1985-11-26 第103回国会 参議院 法務委員会 第2号
このシンポジウムは、一部マスコミによる行き過ぎた取材活動や報道に対する国民の批判がある一方、このことから報道の自由や表現の自由が制約されることがあってはならない、情報の送り手、受け手及び情報提供者の間の相互の理解を深めて、より健全な方向への発展の道を考えるということのために開催されたものでございまして、司会者に東京大学名誉教授の加藤一郎先生、講師に日本雑誌協会倫理委員の赤塚一氏、青山学院法学部教授の
このシンポジウムは、一部マスコミによる行き過ぎた取材活動や報道に対する国民の批判がある一方、このことから報道の自由や表現の自由が制約されることがあってはならない、情報の送り手、受け手及び情報提供者の間の相互の理解を深めて、より健全な方向への発展の道を考えるということのために開催されたものでございまして、司会者に東京大学名誉教授の加藤一郎先生、講師に日本雑誌協会倫理委員の赤塚一氏、青山学院法学部教授の
実は、私は長距離通勤者の最たるもので、水戸の一つ手前の赤塚から国会へ通っているわけでございますけれども、大変なすし詰めでございます。
そのときに日本科学者会議原子力問題研究委員長の赤塚夏樹先生が質問をされているわけですが、この質問の中身は、二号炉の耐震設計に使用された基準地震動の最大加速度、S1に三百ガル、S2に四百ガルを採用して、一号炉のS1が二百ガル、S2が三百ガルより厳しくなっているわけです。
この問題で論議しても、通産省側は見せない、ないということでございますので始まらないと思うわけですが、この公開ヒヤリングの席で赤塚先生もデータの要求をなさっておられます。そのときに通産省がこう答えていらっしゃるわけですね。原子力安全委員会から要請があれば説明する、こういうふうにおっしゃっているわけですが、原子力安全委員会は通産省に対して説明を要請されるおつもりなのでしょうか。
○辻政府委員 まず、問題の重要性と実際の具体的な問題の関連について、先ほど御指摘の赤塚さんの考え方に若干誤解があるのではないかというふうに思われますので、私どもの見解を申し上げさせていただきます。
○塩飽政府委員 極左暴力集団につきましての銃砲使用犯罪について申し上げますと、一つは、昭和四十五年十二月十八日に警視庁の志村警察署上赤塚派出所襲撃事件というのがございました。また、四十六年の二月ですが、栃木県の真岡におきます銃砲店の猟銃強奪事件、さらには、いわゆる浅間山荘事件というのが四十七年二月十九日に発生しております。
これはただいまのところはグラント・ハイツの一番北側にバスターミナルを設けまして、そこまでバスで行っていただいて、そこから十三号線の赤塚の駅まで歩いていただくというような計画でやっております。したがって、五十五年度着工分については、私どもは十分自信がございます。
地域的に言えば谷田部町の小野川、館野、榎戸、赤塚、こういうところにあるし、それから桜村では大角豆あるいは妻木、倉掛、こういうところはひどいですね。この問題は初めから計画のときには予見をされたことだ。もし予見をされてなかったとすれば全くこれは困ったことであって、これに対する対応はかなりしているけれども、なお不満が続いております。これをどういうふうに処理をされるか。
簡単に一つの例で言いますと、板橋区赤塚二の二十に住んでおられる中山義孝さんという方が最近来られたのですが、関係の方の話を聞きますと、目から弾丸が入って耳のところから出て、負傷のときからあごがほとんど動かない、流動食をずっと食べているのですね。現在ほとんど寝たきり、大小便もおむつを使っている。精神障害も起こしているわけですけれども、有期の四項症の認定を五年前に受けている。
ここに「父母会だより」というのがありまして、これは赤塚の学童クラブの父母会というのが出しているのですけれども、子供たちが高学年になって——ここでは四年生まで保育をしているわけですが、高学年になって学童保育所を卒業しなければならないことになった。子供たちが、みんな学童保育所をやめるのがいやでふさぎ込んでいる。
○政府委員(古屋亨君) 中央更生保護審査会委員三宅富士郎及び赤塚孝の両君は、十一月三日任期満了となりますが、三宅君を再任し、また、赤塚君の後任として吉田次郎君を任命いたしたいので、犯罪者予防更生法第五条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため、本件を提出いたしました。
次は、赤塚孝氏でございますが、この人は元矯正職員でございまして、中央矯正研修所長を最後に昭和四十二年の一月に退職されまして、昭和四十四年の十一月四日、三宅先生と同じ日でございますが、四十四年の十一月四日以来この中央更生保護審査会の委員に任ぜられております。
それから日共革命左派のほうでございますが、これは下赤塚交番の拳銃奪取未遂事件でございますが、こういうのがずっと起きておりまして、そこで昨年の二月に——先ほど私が間違ったことを申し上げて失礼いたしました。
一方、日共革命左派と申しますのは、この一派が、京浜地区でもっぱら主力を占めておるというので、京浜安保共闘とも俗称するのでありますが、これが、昨年の二月十七日、革命をやるためにはどうしても武器を入手する必要があるということで——その前に、警視庁の管内で、一昨年になりますか、上赤塚というところ警察官の派出所を襲って、警察官の拳銃を奪おうとして殺された事件がありますが、そういう一連のたくらみの一つとして、
本事件の犯人らは過激派学生でございまして、昨年十二月十八日の京浜安保共闘の三人が東京板橋の上赤塚派出所を襲撃した際、一人が射殺され二人が重傷を負った事件の報復として計画されたものと当局は見ていると新聞などで報じられておりますが、その後の調査結果はどうなっておりますか、お差しつかえない範囲で御答弁願いたいと思います。
一例を言いますと、去年、おととしだと思いますが、県に赤塚というところがございます。そこは、大根の横ちょに赤い線の入っている赤塚大根という大根の産地でございますが、私ちょうど何かの用でそこを通りかかりましたところ、大根の山が、ちょうど石炭地方のボタ山のように大きな山が三つありました、どろのついた大根を抜いた山が。
ただ、御案内のように、昨年の十一月の末であったと思いますが、京浜安保共闘という相当凶悪な連中が上赤塚という交番を集団で襲撃したことがございます。
しかしながら、上赤塚交番のように、あれは未遂でありますが、たやすく取れるものというような感じで飛び込んでくるものもございますけれども、この奮取といいますか、盗難にかかった拳銃の件数というのはきわめてわずかでございます。
この集団は、一昨年九月にアメリカ大使館あるいはソ連大使館に火炎びんを投げ込みましたり、あるいは愛知外相が訪米される際に、羽田の沖合いから飛行場に侵入いたしまして、滑走路に火炎びんを投げたり、あるいは昨年の十二月の十八日に警視庁の上赤塚の交番を襲って、これはおそらく拳銃を奪取するために襲ったと思われますが、そういうことをいたしまして、今回もしあの事件がそれに結びつくとすれば、そういう凶悪なることを敢行
それから御承知のとおり昨年の十二月の十八日に警視庁の志村警察署管内上赤塚の交番を三人で襲撃いたしまして、一名は警察官に射殺されたわけでございますが、これも明らかに警察官の持っておる拳銃を奪取しようということで襲ったと思うのでありまして、たいへんな過激な団体である。
○桑名委員 いま答弁がありましたように京浜安保共闘というものは非常に過激な集団でございまして、いまお話がございました昭和四十四年の米ソの大使館を襲撃した事件を含めまして、昨年の十二月の十八日の板橋の上赤塚派出所の襲撃事件、これまでの間に約六件の事件が発生をしておるわけでございます。
しかしながら、現在のところ、いまの医学ではなかなかこの有機鉛、四アルキル鉛が人体内にどういうふうに影響しているかというのがあまりはっきりしておりませんけれども、四アルキル鉛そのものについての毒性はすでに赤塚教授によっても発表されております。これは神経毒でありますので、いわゆるこれの中毒にかかりますと狂い死にをするというふうな報告例が何例もございます。
私の体験を一つ話しますと、国会から、私の宿舎が当たるまで住んでおりました板橋の下赤塚まで、これはタクシーで帰りますと七百五十円、これは三べんともそうでございました。夜中、夕方、変わりません。ところが、東京でも有名な大きなハイヤー会社です。これは私のもとの議会の関係の北海道庁を通じてお世話を願って、すぐアナウンスで乗って帰ったのですから、待たしておりません。何と二千七百円の料金を徴収されました。