2020-11-13 第203回国会 衆議院 法務委員会 第2号
配付資料の七を見ていただきたいと思うんですけれども、これは前田利定という元逓信大臣、農商務大臣もされた方で、この方が六十五回の貴族院本会議、これは一九三四年ですけれども、二月九日、本会議での答弁であります。先ほどの資料六の宮沢議員の質問は一九三三年で、この前田議員の議事録は、それから一年たった一九三四年に、一年前の国会の様子を当事者が振り返った貴重な証言なんです。こうおっしゃっているんですね。
配付資料の七を見ていただきたいと思うんですけれども、これは前田利定という元逓信大臣、農商務大臣もされた方で、この方が六十五回の貴族院本会議、これは一九三四年ですけれども、二月九日、本会議での答弁であります。先ほどの資料六の宮沢議員の質問は一九三三年で、この前田議員の議事録は、それから一年たった一九三四年に、一年前の国会の様子を当事者が振り返った貴重な証言なんです。こうおっしゃっているんですね。
配付資料の二を見ていただきたいと思うんですが、これは、一九二一年、大正十年になりますけれども、二月七日、貴族院本会議の質疑であります。仲小路廉議員の質問で、ちなみにこの方は検事なんですね、こうおっしゃっています。
一九三五年、貴族院本会議で、元軍人の菊池武夫議員が、明治憲法の通説的解釈であった天皇機関説を国体を破壊するというふうに攻撃を行う質問を行いました。これに二人の議員が同調いたしました。当時、松田文部大臣は、私は天皇機関説というものには無論反対だとしながら、そうした点は学者の議論に任せておくことが相当ではないかという、こういう答弁を行っています。
すなわち、十月の七日に、貴族院本会議での修正可決を経て衆議院に回付された後、衆議院本会議で日本国憲法が可決、成立をしております。その後の十月の二十二日に、臨時法制調査会総会で参議院議員選挙法案要綱が決定をされたわけであります。衆議院特別委員会における附帯決議とは全く抵触するような内容の参議院になったわけであります。
一九四六年八月二十七日の貴族院本会議で、高柳賢三議員は、この憲法改正案は、 日華事変カラ太平洋戦争ニ至ル東亜ノミナラズ世界各地域ニ於テ流サレタ内外人ノ血ト涙、軍ト官僚トノ政治的、経済的圧迫ニ苦シンダ日本国民ノ隠レタ自由ヘノ要求、ソレ等ガ此ノ改正案ノ背後ニアルノデアルト考ヘル と指摘しておられます。
ここに憲法制定当時の、昭和二十一年八月二十七日の貴族院本会議の議事録を私は抜抄してまいりました。聞いてください。 制定当時の貴族院本会議の議事録によると、南原繁議員はこう言っています。
お尋ねの点につきましては、昭和二十一年十二月四日の貴族院本会議におきまして当時の大村内務大臣が行いました提案理由の説明はほぼ次のとおりでございます。 第一に、憲法の定める両院制度の趣旨にかんがみ、参議院議員の選出方法には衆議院議員とは異なった方法をとり、両院の構成をできるだけ異質的なものにする必要があること。
「昭和二十一年十月五日、第九十帝国議会の貴族院本会議で新憲法制定をめぐって議決の段階まできたが、特別委員会で各種修正案が出たため審議は意外と手間どった。GHQは審議促進を求める。やむなく貴族院は午前零時五分前で時計をストップ。法案が本会議へ上るのを待って採決した。そのとき時計を再び動かしたが、本会議場の時計では深夜の午前零時に散会して、外へ出てみると、もう夜はすっかり明けていた」。
このことについては、すでにこの労災法が提案された昭和二十二年三月十九日に国会に提案せられて——当時は貴族院だったのですね——当時の貴族院本会議を三月三十日に通過して四月七日に公布されておりますが、そのときは、これは厚生大臣が提案の理由を述べていますが、その中で、今言った点をかなり明確に指摘していると思うのであります。
第一に、貴族院であれほどメートル専用論の急先鋒のごとく目された田中館愛橘博士が公然第七十三議会貴族院本会議において申されますに、自分は従来尺貫法を旧弊なりとか、世の進歩のため廃止する必要ありとか主張していたが、全く誤つていた。日本では是非ともこれを尊重存続する必要があることを悟つた。自分も従来の説を一変して、メートル、尺貫法併用に賛成いたします。