1953-07-13 第16回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第6号
○中野委員 さらに伺いたいのは、資材係長の木村技師が、あなたと御関係があつて、当時状況を知つておるはずだと私は思うのですが、それはどうなのですか。宮内省へ持つて行かれた当時あつたダイヤの数量等は、木村技師というのがよく知つておられたと思うのですが、どうですか。当時の記憶を思い出して……。
○中野委員 さらに伺いたいのは、資材係長の木村技師が、あなたと御関係があつて、当時状況を知つておるはずだと私は思うのですが、それはどうなのですか。宮内省へ持つて行かれた当時あつたダイヤの数量等は、木村技師というのがよく知つておられたと思うのですが、どうですか。当時の記憶を思い出して……。
○森証人 それから、資材係長です。
それから、最初実は資材係長と一緒に行くべきところ、資材係長が急用ありまして、一人で行きました。だから、そのときは二人か三人でございました。
○加藤(充)委員 これは多分田淵委員から御質疑があつたことであつて、私は決してそのことで資材係長か何かやつておりました、末端で働いておるお気の毒な、健康もそこなわれておるような会川さんを首切れということを主張するものではございませんが、先ほど総裁がおつしやつたように、一人で末端の者がやるのはいけない、課長から局長に、局長から総裁にという形で事務は運営ざれなければならないとおつしやつたのでありますが、
○會川証人 大正十三年十二月專売局に入りまして、昭和二十三年、月は忘れましたですが、それより引続き営繕の資材係長をやつております。
十五日木曜日に専売公社営繕資材係長會川俊雄君に証人として出頭を求めたいと存じますが御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森八三一君 先刻の質問と重複するかとも思いますが、もう一点重ねてお聞きしたいと思いますが、この事件の起きる前後を繞つて会社の運営が非常に資金的に困難をした、そこで金繰りをうまくつけて行くために、一月の中旬になれば全部製品はできる見込だから、十二月中にできたものとしての検收を受けて、製品代を先に受取つたというお話でありますが、資材係長として一月の中旬までにはでき上るというような、資材の関係から見て見込
○証人(羽鳥元章君) 入りました当座は、殆んど二、三カ月というものは何もわからない見習のような状態でおりましたが、六月頃からと記憶しますが、東京における資材係長という辞令をもらいまして、材料のほうの連絡係をやりました。問屋から入る材料を工場のほうに透り込むというような仕事をやつておりました。