1979-02-22 第87回国会 衆議院 逓信委員会 第3号
に申しますと、南極観測と申しますのは国の関係各機関が協力をして実施するものでございまして、南極観測におきます通信の連絡というものは、観測隊の行動及び観測成果に多大の影響を及ぼしますほか、観測予算の制約もございますので、この南極観測隊及び越冬隊につきまして、日本を出発する日から帰着する日までの間の期間を限りまして、かつ観測に関する事項ということに範囲を限りまして、またこれを使える者は観測隊長または越冬隊長
に申しますと、南極観測と申しますのは国の関係各機関が協力をして実施するものでございまして、南極観測におきます通信の連絡というものは、観測隊の行動及び観測成果に多大の影響を及ぼしますほか、観測予算の制約もございますので、この南極観測隊及び越冬隊につきまして、日本を出発する日から帰着する日までの間の期間を限りまして、かつ観測に関する事項ということに範囲を限りまして、またこれを使える者は観測隊長または越冬隊長
もう一つは、あの南極の越冬隊長の西堀栄三郎さん、これは原子力開発事業団の元理事、この方が「むつ」の定係港をきめるときに、あそこに出てきて五十何回集会を開いて、むつの市民と漁民に何と言ったかと思うと、「原子力をおそれる者は火をおそれる野獣のようなもの」これが西堀理事、こういう形で皆さんが発言してきたわけです。
科学技術庁原子 力局長 梅澤 邦臣君 事務局側 常任委員会専門 員 渡辺 猛君 常任委員会専門 員 小田橋貞寿君 説明員 文部省大学学術 局国際学術課長 七田 基弘君 参考人 第九次南極地域 観測越冬隊長
○委員長(宮崎正義君) それでは、第九次南極地域観測越冬隊長の村山雅美君が参考人としてお見えになっておりますので、南極観測について御意見を聴取することにいたします。 村山参考人には、御多用中にもかかわらず本委員会に御出席をされ、まことに感謝にたえません。時間の都合もありますので、二、三十分程度御意見を述べていただき、それから質疑に入りたいと存じます。
参議院の文教委員会の皆さま方から非常な御支援を得て、九月の二十八日に出発した村山雅美越冬隊長を長とする十一名の内陸調査旅行隊は、十二月の十六日夕刻南極点から約二十キロメートルの地点に到着したという報告がございました。同調査隊は、日本時間十九日朝同地点を出発いたしまして、午前十一時に、南極点に到着する予定でございます。
それは現地の状況によって越冬隊長の判断にまかす。そういうことで私は武藤越冬隊長にいわばオペレーションオーダーというものを置いてまいってきておるわけでございます。 いずれにしましても、極地に行きますと緯度が狭まっておりますから、ちょっとボストークに回りましてもそれほど遠回りではない、そういうようなことがございますので、その辺は相当伸縮性があるようなルートのとり方ができると思います。
日本の調査区域は、国際的に承認されておるのが日本の領度の二倍、六回行っている間に四回越冬したのですが、そのうち九月から四月までは夜のない昼間の国でありますが、その間に一昨年の十一月に村山越冬隊長が、やはりサウス・ポールを目ざして雪上車で行きましたけれども、七十五度の線で戻ってきた。ということは、雪上車は零下五十三度になりますると、ばらばらに蛇腹がくずれる。
そこで、先般長谷川、中曽根両委員が村山前越冬隊長とともに南極基地の実情をつぶさに観測され、その必要性を痛感されてこられたわけでございます。この際、政府側と申しますか、南極観測本部におきましても会合を開きまして、その御趣旨を体しまして、また科学技術特別委員会の御決議の趣旨も体しまして、ともかくおそまきながら要求を出したわけでございます。と申しますのは、四十八億という金は相当多額な金でございます。
そこで私は、この際特に一つお考え置きを願いたいことは、昭和基地が閉鎖したのは、ことしの二月の八日、村山越冬隊長がメイン・スイッチを切ったときに一つだけ残してきた。それは自動計器です。一本の柱にとりつけられた自動計器に風圧、風速、気温、風向、そういうものがオートマティックで計算されるものを残した。このテープは四百日分、来年の二、三月で切れる。
○齋藤(憲)委員 第五次南極地域観測隊越冬隊長として、村山さんは第二回目の重責をお果たしになってお帰りになったわけでありますが、国民の一人といたしまして、まことに御苦労千万で、厚く御礼を申し上げる次第でございます。 ただいまいろいろ御説明を賜わりましたが、未知の世界に対して、しろうとのわれわれはちょうだいしたグラフあるいは映画等によってわずかに南極の実態というものを知るだけであります。
やはり村山越冬隊長の申されるように、また文部大臣の申されますにも、繰り返し申し上げれば、輸送関係機関の整備、またこれを推進実施していくに必要な事務的機構及びその内容の整備、こういうことがあるわけであります。
昨二十二日の本委員会の決議に基づき、これより南極地域観測に関する問題について、昨年から一年間余にわたり南極地域において越冬観測を行なわれました第五次南極地域観測隊越冬隊長村山雅美君から、参考人として南極観測の状況等について御説明を承ることといたします。 この際、村山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
すなわち、南極地域観測に関する問題について、明二十三日午後三時より、第五次南極観測隊越冬隊長村山雅美君を参考人と決定し、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
西堀越冬隊長にいろいろな話を聞きますと、日本が獲得いたしました昭和基地は、南極における最もすぐれた基地であって、ここに日本が足をとどめて南極の調査を総合的に進めていく、将来に対して非常に大きな国際的な力がここから生まれてくるのではないかというようなことを私も聞きまして、たとえ地球観測年が終わりましても、世界はあげて、今度は宇宙観測年に入っておるわけでありますから、日本も宇宙開発という建前から、こういう
去る六日の委員会における協議に従い南極地域観測隊の永田隊長、松本船長及び村山越冬隊長にあて、次の通りそれぞれ祝電を送りました。 永田隊長、松本船長あてに 越冬隊残留につき予期以上の成功をおさめられ、大賀の至りに存じます。全国民を 代表して、はるかに御一行の御健勝を祈念し、無事御帰国の日を鶴首してお待ち申し 上げます。
そこで永田隊長、松本船長、それから村山越冬隊長あてに、本委員会の決議をもって祝意とあわせて御成功に対する御慰労の電報を委員長の名前で打ちたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
ことに西堀越冬隊長初め、越冬隊の皆様の御労苦を謝し、永田隊長初め宗谷の皆様に対しても、その御苦心のほどを感謝する次第でございます。
○佐藤(觀)委員 西堀越冬隊長に、もう一点だけ最後にお伺いしたいと思うのですが、一年間越冬隊十一人で苦労されたことを思い、いろいろその後週刊雑誌、新聞などに、あのときのいろいろな話が出て、われわれ読んで、想像もできないようなことだと考えておるわけですが、この一年間の苦労はやはり将来の日本の南極観測についていろいろ参考になり、これが根となって将来の日本の発展に資するところが多かろうと思いますが、この一年間
去る二十四日南極地域観測の長途を終えて、本隊に先だって帰国されました本観測隊長永田武君、越冬隊長西堀栄三郎君及び宗谷航海長山本順一君を本委員会に参考人として招致し、南極地域観測の実情を聴取し、本観測越冬計画の放棄と今後の対策について意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
しかし、昨晩もいろいろ越冬隊長に聞いた話ですが、要するに、いろいろ考えておかなければならぬことは、これは私は考えさせられたのです。冗談みたいな話ですけれども、一番困難なところを相手にして、そうして氷を割って行く。ところが下を行けば、潜水艦で下を行けば、何の障害もなくて行ける。上を行けば、空気、風は多少あるけれども何でもない。であるから、こういう点も一つ研究せなけりゃならぬ。
それから今お話の、熱意のあまり、永田隊長とかあるいは西堀越冬隊長、こういう留守宅にまで非常に強い要望が出ておるというのは事実でございまして、これにつきましては、先般、一昨日でございましたか、報道関係の方々の御協力を得まして、今申しましたような実情であることも十分それらの方々にわかっていただきますように、報道関係の方々に協力をお願いしたようなわけでございます。
第一番に、西堀越冬隊長がアメリカへ事情調査に出がけたときに、アメリカ探検隊の人から、南極へ行くのならば、南極へ行ったことのある経験者をガイドに連れていったらどうかというお話があって、シュロスバッハという人が紹介された。これはかつてバード隊について南極に数回行っておる。こういう人をガイドに連れていこうという意見があったにもかかわらず、本部においてこれを採用しなかったのは、一体どういう意味が。
すなわち、当時民間におられました西堀現越冬隊長を京都大学の教授に、佐伯隊員を北大の助手にしたのもこのためであると聞いております。このほか、鈴木康氏は日本開発銀行員であったし、朝比奈菊雄氏は武田薬品社員であったと思いますが、すべて文部省の技術雇員に採用、公務員にした上で南極予備観測隊員に委嘱しました。しかしこれはあくまで書面だけの辞令であります。