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30件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-02-26 第186回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

この通達は、陸軍墓地厚生省への移管、それから、厚生省内の軍事保護院管理する、したがって引き続いて国有地として維持する、日本忠霊顕彰会は、全国市町村建設済み忠霊塔管理指導する機関として継続し、主務官庁厚生省とするという内容であったわけですけれども、当時の連合国司令部、GHQは、軍国主義排除政教分離という観点から、国の関与を相当嫌がったようで、結局、地方管理が丸投げされてしまったという

高木宏壽

2009-04-20 第171回国会 参議院 決算委員会 第4号

それで、昭和二十年十月二十五日に陸軍省副官は「陸軍墓地移管忠霊塔ノ処理、及ビ日本忠霊顕彰会監督ニ関スル件」という通牒を出しまして、その通牒におきまして、陸軍墓地厚生省軍事保護院移管するという具合に指示を一度しているようであります。厚生省軍事保護院とは、明治三十九年に傷痍軍人への医療職業訓練のために設置された厚生省の一部局だそうでございます。

衛藤晟一

2001-05-24 第151回国会 参議院 厚生労働委員会 第11号

これは戦前の話なんですけれども国立病院廃止したらそのときにはお返ししますという念書も、財産区の議事録とか、あるいはその一方の軍事保護院総裁の文書なんかもあるんです。地元の人たちは、もし廃止するんだったらこれを訴える、訴訟で土地は返してもらうというふうに言っています。もう大変矛盾だらけ廃止計画。私は、これは直ちに撤回すべきだというふうに思っております。

小池晃

1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

ところが、いま申し上げましたように、事態急変の中で直ちに日赤看護婦たちが引去揚げてしまうということになりますと陸海軍病院、戦後は移管されて軍事保護院厚生省医療局になったわけですが、ここでは非常に困るわけです。そこで、この政府機関から赤十字社に引き続き救護班、すなわち看護婦を派遣してもらいたいという要請が出たわけです。

金子みつ

1979-03-01 第87回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

ところが、そのような事態急変の中で、直ちに日赤救護班が引き揚げてしまうと、それまで続けられてきた旧陸海軍病院における傷病者救護の業務に重大な支障を来すため、これらの病院移管された政府機関軍事保護院並びに厚生省医療局)からの要請により、日本赤十字社では、引き続き救護班を派遣することとし、これに関する協定を取り交わした。  

平石磨作太郎

1979-03-01 第87回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

これは終戦になりまして戦闘行為が終わりますと陸海軍がもう事実上解体された、そういうところから軍事保護院ができておったわけです。そして陸海軍廃止と同時に同日廃止となっております。それと同時に第一復員省、第二復員省、これは陸海軍のことです、これができて、これがまた二十一年三月三十一日で廃止になって、内閣総理大臣がこれを継承した。

平石磨作太郎

1979-03-01 第87回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

これは「日本赤十字社社長殿」ということで「追テ陸軍病院ハ復員ト共ニ軍事保護院所管衛生機関転移スルヲ以テ其復員ノ際患者収療上引キ勤務援助必要アル場合ハ日本赤十字社社長軍事保護院総裁相互協議決定セラレ度」というのを陸軍大臣が二十年の八月二十二日に日赤社長に出している、これが一番もとになって出ておるのです。

平石磨作太郎

1973-07-19 第71回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第20号

それで、これに対しては国家が最終的には考えることでございましょうけれども、前に、たとえば戦争中に脊髄損傷患者がふえまして、私、東一に召集中に、脊髄をやられまして下半身が麻痺して車いすの生活をしているという者、こういう方は一つ収容所をつくるべきだと皆さんと一緒に運動したことがございますが、そのとき、軍事保護院、風祭にございますいまの箱根療養所というものがあって、脊髄患者さんを専属に入れておりましたが

大内正夫

1968-04-16 第58回国会 衆議院 大蔵委員会 第24号

しかしながら、百数十カ所に及ぶ現在の国立療養所は、御承知のとおり、戦時中の軍事保護院、日本医療団等施設を引き継いで発足したものでありまして、その建物のほとんどが木造であり、施設老朽化がはなはだしい状態となっておりますので、以上のような時代要請にこたえるためには、急速に、かつ計画的にその整備を促進し、近代的な医療施設をつくり、よってもって、本来の結核等医療を確保強化するとともに、重症心身障害児

山下元利

1968-04-12 第58回国会 参議院 大蔵委員会 第14号

しかしながら、現在の国立療養所施設は、戦前からありました旧軍事保護院日本医療団等施設を引き継いだ老朽木造施設が大部分を占めておりますので、以上のような要請にこたえて国立療養所が十分にその使命を果たしていくためには、これらの施設設備計画的整備を促進する必要があるのであります。  

相沢英之

1966-02-04 第51回国会 参議院 決算委員会 第3号

また、結核療養所につきましては、大部分軍事保護院あるいはその前の傷兵保護院建造物でございまして、すでに四十数カ年を経過したものが大部分でございます。したがいまして、建物木造老朽化したものが大部分でございます。御指摘のように、決して療養の環境としても十分なものではございませんし、火災あるいは事故の防止等につきましても、決して十分とは申せません。

若松栄一

1954-11-26 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第75号

そこで一点伺つておきたいのは、従来は恩給法等から漏れた人に対しては、軍事保護院とか、あるいは軍人援護会とかいうような一つの別な団体があつてこれらを補つてつたのでありまするが、現在は軍人というものはない、軍事ということもあり得ないのですから、当然遺族援護会とか、あるいは遺族保護院とでもいうような、従来の軍事保護院のような性格を持つた法律をつくる必要があると思うのであります。

中野四郎

1951-03-28 第10回国会 参議院 厚生委員会 第20号

戦時中の昭和十二、三年頃からの我が国の結核対策の総本山が軍事保護院であるというような御指摘も、私どもといたしましてはそういうふうには到底考えられないのでございまして、私どもといたしましては、勿論軍事保護院関係結核対策もいろいろ強力に策を施されたのでありますが、国民全般に対して結核対策、先ほど申上げました特に青少年に対して重点を置いて、いろいろ工場或いは学校その他に対しましても強力に結核対策を実施

山口正義

1951-03-19 第10回国会 参議院 厚生委員会 第15号

これもいわゆる軍事保護院の遺物として、あの当時の傷痍軍人療養所が今国立になつたのでありますが、患者が非常にたくさん入つておるのでありますけれども医者が非常に少い。例えば医者は二十二名の定員のうち十六名しか入つていない、それから看護婦定員が百三十二名に対して欠員が二十八名もあるというようなことであります。又雑役婦が足りない。それから病院が非常に古くなつて腐朽しておる。

有馬英二

1950-10-04 第8回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第2号

それから国立療養所軍事保護院からというものもありましようが、大体において交通不便な所だとか、そういうことからいろいろな要求をしなければなりませんが、第一には、人的関係が不整備ということであります。これはどこまで行つても一様に来る話であります。その原因は先ほど保健所についても言われたのでありますが、やはり給與を改善するということが最も急務であるというような各所の声であります。

有馬英二

1949-05-10 第5回国会 参議院 厚生委員会 第21号

從來終戰前におきましては、これらの問題につきましては主として軍事保護院の方でやつておりました関係から、一つ施設で以て一貫してこういうようなことをやるという建前を取つてつたのでありまするけれども終戰後におきましては厚生省労働省に分れまして、職業補導といつた面につきましては、これは労働省所管ということになりまして、身体障害者職業補導は、それは労働省でやる、その他の生活援護或いは医療管理といつた

木村忠二郎

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