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169件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-03-22 第204回国会 参議院 環境委員会 第3号

一番最初日本でもこの環境が取り沙汰されたのは、やはり公害問題、足尾銅山公害、こういうところから始まっているんだと思います。環境が悪化、産業の発達に伴って環境が悪化して、それが人的被害まで及びまして、それが社会での問題となって課題となった。これに対処するために、様々な規制や技術開発、こういったもので克服した経緯がございます。  

三木亨

2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号

まだその原因というのは私は詳細には確認をしておりませんが、いずれにしても、これから、自然と共生をして経済環境一つになる、こういった時代が来る中で、先生が取り組んでおられるこの足尾銅山跡地森づくりプロジェクト宮脇先生も関わられているということで、私も、東日本大震災の復興の過程で、宮城県で一緒に植樹をさせていただいたこともあります。  

小泉進次郎

2018-06-08 第196回国会 衆議院 環境委員会 第10号

一次的マイクロプラスチックというのは、海洋中にあるのは全体からすれば一%なので、まだまだ見かけが少ないかもしれませんが、例えば、一例を言えば、最初の大被害であった公害足尾銅山なんかも、大臣、あのころは環境省があれしておりましたけれども、百年たった今でもいろいろな問題が残っているんですね。でも、最初の段階から入っていっていれば大きな被害にならなかったなと。

下条みつ

2017-03-09 第193回国会 参議院 環境委員会 第3号

これは環境委員会ですからEということにしますが、我が国においては足尾銅山鉱毒事件から始まり、戦後の四大公害から現在の東電の福島の原子力発電所、そういった環境に対する大きな負荷といいますか、そういったものを企業の経済活動が結果として与えてしまったと。それによる外部経済性がそれまでの稼いできた利益を帳消しにする、それどころか逆に大きな損失を生んでしまうと。

二之湯武史

2004-02-24 第159回国会 衆議院 予算委員会 第16号

そこで、大臣にあともう一つ申し上げれば、今大臣のお言葉にありましたが、足尾銅山で働いた方々、既に七十代、八十代となっておられますが、決してそこにもういないわけではございません。そして、そういう労災病院の機能をどこか専門的、集中的に、例えば北海道美唄の方に持っていこうと思っても、患者さんはそこに持っていくわけにはいきません。足尾の山奥から美唄まで運ぶわけにも送るわけにもいかない。

阿部知子

2004-02-24 第159回国会 衆議院 予算委員会 第16号

きょう、大臣のお手元に、この統廃合の対象になりました栃木県の珪肺病院、いわゆる日光とか鬼怒川とか川治という温泉地域にございます珪肺病院で、昔は足尾銅山採掘、あるいは、その近辺一帯、鉱業の盛んなところでございましたから、そこで生じた珪肺病院が廃止されると去年の十二月伝えられたということで、きょう、地域の約十一万人の方の中から五万五千三百六十三名でございましたか、大臣にあててこのような要望書が出されてございますが

阿部知子

2003-03-27 第156回国会 参議院 環境委員会 第5号

我が国におきましては、古くは足尾銅山鉱毒事件でありますとか、あるいは昭和三十年代、四十年代に特に顕著でありました大気汚染あるいは水質汚濁に伴う公害の発生ということがあったわけでありますけれども、まず最初に、我が国における公害の歴史といいましょうか、の概括について総括をしたお話をいただきたいと思います。

小泉顕雄

2001-10-30 第153回国会 参議院 環境委員会 第2号

ども栃木県は、明治三十四年、有名な田中正造がいわゆる直訴をして、足尾銅山の鉱毒問題について明治天皇に直訴した、それからちょうどことしは百年を迎えるわけでありますが、そういう中で私どもの県では、特に渡良瀬遊水地などの広大な湿地の再生を目指していろんな活動を、今NGOを含めて、自治体も含めて、あるいは国土交通省も含めて取り組まれようといたしております。  

谷博之

2000-08-08 第149回国会 衆議院 厚生委員会 第2号

このお二人の理念といいますか、それをこの社史の中から酌み取りますれば、特に黒澤氏は足尾銅山鉱毒事件被害に遭われた農民方々に対して農民救済運動という形で若いころ活躍をされた方でありますので、その方の理念といいますのは、北海道でありますから、デンマーク農業を通して、酪農を通して農地を豊かにしていく、健土健民、豊かな農地をつくり、豊かな農民をつくっていくという理念のもとでの雪印、組合の設立であったのかな

吉野正芳

1998-03-02 第142回国会 衆議院 予算委員会 第16号

御承知のように、足尾銅山鉱害の問題で、渡良瀬川流域住民の立場に立って、必死になってその対策を訴え求めて、頑張ってこられた栃木県の先人でございます。義人とも言われている方でございますけれども、その田中正造は、真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし、こういう言葉を残しております。  

小林守

1997-04-22 第140回国会 衆議院 環境委員会 第6号

また、今まで日本経験をしてまいりました水俣の問題、それから足尾銅山の問題、さまざまな公害にやられました経験というものは、公害対策先進国として、これは途上国公害対策環境保全対策に対して十分に生かしていく必要があると思いますし、ODAの関係もありますけれども、その中でさらに前向きに取り組んでいくべきであるというふうに考えております。

石井道子

1997-02-26 第140回国会 参議院 環境特別委員会 第3号

かつて足尾銅山のはげ山の修復などの問題もありました。みんな同じような問題を抱えています。この陶土採掘跡地に見られるように、木の伐採、開発陶土採掘のもたらす問題というのは、地方だけに処理を任せるのは無理がございます。環境庁として、このような事態に至った環境調査を独自にお願いしたいと思いますが、大臣、いかがでしょうか。

末広まきこ

1994-10-28 第131回国会 衆議院 環境委員会 第2号

渡良瀬遊水池の問題は、足尾銅山の中で有名な田中正造翁が非常に頑張ってきて、谷中村という村を一つあそこから陸に上げて、そしてそこに三千三百ヘクタールの遊水地をつくった。ここに建設省が一期工事、二期工事、三期工事という工事を区画をしておりますが、一期工事ができ上がって二期、三期は今準備中ですね。

竹内猛