありますけれども、県民の戦い、文字どおり血みどろの戦いによって圧政的布令は一つ一つ排除されていったのであります。このことは、沖繩の二十年を顧みるとき、だれもが等しく認めることのできる事実であります。 このような歴史を経て、今日、沖繩県民は、民主的な権利をほぼ回復するに至っております。
米民政府が発する布令に基づいて行なわれた軍事施政であったわけですけれども、県民の戦い、文字どおり血みどろの戦いによって圧政的布令は一つ一つ排除されていったのであります。このことは沖繩の二十年を顧りみるときに、だれもがひとしく認めることのできる事実なのであります。