2011-05-18 第177回国会 参議院 共生社会・地域活性化に関する調査会 第5号
現地では、同社の事業概要の説明を受けた後、車椅子に座ったままで入浴できる特殊入浴装置等を視察し、派遣委員からは、入浴装置への温泉の利用、介護機器開発と介護現場の意見の反映等について質疑が行われました。 我が国においては、少子高齢化が進む中、地域社会をどのようにして活性化させるかが重要な課題の一つとなっております。二日間という限られた時間ではありましたが、充実した調査を行うことができました。
現地では、同社の事業概要の説明を受けた後、車椅子に座ったままで入浴できる特殊入浴装置等を視察し、派遣委員からは、入浴装置への温泉の利用、介護機器開発と介護現場の意見の反映等について質疑が行われました。 我が国においては、少子高齢化が進む中、地域社会をどのようにして活性化させるかが重要な課題の一つとなっております。二日間という限られた時間ではありましたが、充実した調査を行うことができました。
そこで、厚生労働大臣からお話がありましたような基準に従ってこの仮設住宅の建設もしているところでありますが、車椅子用のスロープあるいはバリアフリー化というのも考えて仮設住宅を造っているところであります。
今回も、これは岩手の難病の方でございますけれども、まだ行方不明になっていらっしゃる御両親でございますけれども、十分間、車椅子を含めて移動しようと思った中で津波に来たということで、その息子の方が、避難に時間が掛かる、難病患者の避難計画があれば、悔しいと、このように息子さんが言われている記事が載っておりました。
東京都でも、避難所設置の当初は食事の提供がなく、また自立ということを条件にしたためか、車椅子の高齢者が現に東京武道館にいらしたんですけれども、ほかの方と同じマットレス一枚の提供と、介護のニーズの聞き取りもされていませんでした。
これは、聴覚障害、踏切の音が聞こえなかったということなんでしょうが、聴覚障害の方が一件、それから肢体不自由の方、車椅子かもしれませんが、の方が一件。 全国の数字ではありませんけれども、JR西日本管内の数字がちょっとありまして、平成二十一年度全体では四十九件の事故のうち、六十歳以上の高齢者が二十一件、つまり四割は高齢者の事故であったというのがJR西日本の出した数字の中にありました。
○長沢広明君 どうしてもバリアフリーというとエレベーターだとかエスカレーターだというふうになっちゃうんですが、本当に車椅子の方とか、あるいは乳母車を押しているお母さんとかからすると、できるだけ急角度な坂とかそういうものをなくしてもらいたいとか、ちょっと渡るところを少し広げてもらいたいとか、通路をですね、広げてほしいとか。
今御指摘を賜りましたけれども、改めて車椅子ですとか歩行が困難の方々にとっては踏切どうなのかと、そういう観点から踏切を総点検をすると、こういう方向で対処していきたいと思います。
寝たきりの高齢者が体育館に雑魚寝で、車椅子の方々が身動きもできないほどの状態で座ったままと。実は、この記事を見たBBCの取材陣がクレージーだと、こういう声も上げたと聞いています。阪神大震災のときにも、避難所が暖かいかどうか、これがその後の死亡率を変えてしまった、こういう調査もあると聞いています。是非、被災地外の病院も避難所として活用していくと、こういう対策が求められていると思います。
当時、自宅には車椅子生活の夫が在宅しておりましたが、通りがかりの中学生に助けられて無事でした。火災保険は掛けられていませんでした。 家が全焼したにもかかわらず、この保護司には、全国の保護司でつくる互助共済から十万円が支払われただけでありました。全国の保護司の皆様方が見舞金を募って二千六百万円、そして、法務省、全国の保護観察所の皆さんが四百万円という、合計三千万円の見舞金が届けられました。
じゃ、どういうふうにするかといいますと、なるべく自宅で支える、ナースとホームヘルパーが誇りを膨らませるプロである、ただ単におむつを取り替えるとか、車椅子に座らせるという人ではないということでした。 それから、国でやるのではなくて、市町村や現場に権限や責任を下ろすということでした。ヘルパーさんはプロですから、目は離さないけれども手は出さない。
日本の家屋が狭いのは困ったことだと私はかつて思っていたんですけれども、それは車椅子がうまく動かないので。ところが、実際やってみますと、狭くていろんなところに手掛かりがあるものですから、そういうものを伝い歩きしながら歩いておりまして、もう病院から戻ってきたらどんどん自分の力が付いてまいりました。
五 移動等円滑化に係る措置が講じられた施設を高齢者、障害者等が利用する場合において、公共交通事業者等や特定建築物の所有者、管理者又は占有者が、標準形電動車椅子、ハンドル形電動車椅子その他の高齢者、障害者等が移動のために用いる用具を使用することを正当な理由なく拒むことのないよう、適切に指導すること。
私は、またその後、筋ジストロフィーの患者の方々が実際に御自分たちの限られた命の中でどう考えているのかということを「車椅子の青春」「さよならの日日」という映画に制作いたしまして、これもまた大きな反響を得て、障害に対しての認識、また病気に対しての深い理解につながったと認識しております。 また、浅野宮城県知事が就任されてからは、宮城県の福祉がどんどん前に進んでまいりました。
私もこの本の中に「車椅子マークのない日本へ」というのを書いているページもあるんですけれども、もう一つ私が大きなメリットがあると思えるのは、実は観光です。私はよく海外からのお客様をたくさんお迎えするんですが、みんな巨大な荷物を持ってやってくるんですね。とってもトランクを持って日本の国内を動くのが大変だとおっしゃることが多い。
老い先わずかを感じます今日、医薬品機構法に基づく、障害年金基金の申請嘆願を平成十二年七月に、医薬品機構及び当時の津島厚生大臣あて、そして、平成十三年十月十日、友人が懸命に集めてくださった八万三千六百二十七名さまの署名簿を持って、座ることもできない娘を車椅子にくくりつけて、国会に参上いたしました。
高いお金を出して車椅子を買っても、はたしてのれるようになれるか自信はなかったが、婦長さんが、 「あなたに合う車椅子を先生がたが探していてくださっていますから楽しみにしていなさいよ」 と言ってくれた。私は体の血の量が倍ぐらいふえたのではないかと思えるほど、うれしさで体がほてるような感じがした。 そして、どこからか力がわいてくるような気がした。 ちょっと略をいたします。
例えば、バリアフリーの関係でいきますと、スロープ板つきのバスが今比較的ふえてきておりますけれども、これによって車椅子などが乗降できるわけでございます。
光野さんは一九八五年にスウェーデンに行ったときのことを書いておりますが、 スウェーデンを視察した人たちは、口をそろえたように「スウェーデンの街づくりは、車椅子のためになされている」と報告した。それに対し変人のぼくは「?」をつけ、こう付け加えたい。「じつは、なんと乳母車のための街づくりだったのだ!」それが証拠に、あちこちに乳母車マークが目につく。車椅子マークより断然多い。
病院から車椅子で登校したり、点滴をつけて登校する生徒もいます。 急にたおれる人もいます。それでも看護婦さんの協力をえて、大急ぎで病院に帰って治療をします。 病院と学校がもし離れてしまってはすぐに治療ができません。病気なんて時間や都合などに合わせてくれないんです。 こういうふうに書いてあるのです。 それから養護学校にはベッド学習という授業もあります。
こちらにも、車椅子に乗った方もありましたり、また大きな荷物を提げている方もある。エスカレーターのほかに、中央のところにガラスの円筒形のエレベーターがある。そして、全体に非常にこれも開放的な明るい建物を想定しております。言ってみれば、海外から来た方たちまたは国内から来た方たちもここが一つの玄関口になるといった新しい都市のイメージを考えております。
また、高齢者や障害者の移動を支援するため、操作しやすい車椅子や移動の不便を感じさせない道路、駅等の交通機関のあり方について、科学技術の観点からも検討する必要がある。」、こういうふうに言われております。 それで、また具体的な提言としてこの中にも幾つか挙げられております。
〔委員長退席、理事伊江朝雄君着席〕 研究会報告書をもう少し読み進むと、「重度の障害を有する高齢者であっても、例えば、車椅子で外出し、好きな買い物ができ、友人に会い、地域社会の一員として様々な活動に参加するなど、自分の生活を楽しむことができるような」云々と書いてあるんですね。私はむしろこのあたりに本質があるというふうな気がするんです。
五 お客様にサービス・車椅子の取扱い等を明確に説明しましょう。」、こういうふうに大変すばらしい心得がある。 ただ、残念なことにストレッチャーに関しては全然ここに載ってない。別に私はJALを批判しようとは思っていません。しかし、何か一つ足りないんですね、これだけでは。ですから、こういった方々、ハードとソフトの面でこれからどういうようなサービスができるのか、どういうふうなお考えをお持ちでしょうか。