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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

川島分科員 次に、国道四百二十号でございますが、これは足助、下山等過疎地道路が存在しているわけでございますが、昨年の暮れに五区の村田代議士とともに大臣大蔵大臣にもずっと陳情させていただいたわけでございますが、トンネル等の整備がなされているところでございますが、その完成見通し等についてお伺いをしておきたいと思います。

川島實

1976-10-14 第78回国会 参議院 社会労働委員会 第2号

就任の前の九月四日に愛知県の足助町の役場で開かれた演説会で、次のような演説を行っておられる。これはわが党に対しても聴衆の中からけしからぬということで実は幾つも通報があったわけでございますが、その中身は、田中角榮前総理が外為法で逮捕されたが、外為法違反というのは形式犯で、たとえば足助たんぼで立ち小便をするようなものだというふうなことを言っておられる。

沓脱タケ子

1972-08-09 第69回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第2号

そのように税収入はほとんど期待できなくなったこの山村僻地小原藤岡や旭だとかあるいはまた足助こうしたその財政状態を見て、当然国や県の事業でもあるけれども、村独自の不可欠なやらなければならない仕事があるわけです。これらを消化するためにはどうしても長期の、そうしてあるかないかわからないぐらいの低利の復興資金が私は必要になってくる。いわゆる立ち上がり資金ですね。

須原昭二

1972-08-09 第69回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第2号

そこで私はお尋ねをいたしたいのは、小原中心にしてというその範囲ですね、範囲がたとえば愛知の西三河でいうならば、一番ひどかった小原藤岡中心に、さらにまた旭町の中で岐阜県から越県合併をいたしました三濃という部落、あるいはまた足助、豊田の一部、そうしたものがありますが、さらに東濃地方におきましては明智瑞浪、たくさんのところがございますが、はたしてこれを激甚地指定をするとおっしゃいました概念はどこをさしておられるのか

須原昭二

1972-07-27 第69回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号

視察個所は、七月二十日、愛知県西加茂郡藤岡村、同じく小原村、東加茂郡旭町、同じく足助町及び豊田市であります。翌二十一日、岐阜瑞浪市恵那郡明智町でありますが、時間の関係上、被災状況及び県、市町村の要望事項等詳細につきましては、委員長のお手元に報告書を提出いたしておりますので、これを本日の委員会議録に掲載していただき、それを御参照願いたいと存じます。  

内藤良平

1970-03-20 第63回国会 参議院 決算委員会 第3号

政府委員蓑輪健二郎君) この監査の報告に指摘されております愛知県の一五三号の足助町の道路改良工事でございます。これについては、道路改良工事の中で、将来舗装をやりますため下層路盤、これに切り込み砕石を厚さ三十センチで敷くようになっております。それが三十センチ敷きますと、切り込み砕石が、総量三千百六十四立方メートルになる。そういう契約の内容でございます。

蓑輪健二郎

1954-05-27 第19回国会 衆議院 人事委員会 第23号

有田喜一紹介)(第一二四五号) 二四〇 兵庫柏原町の地域給引上げ請願(有    田喜一紹介)(第一二四六号) 二四一 兵庫味間西古佐地域給指定に関す    る請願有田喜一紹介)(第一二四七    号) 二四二 新潟高田市の審冷地手当引上げ請願    (櫻井奎夫君紹介)(第一二四八号) 二四三 千葉片貝町の地域給指定に関する請願    (寺島隆太郎紹介)(第一二九一号) 二四四 愛知足助

会議録情報

1954-02-26 第19回国会 衆議院 人事委員会 第2号

兵庫県久下村の地域給指定に関する請願有田  喜一紹介)(第一二四五号)  兵庫柏原町の地域給引上げ請願有田喜一  君紹介)(第一二四六号)  兵庫味間西古佐地域給指定に関する請願  (有田喜一紹介)(第一二四七号)  新潟高田市の寒冷地手当引上げ請願櫻井  奎夫君紹介)(第一二四八号)  千葉片貝町の地域給指定に関する請願寺島  隆大郎君紹介)(第一二九一号)  愛知足助

会議録情報

1949-05-17 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第21号

それで私どもの希望いたしますところでは、東加茂足助町というところまで、鉄道を延長させてもらいたいと思います。そのキロ数は十キロでありまして、二里半であります。すでにそのうち半分は用地がも貰つてあるのでありまして、戦争前にこれがあつたのでありますが、戦争中レールがないというわけで名古屋鉄道は遠慮いたして、今日までたつておるのであります。

三宅則義

1949-05-17 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第21号

藤井説明員 この鉄道名古屋鉄道株式会社の知立、西中金間終端西中金駅より足助に至る延長約八キロの線路でありまして、沿線は林産、農業等の物資の豊富なところであります。経過地は一貫して縣道に沿い、石野及び盛岡両村を経て、足助に至る線路でありまして、地勢ははおおむね平坦であつて、大した建造物もない、施工はきわめて容易の見込みであります。なお本区間名古屋鉄道建設工事施工認可区間であります。

藤井松太郎

1949-05-06 第5回国会 衆議院 建設委員会 第12号

派遣委員一行は、二十日夜行にて名古屋に向い、翌二十一日早朝名古屋に到着、建設省側より内海政務次官伊藤中部地建局長利水課伊藤技官道路企画課及川技官並びに關田事務官愛知長野縣関係官の出迎えを受け、ただちに名古屋長野新潟線愛知懸側の補修改築情況、その他愛知縣下建設関係事項を聽取いたし、名古屋より挙母足助伊勢神峠を越し、長野縣に入り、浪合、駒場、飯田へと、第日目において約百四十四キロを踏破

松井豊吉

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