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118件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1973-05-10 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第23号

一例をあげますと、たとえば琉球貿易庁、琉球農林省琉球郵政庁、気象台、それから簡易裁判所琉球上訴裁判所、こういった人たちアメリカの直接管理下にあったわけでございまして、これが復帰と同時にこちらに引き継がれた。そういうものについては政令で指定されておるわけでありますが、問題は、こういう官公署と同じ性格を持つかどうかということ、やはり基本的には最後はそこに落ち着くと思います。  

平川幸藏

1972-03-14 第68回国会 衆議院 商工委員会 第2号

田中国務大臣 通産省は、昔から貿易庁そのものはございまして、いまの内局になったわけでございますが、貿易省通産省との調整をどうするのか、やはり貿易省というものをつくる必要があるんじゃないか、そういうことの一環として、貿易省という名前では、そうではなくとも日本輸出がということでいわれておるんだから、世界的に容認されるもの、望ましい姿と映るもの、そうするとやはり経済協力省経済協力庁かなということで

田中角榮

1971-04-22 第65回国会 衆議院 大蔵委員会 第26号

光輪閣は戦後たしか昭和二十一年から昭和二十四年までは通産省貿易庁のほうに貸されて、日本貿易館高輪分室ということになっておったわけです。そのほうの用がなくなって一応あいている。それで昭和二十四年にそれを利用して、先ほど申したような要するに倶楽部の場所としたということで、こういう光輪倶楽部というものがつくられて、ずっと光輪閣を使ってこられたようであります。  

瓜生順良

1965-03-30 第48回国会 参議院 内閣委員会 第15号

政府委員山本重信君) 対外交渉の体制を整備します方法としましては、局を設置するかわりに、適当な審議官とかスタッフを置くという方法も考えられないわけでございませんが、実情を申し上げてみますと、最近、西欧諸国あるいは中近東、アフリカ等から、ちょうど通商局長あるいはそれに相当する貿易庁長官というような人が非常にひんぱんに来られますし、また、国際会議に出てみますと、そういう人たちがみんな本人で出てまいっておる

山本重信

1962-08-31 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第7号

これにつきまして、その遺留資料のうち、貿易庁係官が港に入りますときに検査に立ち会っておりまして、損傷というふうに判断されたもの、あるいはまた動植物の検疫によりまして不合格とされましたものにつきましては、その旨を受領証に記載されております。したがいまして、通産省総額算定にあたりましては、それらのものを差し引きました残りのものが総額を構成しているということでございます。  

池田久直

1962-08-30 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第6号

大矢正君 今のあなたの答弁はよくわかりませんが、当時の外貨建て——外貨建てというよりはドル建て輸出に対する品物価格や、それからまたアメリカに対して売られたと思われるそれぞれの品物受け入れ代金というもの、それはもちろんドルですが、それは当時の日本貿易庁にこれは何ドルで売ったと、こういうように通告が来ていたのかどうかということをお尋ねします。

大矢正

1962-08-30 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第6号

それは確かにアメリカから授権をされて英連邦軍日本貿易庁との間にどういう品物をという、品物内容等についてはおそらく話し合いがあったことと思うけれども価格が高い、安いというようなそういう点について日本側意思表示をするというような、そういう立場ではなかったのじゃないですか。向こうは、これだけのものを日本売却したい、金額はこれだけだ。

大矢正

1962-08-28 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

今のその問題については授権はされておるけれども日本政府日本貿易庁はその内容について、これはいいとか悪いとか言う、そう言う権限はありませんでしたと、こう明確に答えている、衆議院では。そうすると、あなたの説明からいくと、そのとき権利があったのだ、また言ったのだと、いろいろな交渉の過程があるのだと、こうおっしゃる。だいぶ衆議院答弁とここの答弁と違うのです。

大矢正

1962-08-28 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

大矢正君 私の質問しているのは、あとからビーコフとそれから日本貿易庁との間に話し合いができたか、やったかというような問題ではなくて、これを授権されて、こういう品物あるいは数量ということを最初に話し合うときに、日本側意思というものを、この品物は要らないとか、この品物は工合が悪いとか、金額幾らとかいうようなことを、そう言う権利があったかどうかということを聞いておる。

大矢正

1962-08-28 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

政府委員中川融君) 一九四七年三月十四日付に司令部から覚書が来ておりまして、これによりまして、英連邦軍物資、いわゆるビーコフ物資売却する、そうしてそれについてこの英連邦軍司令官日本貿易庁との間で話し合いをすることができる、そういう権限を与えるという指令が出ておるのでありまして、それに基づきましてこの個々の物資の受け渡しが行なわれた、こういうことになっております。

中川融

1962-08-22 第41回国会 衆議院 大蔵委員会 第4号

○戸叶委員 今大へん苦しい答弁をされましたが、そして同時にスキャッピン英連邦軍日本貿易庁との間に売買ができるという権限を与えられて、そうして売買をしたのだということでざごいましたが、ここに書かれておる言葉の中ではっきりしておることは、そのときの価格というものは英連邦軍によって見積もられた価格でございます。日本政府は何も言えなかったのです。

戸叶里子

1962-08-22 第41回国会 衆議院 大蔵委員会 第4号

今の英連邦軍払い下げ物資につきましては、スキャッピンによりまして英連邦軍司令官日本政府担当官と、当時は貿易庁でございましたが、それと取引をする権限を与えられまして、かっこれはセールという言葉が使われておりますが、もちろんセールオア・ディスポーザルでございます。が、ただのものもあったわけでございますが、セールをする権限が与えられた。

上林英男

1962-08-21 第41回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

ところがこの産投会計へ引き継がれたのが二千二百九十四億であるから、四千七百四十億円というものは、日本貿易庁であろうとあるいは厚生省であろうと、そういうものがマル公で払い下げたものもあるであろうし、そうしてただでやったものもあるであろうが、少なくともただやったもの概算金額というものはどの辺のものであるか、この点を伺っておるのです。

春日一幸

1962-08-21 第41回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

当時は貿易資金特別会計の中で経理をしておりまして、当時ただいま申しましたような援助額のうち、贈与と認められるものにつきましては、総額から控除しておることはただいまも御説明がありました通りでございますが、その他のものにつきましては、貿易資金特別会計の中で貿易庁マル公を基準にいたして払い下げておったというふうに聞いております。

池田久直

1962-04-30 第40回国会 参議院 外務委員会 第20号

それから、それに基づきまして貿易庁責任者レシートを出しております。したがって、そういった関係から見まして、これは当事者はみんな知っておったと思います。  それからなお感謝決議のことでございますが、これまたたびたび国会でも出まして、従来から出ている御議論でございまするが、感謝したからただだ、ありがとうと言ったからただだというのは、いかがなものかというのが一般議論でございましょう。

安藤吉光

1962-04-27 第40回国会 参議院 大蔵委員会 第30号

当時、これは二十四年の二月、貿易庁農林省食糧管理局小麦を一石当たり二千二百二十四円二十六銭で売却をいたしております。一石二千二百三十四円、一方通産省で今回計算しました二十三年度の小麦は一ロングトン当たり百一ドル計算をいたしておりますので、これからロングトンを石に直しますと、一石当たり十三ドル六十五セントということになります。

伊藤三郎

1962-04-27 第40回国会 参議院 大蔵委員会 第30号

少なくとも貿易庁で扱った貿易特別会計においては、援助物資であるかあるいは一般物資であるか、これは区別がつかないはずですね。それがどうして後になってそういうことがはっきり区別して調査できたかという問題がまだ残っておると思うのですね。どうしてそれが区別できたか。少なくとも昭和二十四年以前はそういう区別はつかないはずだ。二十四年以後は、これは大体区別がはっきりしてきていると思いますね。

荒木正三郎

1962-04-20 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第34号

○戸叶委員 今の条約局長の御答弁でございますが、第一点は、品物をずっと受け取っていた、しかし在日英連邦軍からは何も金額についての申し入れがなかった、そうするとこの一九四七年の三月十四日の覚書で、あくまでも貿易庁英連邦軍司令官との間で、品物が来ました、はい、これは受け取りです、来ました、受け取りですということで、五年間いつ払うともなく繰り返していた、こういうふうに了承していい、こういうことでございますね

戸叶里子

1962-04-20 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第34号

安藤政府委員 これは貿易庁でやっておられまして、私実際は承知しておりませんが、私の承知しております限りにおきましては、いわゆるウエーストに当たるもので、価値のないと認定されるものについては評価が書いてなかったというふうに承知いたしております。それでこの支払いのときにはもちろんそれらのものは金額にも加算されない次第であります。

安藤吉光

1962-04-19 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第33号

一体何億円が輸入補給金になりあるいは輸出補給金になったかということは計算上非常に困難で、できないと思いますけれどもただ一例として申し上げまして、一ドル三百六十円のレートがきまりました面前の昭和二十四年の二月二十一日の例でございますが、貿易庁農林省食糧管理局売却した小麦、これを幾らで売っておるかと申しますと一石当たり二千二百二十四円二十六銭で売っておるわけでございます。

伊藤三郎

1962-04-19 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第33号

横路委員 午前中から私がお尋ねをしているように、二十四年三月以前のものは、総司令部内における外貨勘定と、それから当時貿易庁でございましたが、貿易資金特別会計円勘定とは関係ないわけです。だから私は、政府立場に立っても、二十四年三月までのものは——これはほんとうは法理論的な話はあと外務大臣にちょっとお尋ねをしますが、返済すべきではないのではないか。

横路節雄

1962-04-04 第40回国会 衆議院 外務委員会 第21号

そのスキャッピンに基づきまして、英連邦軍日本貿易庁との間にいわゆる売買奨約をしたわけでございます。  御存じの通り、当時貿易庁貿易資金特別会計というものを持っておりまして、その貿易資金特別会計に基づきまして、その資金の運用としまして物資購入をしたわけでございます。その売買奨約に基づきまして、その後八十五万八千九十九ポンドを支払ったわけでございます。

安藤吉光

1962-03-23 第40回国会 衆議院 大蔵委員会 第26号

第一に、援助物資総額は、米側が提示いたしました決算ベース資料によりますと、約十九億五千四百万ドルとなっておりますが、わが方は、通産省が保有いたしております貿易庁あるいは総司令部資料に基づきまして、各受領一件ごと関連資料を検討いたしました結果、援助物資と認められるものを集計いたしまして十七億九千五百万ドルの額を算出いたしました。  

宮川新一郎

1962-03-23 第40回国会 衆議院 外務委員会 第15号

従って、この当時の総司令部が残した資料とか日本の旧貿易庁当時の資料で今私どもは推算もしておるのですが、大体十一億ドル前後の金額は推算されるということでございますが、なお、これについては米国側資料の提出を私どもは求めておりまして、それによってこの両国は折衝」云々、こういうように言っておられます。

加藤勘十

1962-03-23 第40回国会 衆議院 外務委員会 第15号

その三月から、英連邦軍はその保有しております生活必需品等日本売却する、あるいはまた一部は無償で供給するということになりまして、いわゆるセールオア・ディスポーザルと言われておるのでございますが、この売却の場合は、物品の引き渡しの際、その数量とか価格を表示して参りまして、それに対しまして貿易庁レシートを出しまして、すなわち売買として受け取ったものでございます。

安藤吉光

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