1977-04-14 第80回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第2号
また国鉄当局の資料でも、昭和五十年調べの関節疾患、これが三千四百六十三件の中で腰椎疾患が二千八百十九件、これほども占めておりまして、とりわけ動力車、それから乗務員、車掌、軌道掛、そこでさらに七百三十六件にも及んでいるという、こういう状況であります。 そこで、国鉄当局来ておりますか。
また国鉄当局の資料でも、昭和五十年調べの関節疾患、これが三千四百六十三件の中で腰椎疾患が二千八百十九件、これほども占めておりまして、とりわけ動力車、それから乗務員、車掌、軌道掛、そこでさらに七百三十六件にも及んでいるという、こういう状況であります。 そこで、国鉄当局来ておりますか。
——今回の事故で殉職されました高田職員でございますが、昭和十九年の四月十五日に国鉄に就職して以来、軌道掛として豊富な経験の持ち主であるというふうに伺っております。また残された御家族も、四十三歳の奥さん、それから十九歳で短大に行ってらっしゃるお姉さん、それから下のお嬢さんが高校三年、こういうふうに聞きまして、本当にお気の毒なことだと思います。
この工事で宇都宮保線区の高田軌道掛員の殉職、また二十八名の重軽傷者を出した、こういう点について心からお悔やみを申し上げるとともに、重軽傷者に対するお見舞いを申し上げるわけでございます。 こういう点を考えましたときに、今度の事故に対して万全なるところの安全対策が講ぜられていたかどうか、非常に疑問を私たちは持ちます。
○内田説明員 職員の需給につきましては、御承知のように保線、いわゆる線路を補修する軌道掛、これはなかなかこういう社会情勢になりますと希望者が非常にございません。将来の見通しを考えますと、だんだん減っていく傾向である。
○内田説明員 先生も御承知のように、保線の作業というのは非常に重労働でございまして、作業環境も悪いということで将来の展望、また現在におきましても、いわゆる昔の線路工手、現在の軌道掛でございますが、このなり手がないということがございます。
第二点は、それでは残る線路の狂いを直す作業を極力機械化して、かっこうのいい機械掛、いわゆる保線機械掛という職名にいたしますと、これは軌道掛よりランクが高うございます。
それから、きのうも問題にいたしましたたとえば線路の軌道掛にいたしましても、なかなかなり手はないとおっしゃいますけれども、だから、それじゃこれを下請出そうかと、そうしますとやっぱり熟練度は落ちますし、会社に入りましても将来それで自分が管理者になるような希望がありませんと、勉強するものはありませんね。昔はちゃんと——まあいまでもそうでしょうが、現場で勉強しています。
さっきも軌道掛の話がありましたけれども、昔の話をすると笑われますけれども、入社しても給料は五割ぐらい高かったんです。最近は同じですから、なかなか軌道掛になり手がないのでしょう。そういう問題も、きめこまかに考えてもらって、しかも優秀な主星が入るような職場をつくりませんと、次の時代の国鉄は滅びてしまいます。
先生も御承知だと思いますが、線路の保守をする軌道掛というのはなかなかなり手がございません。したがって非常に魅力のある職場にするのには、やはりいい機械を入れまして、能率のいい、かっこうのいい職場にしないと、なかなか来手がないというのがわれわれの悩みでございます。
○内田説明員 軌道掛の数字につきましては、現在持っておりませんけれども、各支区は、いわゆる軌道掛が検査班の検査掛とか、そういうようなものにランクアップしておりまして、実勢力としはそう変わりないというふうに考えております。
ランクアップさせたと言っているけれども、私が聞いているのは、軌道掛の数がどうなっているかということなんです。かつては軌道掛に検査掛が入っていた。いまは検査掛というのを別につくったでしょう。それで見ますと、三百三名が軌道全体にかかっていたわけだ。これが現在では八十五名になっているわけでしょう。
それから機関士が四百七十九万、専務車掌で四百五十七万、旅客掛三百九十四万、構内掛四百四十八万、軌道掛、これは保線関係のあれですが四百十七万、用務掛三百九十九万。用務掛とか旅客掛という人たちは、職種としては一番下の職種になりますから、比較的給料が安いということで三百万台でありますが、それでも三百九十四万とか三百九十九万とかいうようなことになっておるわけです。
御承知のように、軌道強化は軌道掛、昔の線路工手をたくさん使いますので、一ぺんにたくさんの部分を着工できませんから、逐年全国にわたって着工しております。この点につきましては、特に金という面よりも人力という点で若干問題が出てくるわけでございますが、できるだけ早くこういう区間の軌道強化をやって、省力化、近代化、合理化を進めていきたい、こういうふうに考えております。
二月十三日に、国鉄職員の後藤という軌道掛の職員以下七名――職員が三名、臨時雇い四名が上石見-生山間八十九キロ四十三メートル付近で、タイタンパーによって枕木移動後の突き固め作業を行なっていた。九二一列車が約三十二分おくれていたので、列車状況については十分注意していた。当日の列車見張り員の斉木国鉄職員は、十三時四十分、午後一時四十分であります。上石見駅の田中当務駅長に列車運転状況を問い合わした。
いま先生のおっしゃった後藤軌道掛はそのうちの一人でございますが、この十名のものを連れてまいりましたときに、十分駅と打ち合わせいたしまして、きょうは列車が乱れているからということも知って現地に行ったというふうに報告に参っております。
そこに書いてございますとおり軌道作業長以下三名が米子方の橋梁の上、それから後藤軌道掛以下七名が岡山のほうに寄ったところで道床のつき固め作業を行なっておりました。
最後に、職員の作業方不良という、これも多少なれませんための事故が二、三件ございましたが、そのほかに過般の静岡付近の作業員の死傷事故、これはたいへん遺憾な事故でございましたが、私どもといたしましては、毎朝初列車の運転直前に確認車というものを走らしておりますが、この確認車に専門の軌道を見る軌道掛を二名乗せまして、そうして夜中じゅうの線路保守作業の結果を確認車で全部チェックいたします。