1971-08-10 第66回国会 衆議院 外務委員会 第3号
その後一九五七年、当時の岸総理が台湾を訪問されました前後から先方のことばが非常にきびしくなってまいりまして、そして五八年五月の貿易中断に至るわけでございますが、ここで御注意いただきたいことは、その同じ時期に北京政府は国の内外の政策を過激化したことでございます。
その後一九五七年、当時の岸総理が台湾を訪問されました前後から先方のことばが非常にきびしくなってまいりまして、そして五八年五月の貿易中断に至るわけでございますが、ここで御注意いただきたいことは、その同じ時期に北京政府は国の内外の政策を過激化したことでございます。
それからもう一つ私らが心配するのは、このアジアの地域に位して長い日本とのおつき合いをしてきた中国、人口も非常に多い、資源もたくさんある中国、この中国と日本が、こういうことで七年前に起こったあの日中貿易中断のような事態になったら、それをまた再開させるために非常に多くの日時を必要とし、その間にヨーロッパはどんどん中共貿易をやっているのですよ。
○大平国務大臣 まあこれは常識を申し上げておるわけで、あなたが言っておるのは貿易中断前のことも勘定されておっしゃっておるんじゃないかと思うのでございますけれども、このようにだんだんと貿易の正常化の段階に来ておるわけでございましてわれわれといたしましては、こういう相互主義のルールというものをベースにして今後もやってまいることが適当じゃないかと思います。
過去の例といたしましては、昭和二十七年に中共との貿易中断がございました、そのとき。三十三年には、インドネシアの問題がございました。その当時には非常危険がきわめて広範囲になりましたので、やむを得ず引き受け停止をいたしました。その後はこの規定は発動をいたしておりません。
しかし、岸内閣当時の日中貿易中断と、その後の経緯や、貿易三原則もあり、友好取引の拡大と長期化をこそ考えるのが本筋だと考えます。
しかし、御承知の通り三十三年五月の貿易中断までは、片道約三百億円の貿易がなされておった。それがああいう変なことから中断になってしまった。そうして、こういうバーター制度をはずすという措置がとられても、なお本年度その三分の一の三千万ドル、約百億円がまあやれるだろうという程度だと思うのです。そこで少なくとも中断以前に早く持っていかねばならぬと思う。
政府としては、これらの地点については、今までいろんな関係から貿易中断などをしておりまするけれども、為替・貿易の自由化が進むにつれて、当然考えられるべきものとして、わが国の外貨を健全に維持し、そしてまた、もし自由化をやるとするならば、それを堅実にするために、そういうような日中貿易なりあるいは日ソあるいは日朝貿易に対して御関心があられるのかどうか、この際一つ大蔵大臣にお伺いしたいと思います。
そういうことを口実にして、突如貿易中断の措置に出てきたのであります。すなわち、去年の五月のあの第四次協定をめぐってこちらの方は協力的態度を示した。ところが、これを一方的に向うからばっさりと停止をした。これはまことに不可解千万、残念千万、遺憾千万である。わが国は、しばしば内外に声明をしたように、中共を敵視したようなことは一ぺんもない。二つの中国を作る陰謀をたくらんだ。そんなことはありません。
こういった重要な時期に貿易中断の危機を迎えたのでございますから、関係者をいたく失望させたのは当然なことでございましょう。かかる事態に直面して、政府は、いかなる対策をもって臨むのか、北ベトナムの貿易を犠牲にしても、なおベトナム賠償交渉を進展させ、調印する方針を変えないつもりか、この点を、まず総理大臣から明らかにされたいのであります。
そうしましてその後「日中貿易中断に際し広く業界各位に訴える」という趣意書を発送いたしまして、これに対する同意書を求めましたところが、けさすでに四千数十通の同意書を寄せられてきました。これは宮崎県を除く日本の各都道府県全体からの同意書であります。