2008-06-05 第169回国会 参議院 財政金融委員会 第15号
○国務大臣(渡辺喜美君) 先ほど戦前の産業資金の供給の在り方を申し上げましたけれども、当時はそういった金融資本市場を支える資産家階級というのがいたんだと思うんですね。もちろん、今は全くそういうことではございません。 今、株式や投資信託の保有を増やしている人たちは、特に中所得者層でございます。例えば、四百十三万円ぐらいまでの方は保有の伸び率が何と九七%にも達しています。
○国務大臣(渡辺喜美君) 先ほど戦前の産業資金の供給の在り方を申し上げましたけれども、当時はそういった金融資本市場を支える資産家階級というのがいたんだと思うんですね。もちろん、今は全くそういうことではございません。 今、株式や投資信託の保有を増やしている人たちは、特に中所得者層でございます。例えば、四百十三万円ぐらいまでの方は保有の伸び率が何と九七%にも達しています。
株式市場を支える資産家階級というのも当時はいたのでありましょう。これが準戦時体制のもとで、間接金融、つまり統制型システムに移行をしていったという歴史的な経緯がございます。 残念ながら、この準戦時体制下でつくられた間接金融重視主義というのが今日なお続いている。戦後の高度成長期にあっては、こうした統制型システムは、むしろ資金の傾斜配分という形で非常に有効だったかと思います。
つまり、階級的には労働者階級に属している政党でもひどく軍事力増強に熱心になり得る場合もあり得るし、逆に非常に資産家階級に属している政党の中でも本当に平和のことを心配して努力する方もいらっしゃる。
今回の税三法の改正案は、一口に申しますと、大資産家階級に有利、勤労者階級に不利であるという点におきまして、際立って階級的のものであります。しかも、三木内閣の一枚看板とも言うべき社会的公正の確保につきましては、その要請を完全に踏みにじったものと申しても過言ではないのでありまして、まことに遺憾と申さねばなりません。
資産家階級を優遇しておるのです。給与所得者、労働者の税金は、これは天引き、重税ですよ。そうしておいて、利子配当所得者、いわゆる金融資産を持って、働かないで生活している者を優遇しているのです。ですから、いまのような金融の事態になっていくことはむしろ誘導しているのが政府の税制政策であり、あるいは金融政策だということを私は言いたいのであります。
これは昭和四十五年の三月末まで特別措置として認められたものでありますが、この政策というのは一部の資産家階級のために都合のいいことだとわれわれは考えられるのですが、少なくとも、実際に資産階級の得ておる利子や配当、そういう所得を無税にするということは、やはり不当穏じゃないかと思うのです。これはもう廃止したらどうかと思うのです。
政府の予算案は、要約すれば、景気過熱のおそれすらある経済の実勢を無視した景気刺激のインフレ予算であり、物価高と重税によって、ますます国民勤労諸階層の生活を圧迫しながら、一方では、大企業と資産家階級の利益に奉仕する予算案であります。
政府の予算案は、要約すれば、景気過熱のおそれすらある経済の実勢を無視した県気刺激のインフレ予算であり、物価高と重税によって、ますます国民勤労諸階層の生活を圧迫しながら、一方では大企業と資産家階級の利益に奉仕する予算案であります。また第三次防衛力整備計画と兵器の国産化によって、軍国主義復活の危険を増大するものであって、平和と国民生活破壊のインフレ予算であるといわなければなりません。
したがって、こういうふうな消費者物価が年々五%、六%も上がるというような情勢をそのままにしておいて、税制だけの優遇措置をとれば、それは一部の資産家階級の利益とか、あるいは企業そのものの利益ということにも通ずるわけなんで、それになってしまって、そしてお話しのような実際の企業の資本構成を改善するというような結果にはならないんだ。
ですから、もう株を持っておる株主、有価証券を持っておる資産家階級が、法人擬制説のいいところだけをとっておる。しかも今日だれが見たって法人は擬制的なものだとは考えられない。少なくとも経済活動の上では、実体を持った、人格を持ったものですよ。おまけに政治献金までするんですから。あるいはいわゆる合併と称する結婚をする、恋愛をするんですから。
その累計が一兆一千億といわれておりますが、それ以外にこのようないわゆる産業保護なり、いわゆる大企業なり、あるいは資産家階級に対する減税を、一兆四千億もやっておるのですよ。大体この事実は、大蔵大臣認めますか。
併しながらこれは資産家階級それだけを指すのであるか、九五%の人間、働いておる人間の人格の独立と尊嚴を指すのであるか、今その必要なしというならば人格の尊嚴も独立もあつたものではない。物的基礎を與えるのか與えないのか、この働く者の民主主義というものは、現代世界の認めておるところである。又澎湃としてこれが世界に行われておるところである。又行われんとしておる力がます厖大きくなつて來ておる。