1973-03-06 第71回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号
私から見ると、事故が起きてから後手後手に、チンチンをつけたり遮断機をつけたりして、見ているとあとになってやっていくのだが、住民運動もこれありだろうと思うのだが、踏切というのは一番理想なのは、交通量がなくても踏切手がずっといるのが一番理想です。これはだれしもわかる。これがなかなか許されぬから、せいぜいチンチンをつけたり、いよいよになったら無人だ、こういう比率は、踏切の数はどんなものですか。
私から見ると、事故が起きてから後手後手に、チンチンをつけたり遮断機をつけたりして、見ているとあとになってやっていくのだが、住民運動もこれありだろうと思うのだが、踏切というのは一番理想なのは、交通量がなくても踏切手がずっといるのが一番理想です。これはだれしもわかる。これがなかなか許されぬから、せいぜいチンチンをつけたり、いよいよになったら無人だ、こういう比率は、踏切の数はどんなものですか。
常務としては、やはりこれだけの交通量ならこれだけの遮断機——遮断機ばかりじゃなく、踏切手も必要なんだというように痛感しておるのか、それとも遮断機、チンチンだけでいいのか、あるいは片方、半分の遮断機、これだけでいい、こういうような考え方でいるのか。それとも、やはりこれだけの交通量になったんだから、金がかかるかもしれぬが、踏切には踏切手が必要だという方向で検討しているのか、どっちなんです。
先ほどちょっと触れました事故の原因別の状況を申し上げますと、直前横断の構成率が六五・九%、遮断機突破等、の停止すべきにかかわらず無理に突っ込んだというようなものが四・六%というふうになっておりまして、それから運転の誤りによりますのが一九%、鉄道側の責任に帰しますもの、たとえば踏切手の誤りというようなものが 〇・九%、一%足らずでございます。その他九・六%ということになっておりました。
そこで、もっと進めば、私は、鉄道の踏切手、こういうことが昔から——最近、国鉄にせよ、政府にしても、だいぶ人を尊重してきましたけれども、昔は踏切番だとこう言う。