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34件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2009-04-08 第171回国会 衆議院 消費者問題に関する特別委員会 第12号

先ほど妹尾先生からはいろいろな現場の御苦労を話していただきましたが、私の徳島県の出身でもありますから、賀川豊彦先生が頑張っておられた、その気持ち気持ちとして、皆さん方がさらにそれを大きく広げていただいたことに感謝を申し上げます。  全員の先生にお聞かせをいただきたいんですけれども、先ほど生水さんが言われた、いろいろな現場の悩みというのはたくさんあろうと思います。

七条明

2000-04-20 第147回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第6号

不正、不当な行為に対して、民法第八百二十二条が規定しているように、必要な範囲内で子供を戒める懲戒やしつけは、目先の利益ではなく将来の利益につながる正当な教育行為であり、子供には、賀川豊彦の言うしかられる権利もあることを忘れてはなりません。  子供反抗期に父親が壁になることによって、秩序感覚ルール感覚が育ちます。

高橋史朗

1996-06-13 第136回国会 参議院 金融問題等に関する特別委員会 第5号

例えば東京都におきましては、クリスチャンの賀川豊彦さんが設立した中ノ郷信用組合というのがあるんです、小さな信用組合ですよ。預金も小口だけれども貸し出しも小口。しかし、東京都はモデル的な信用組合として一生懸命育てているんですね。大臣、こういう地道な努力もあるわけなんです。  

保坂三蔵

1995-06-01 第132回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第11号

賀川豊彦は、十一時五十八分、関東大震災発生を知るや、午後四時、神戸港に浮かぶ山城丸に乗り込んで、救援ボランティア活動のために東京に向かっております。  今、後藤新平寺田寅彦賀川豊彦等、歴史に残る先人の当時の御活躍をしのぶものでありますが、こうした教訓が政府災害対策上ほとんど生かされていない。

二階俊博

1995-02-21 第132回国会 参議院 災害対策特別委員会 第5号

実は、神戸は、大正九年、賀川豊彦氏があそこで消費生活組合活動を訴えて、そしてあそこに組織をつくられた日本生協運動発祥の地であり、また消費省運動発祥の地でもあるというふうに私どもは認識しております。兵庫県全体でも大変な組合加入率というものが、想像できないような組合加入率があるわけです。芦屋市に至っては一一五%の組織率というか加入率

刈田貞子

1990-12-18 第120回国会 衆議院 本会議 第4号

これは、先生が初当選以来私淑していた三木元総理の「信なくんば立たず」の政治姿勢に傾倒されたこと、また、先生が若いころに、社会運動家として有名な賀川豊彦氏の影響を受けたゆえと考えられます。  先生は人の心をじんわりと温める政治家であり、丹羽兵(にわひょう)さんの愛称で親しまれ、長老になってもおごらず、庶民性を失われませんでした。

草川昭三

1988-12-20 第113回国会 衆議院 本会議 第22号

昭和十三年二月、日比谷公会堂において、あらゆる妨害にもめげず、賀川豊彦氏、菊池寛氏らとともに「日米戦うべからず」と銘打った国民大会を開催し、会場を埋め尽くした聴衆を前に堂々と非戦の論陣を展開されました。その後、金子堅太郎氏を会長とする日米同志会を結成し、両国関係を憂慮する同志とともに日米開戦反対運動の先頭に立って奮闘されたのであります。

土井たか子

1985-02-22 第102回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会 第1号

非常に私は注目をしておりますのは、その中にはもちろん武蔵野市の福祉公社もございますが、これからのいろいろな動きを考える上でかなりおもしろいと私がひそかに思っておりますのは、賀川豊彦先生が始められました灘神戸生協が、暮らしの助け合い活動ということで生協活動の中に社会福祉相互扶助活動を繰り込んだような活動昭和五十八年から始めております。  

高橋紘士

1974-03-28 第72回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第19号

しかし、賀川豊彦先生が灘に一粒の麦を落としなさって、あれから何年たっているか。その伸び率を一ぺん見てください。先ほどここ一両年の間に二万戸ばかりふえたとおっしゃった。けっこうなことです。好かれればこそお客がふえるのです。しかし、その間にデパートは一体何ぼ伸びたか。もうかったればこそ伸びたのです。

加藤清二

1972-10-27 第70回国会 参議院 本会議 第1号

そのころ、神戸において、賀川豊彦氏が友愛会を指導しておられました。佐野君はたまたま彼の著書「死線を越えて」を読んで賀川氏の思想と人柄に引かれて、友愛会のメンバーとなり、賀川氏の指導を受けたのであります。この賀川氏との出会いは、佐野君の生涯を貫く生活態度に、精神的な強靱さを与え、正義と人類愛に生きる人間味がつちかわれる契機となったのであります。  

丸茂重貞

1957-03-22 第26回国会 参議院 予算委員会 第14号

そこで、私昨年の夏内地へ参りました瀬長亀次郎氏とともに遊説をして歩きながら、こうしたデータを、しっかりしたものを持って、私自身も昨秋アメリカへ参りましたので、その機会に話し合ってみたい、さらにまた、アメリカは非常に宗教家の言を重視いたしまするから、国際人でありまする賀川豊彦などに特に行ってもらって、これらの問題を米国民に訴えるという方法が必要ではないか、こういうことで実は準備をしたことがございます。

天田勝正

1956-12-03 第25回国会 衆議院 本会議 第10号

かつて民間代表として賀川豊彦氏が渡韓希望を持って総理と面接なさいました際は、積極的な賛意はなかった趣きでございますが、今日の情勢においては、いかにお考えになっておられるか。民間代表の派遣についての御見解を承わりたいと思います。  第三番目に、日本国連加盟年内実現を見る段階にありますが、隣接国として南北朝鮮の統一は重大関心のあるところであります。

今澄勇

1956-09-25 第24回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第5号

そして、それにつきましては、多分先生の立場といたしまして、それは個人の意見であって聖公会意見じゃない、こう逃げられるかもわかりませんけれども、この問題を放置できないじゃないか、立正交成会には聖公会のようなそういうものではなくて非常に規模の大きな印刷局があって、そうして一たびこれを発表するならば致命的になる、実はこの問題の取扱いについて、キリスト教新聞というものがございまして、確かに賀川豊彦氏がこれを

坂下内匠

1956-03-12 第24回国会 参議院 予算委員会 第13号

こういう意味での話を会談の内容にしていただきたいという希望一つと、それからもう一つは、政府では相当この問題については努力はしておられましょうけれども、アメリカの世論を喚起するために、民間外交として米国内で相当知られている、たとえば賀川豊彦、鶴見祐輔、私はその他の人は知りませんが、とにかくアメリカ人名前を知られている人を相当の費用を使ってアメリカに出すという考え方はどうだ。

八木幸吉

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