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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1979-02-22 第87回国会 衆議院 逓信委員会 第3号

に申しますと、南極観測と申しますのは国の関係機関協力をして実施するものでございまして、南極観測におきます通信の連絡というものは、観測隊の行動及び観測成果に多大の影響を及ぼしますほか、観測予算の制約もございますので、この南極観測隊及び越冬隊につきまして、日本を出発する日から帰着する日までの間の期間を限りまして、かつ観測に関する事項ということに範囲を限りまして、またこれを使える者は観測隊長または越冬隊長

西井昭

1974-09-10 第73回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第2号

もう一つは、あの南極越冬隊長西堀栄三郎さん、これは原子力開発事業団の元理事、この方が「むつ」の定係港をきめるときに、あそこに出てきて五十何回集会を開いて、むつの市民と漁民に何と言ったかと思うと、「原子力をおそれる者は火をおそれる野獣のようなもの」これが西堀理事、こういう形で皆さんが発言してきたわけです。  

津川武一

1969-04-18 第61回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第6号

       科学技術庁原子        力局長      梅澤 邦臣君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君        常任委員会専門        員        小田橋貞寿君    説明員        文部省大学学術        局国際学術課長  七田 基弘君    参考人        第九次南極地域        観測越冬隊長

会議録情報

1969-04-18 第61回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第6号

委員長宮崎正義君) それでは、第九次南極地域観測越冬隊長村山雅美君が参考人としてお見えになっておりますので、南極観測について御意見を聴取することにいたします。  村山参考人には、御多用中にもかかわらず本委員会に御出席をされ、まことに感謝にたえません。時間の都合もありますので、二、三十分程度御意見を述べていただき、それから質疑に入りたいと存じます。

宮崎正義

1968-12-17 第60回国会 参議院 文教委員会 第2号

参議院の文教委員会皆さま方から非常な御支援を得て、九月の二十八日に出発した村山雅美越冬隊長を長とする十一名の内陸調査旅行隊は、十二月の十六日夕刻南極点から約二十キロメートルの地点に到着したという報告がございました。同調査隊は、日本時間十九日朝同地点を出発いたしまして、午前十一時に、南極点に到着する予定でございます。 

坂田道太

1966-05-11 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第20号

それは現地の状況によって越冬隊長の判断にまかす。そういうことで私は武藤越冬隊長にいわばオペレーションオーダーというものを置いてまいってきておるわけでございます。  いずれにしましても、極地に行きますと緯度が狭まっておりますから、ちょっとボストークに回りましてもそれほど遠回りではない、そういうようなことがございますので、その辺は相当伸縮性があるようなルートのとり方ができると思います。

村山雅美

1963-02-06 第43回国会 衆議院 文教委員会 第1号

日本調査区域は、国際的に承認されておるのが日本領度の二倍、六回行っている間に四回越冬したのですが、そのうち九月から四月までは夜のない昼間の国でありますが、その間に一昨年の十一月に村山越冬隊長が、やはりサウス・ポールを目ざして雪上車で行きましたけれども、七十五度の線で戻ってきた。ということは、雪上車は零下五十三度になりますると、ばらばらに蛇腹がくずれる。

長谷川峻

1962-12-22 第42回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第2号

そこで、先般長谷川、中曽根両委員村山越冬隊長とともに南極基地実情をつぶさに観測され、その必要性を痛感されてこられたわけでございます。この際、政府側と申しますか、南極観測本部におきましても会合を開きまして、その御趣旨を体しまして、また科学技術特別委員会の御決議趣旨も体しまして、ともかくおそまきながら要求を出したわけでございます。と申しますのは、四十八億という金は相当多額な金でございます。

内藤誉三郎

1962-12-22 第42回国会 衆議院 文教委員会 第2号

そこで私は、この際特に一つお考え置きを願いたいことは、昭和基地が閉鎖したのは、ことしの二月の八日、村山越冬隊長がメイン・スイッチを切ったときに一つだけ残してきた。それは自動計器です。一本の柱にとりつけられた自動計器に風圧、風速、気温、風向、そういうものがオートマティックで計算されるものを残した。このテープは四百日分、来年の二、三月で切れる。

長谷川峻

1962-03-23 第40回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

○齋藤(憲)委員 第五次南極地域観測隊越冬隊長として、村山さんは第二回目の重責をお果たしになってお帰りになったわけでありますが、国民の一人といたしまして、まことに御苦労千万で、厚く御礼を申し上げる次第でございます。  ただいまいろいろ御説明を賜わりましたが、未知の世界に対して、しろうとのわれわれはちょうだいしたグラフあるいは映画等によってわずかに南極の実態というものを知るだけであります。

齋藤憲三

1962-03-23 第40回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

昨二十二日の本委員会決議に基づき、これより南極地域観測に関する問題について、昨年から一年間余にわたり南極地域において越冬観測を行なわれました第五次南極地域観測隊越冬隊長村山雅美君から、参考人として南極観測状況等について御説明を承ることといたします。  この際、村山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  

前田正男

1960-12-21 第37回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第2号

西堀越冬隊長にいろいろな話を聞きますと、日本が獲得いたしました昭和基地は、南極における最もすぐれた基地であって、ここに日本が足をとどめて南極調査を総合的に進めていく、将来に対して非常に大きな国際的な力がここから生まれてくるのではないかというようなことを私も聞きまして、たとえ地球観測年が終わりましても、世界はあげて、今度は宇宙観測年に入っておるわけでありますから、日本宇宙開発という建前から、こういう

齋藤憲三

1959-02-13 第31回国会 衆議院 文教委員会 第6号

去る六日の委員会における協議に従い南極地域観測隊永田隊長松本船長及び村山越冬隊長あて、次の通りそれぞれ祝電を送りました。  永田隊長松本船長あてに   越冬隊残留につき予期以上の成功をおさめられ、大賀の至りに存じます。全国民を  代表して、はるかに御一行の御健勝を祈念し、無事御帰国の日を鶴首してお待ち申し  上げます。  

臼井莊一

1958-04-01 第28回国会 衆議院 文教委員会 第14号

○佐藤(觀)委員 西堀越冬隊長に、もう一点だけ最後にお伺いしたいと思うのですが、一年間越冬隊十一人で苦労されたことを思い、いろいろその後週刊雑誌、新聞などに、あのときのいろいろな話が出て、われわれ読んで、想像もできないようなことだと考えておるわけですが、この一年間の苦労はやはり将来の日本南極観測についていろいろ参考になり、これが根となって将来の日本の発展に資するところが多かろうと思いますが、この一年間

佐藤觀次郎

1958-03-28 第28回国会 衆議院 文教委員会 第13号

去る二十四日南極地域観測の長途を終えて、本隊に先だって帰国されました本観測隊長永田武君、越冬隊長西堀栄三郎君及び宗谷航海長山本順一君を本委員会参考人として招致し、南極地域観測実情を聴取し、本観測越冬計画の放棄と今後の対策について意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議はございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下榮二

1958-03-27 第28回国会 参議院 予算委員会 第18号

しかし、昨晩もいろいろ越冬隊長に聞いた話ですが、要するに、いろいろ考えておかなければならぬことは、これは私は考えさせられたのです。冗談みたいな話ですけれども、一番困難なところを相手にして、そうして氷を割って行く。ところが下を行けば、潜水艦で下を行けば、何の障害もなくて行ける。上を行けば、空気、風は多少あるけれども何でもない。であるから、こういう点も一つ研究せなけりゃならぬ。

松永東

1958-02-21 第28回国会 衆議院 文教委員会 第3号

それから今お話の、熱意のあまり、永田隊長とかあるいは西堀越冬隊長こういう留守宅にまで非常に強い要望が出ておるというのは事実でございまして、これにつきましては、先般、一昨日でございましたか、報道関係方々の御協力を得まして、今申しましたような実情であることも十分それらの方々にわかっていただきますように、報道関係方々協力をお願いしたようなわけでございます。

緒方信一

1958-02-15 第28回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第3号

第一番に、西堀越冬隊長アメリカ事情調査に出がけたときに、アメリカ探検隊の人から、南極へ行くのならば、南極へ行ったことのある経験者ガイドに連れていったらどうかというお話があって、シュロスバッハという人が紹介された。これはかつてバード隊について南極に数回行っておる。こういう人をガイドに連れていこうという意見があったにもかかわらず、本部においてこれを採用しなかったのは、一体どういう意味が。

今澄勇

1958-02-12 第28回国会 衆議院 文教委員会 第2号

すなわち、当時民間におられました西堀越冬隊長京都大学の教授に、佐伯隊員を北大の助手にしたのもこのためであると聞いております。このほか、鈴木康氏は日本開発銀行員であったし、朝比奈菊雄氏は武田薬品社員であったと思いますが、すべて文部省技術雇員に採用、公務員にした上で南極予備観測隊員に委嘱しました。しかしこれはあくまで書面だけの辞令であります。

平田ヒデ

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