1952-01-25 第13回国会 衆議院 本会議 第7号
赤字公債発行のあるなしにかかわらず、依然として日銀の窓口からは、紙とインキで刷つたお札があとからあとから流れ出て帰つて来ないという点は、少しもかわりはないのであります。このような状況のもとにおいて健全財政を誇ることは、まさに頭隠してしり隠さずというほかはございません。(拍手) しかも、われわれの眼前にある光景は、札を抱いて餓死するこじきの姿ではございません。
赤字公債発行のあるなしにかかわらず、依然として日銀の窓口からは、紙とインキで刷つたお札があとからあとから流れ出て帰つて来ないという点は、少しもかわりはないのであります。このような状況のもとにおいて健全財政を誇ることは、まさに頭隠してしり隠さずというほかはございません。(拍手) しかも、われわれの眼前にある光景は、札を抱いて餓死するこじきの姿ではございません。
赤字公債発行はよくない。これは出さない。すなわちそれゆえに來年度からはこれが出ないような予算を編成する。またよくないんだから予算編成のいかんにかかわらず、出さないつもりだろうと思う。今年はこれを出す。しかし交付公債を出さなければならぬというわけのものじやない。このことについては金融復興金庫の機構の問題にも関係して來る。
國家財政が健全財政で赤字公債発行を抑制いたしましても、地方はまつたく赤字財政でございます。二百八十億のうち、いろいろな費目は含まれておりますが、しかしほとんどこれらは消費すべきものばかりでありまして、この八割ぐらいまでは赤字公債と申してよろしいのであります。結局地方は本年また二百数十億の負債を背負いこんだ。そのおもなるものは自治警察の費用、六・三制の費用が大きな原因をなしておると思います。
それから、軍公利拂延期は新たなる債務の負担と同様であつて赤字公債発行と同様の意味があるじやないかというような御質問であつたと思うのでありますが、この件に関しましては、小坂君にお答え申した通りでありまして、國家が新たなる債務を負担したのではない、支拂期日を変更したに止まるのでありますから、赤字公債発行と同様に見るべきものではない、かように私どもは判断いたしておるのであります。
新しい債務を負担して、そして新たに調達したというものではなくて、國債の利子の支拂期の到來したものを――本年七月から來年の六月までの間において、この軍事公債と限られた範囲の公債の中で利拂期の到來したものを、元本償還のときまで延ばすという措置をとつたのでございまして、これは、私どもの見解としては、新たなる赤字公債発行と同じであるというような考えはいたしておらぬのであります。