1953-02-18 第15回国会 参議院 建設・大蔵連合委員会 第2号
ところでこの法律というものは、国民が誰が知つておりましようか、十二月の二十七日であります、皆、もう歳末で血眼になつて走り廻つております、誰も知らないのであります。
ところでこの法律というものは、国民が誰が知つておりましようか、十二月の二十七日であります、皆、もう歳末で血眼になつて走り廻つております、誰も知らないのであります。
それから走り廻つて呼びに行つて、十五分とちよつとたつてから来るというふうなことで、午前中委員会をやるというのは実際には僅かに一時間しかやれないという状況にあるのですが、このような点はやはり政府委員、或いは国鉄当局で相当にお考えになつて頂きたいと思うのです。運輸委員会は参議院公報に十時からということにちやんと載つている。これは御覧になつているはずだ。
或いは俺たちを保守反動呼ばわりして、走り廻つて歩く。示威をやる。けしからんやつだ。だからこうなんだという考え方は、私はとらない。それは自由党のほうの諸君が、社会党、共産党をぶつ潰せというデモをやつて来たからと言つて、私は感情の上から言えば憎らしい。けれども、そういうことは認められてやつているもんなんだし、私は憎らしいと思うことと、それ自体がいけないのだということとは切離して考える。
しよつちゆう走り廻つておられるのですから、お気の毒でお会いせんようにせんようにしておつたわけです。公文書もこうやつて届いてきまつておるんだから、こういうことになつたんだということは聞きましたが……。
二十四年度もどんどんと審議が進行し、なお且つその他の二十四年度のみならず、二十五年度の分に対しても我々は調査をし、走り廻つてやつておるので、決して二十三年度中のこの二重煙突事件があるがために、この委員会の審議が遅れているということは決して思いませんから、その点も一つ中川委員、よく御了承、御認識をして頂きたいと、かように思います。
いたことには、私と同僚の戸叶里子代議士と二人がマンチエスターに乘り込んだと聞きますと、マンチエスター中の新聞がみんなそこへ詰め寄りまして、日本の紡績界の状態についていろいろ聞きたいというわけで質問を浴びせかけられましたが、一番最初に言つたことは、とにかく日本みたいにたくさん人口がいて、そうしてまだ一家の生計を支える責任を持たない若い娘たちが大変な能率を挙げて、工場の中をローラー・スケートを穿いて走り廻つて
私自身としましては、正道を踏んでできるだけその公務員の待遇に対して、十分とは行かなくても、できるだけのことをしたいとこういう方向に一生懸命になつて毎日廻つているくらい、あつちこつち走り廻つているような情勢でございます。
それが手続を貰いましてから收容所長の許可を得て次に衛兵司令の許可を得て、約三百メートル離れました工場の用度課から「らくだ」の車を一台借りて來て、それに重患者を乘せ、そして日本人が一名と、蒙古の歩哨が一名ついて北方の病院に運ぶわけでありますが、その間の手続が殆んど私一人走り廻つてやつたのでありますけれども非常にスムースに行く場合と、不在であつたり、或いは向うの衞兵司令とか或いは用度課長がおつてもなかなかその