1967-12-21 第57回国会 衆議院 農林水産委員会 第3号
その十六年の資料によりますと、貫数にいたしまして二十六万貫。それから金額にいたしまして、当時の金にいたしまして百万ちょっとでございます。
その十六年の資料によりますと、貫数にいたしまして二十六万貫。それから金額にいたしまして、当時の金にいたしまして百万ちょっとでございます。
ところが、今度生糸につきましてもいろいろ買い入れ数量をふやし、それから乾繭、繭につきましてもいろいろこの事業団が繭の買い手である製糸家と、それから売り手である養蚕家との間に立って、まあいわば繭価の干渉と申しますか、これ以上値は下では買わないようにという介入もいたす関係もありまして、繭そのものの受託数量は現在よりは減ってもいいだろう、そういう考え方に立ちまして、受託数量のほうは三分の一、現在貫数にしまして
実際は一貫目とか二貫目とか貫数があるし、みんな五人とか六人のものを集約して中に入れて、しかもその中にはやはり人手がなくてはいけないから、出したり、金を取ったり、たたんだり、包んだりして処理をやっている。単なる自分の家の店頭に置いて自分のものだけ入れて自分が取るというのではない。ここらが実に微妙なところだけれども、いま一回お答えください。
でございまするけれども、三十六年度は八万トン、三十七年度には十万トンに達するのではなかろうか、さようにいたしまして、先ほど冒頭に申し上げましたように、四十四年度におきましては二十一万トンという生産が見込まれるのではないか、また、これを御参考までに、かりにでございますが、かりに二十一万トンもブドウ糖が生産されるようになりましたならば、原料澱粉はどのくらい処理されるか、これはトン数にして二十四万七千トン、貫数
負担で仕事が遂行されておりますが、養蚕普及員の方は国庫の補助金を地方庁にやり、それが設置団体である養蚕組合連合会に交付される、交付された額だけでは養蚕普及員は設置されませんから、その穴埋めをどこからしているかというと、本来の姿でございますれば、養蚕農民からそれは賦課金として徴収すべき筋合いだと思いますが、それがなかなか困難だということで、実態は製糸家の方から、その不足分だけは受領している、それは出貫数
これは、貫数に換算いたしますと、この私どもで出しました一覧表にございますように、十七億三千三百九十六億九千貫、約十七億三千四百万貫となるわけでございます。前年の実収高に比較をいたしまして約四千万貫程度上回っておるわけでございます。
○昌谷説明員 全販連の関係での生産数量は、貫数にいたしまして、全販連系統の調整によりますものの総生産数量が三千万貫というふうに見込まれております。それに対しまして、全澱連の関係の調整計画の基礎になっております生産量は四千九百万貫というふうになっております。
の三大川を初め七水系五十有余の河川と南濃地方の沼沢地帯を含めると、琵琶湖とほとんど同じでありますが、その生産は河川の水系がいずれも中央山岳地帯に発しており、その流域の大部分は風化崩壊度の少い古生層を形成し、幾多の支川を有し、森林状態も比較的良好で、清流急湍、屈曲多く、アユ、マス、ウグイの生息に適し、特に上中流部にはアユの嗜好する珪藻及び藍藻の繁殖度が高い等の理由より、その生産は琵琶湖を上回り、漁獲貫数
千七百余万の貫数がある。これを制限いたしまして千四百万貫という目安を一応立てたわけでございます。そこで、そういうようなことにおいて補償を要求しようではないかというような意見を出し、そうして、先ほど申し上げましたように、数字をもって要求はいたしませんでしたけれども、損害に対しては補償をしてもらいたいということは、大会においても相談をいたし、またわれわれとしてもいたしたわけであります。
もし同じ貫数で繭を高く売ったならば、商品も高く売るわけですが、買うものが高くなるから、生活の向上にはなりません。生産高をふやして、その範囲内で給料をもらう、これでこそ生活向上になる。物価を高くせずして給料だけが値上りになる。
ニシン漁業についても大体そういうような考え方であればこそ、今まで底びき業者としては例のない育成措置をとって貫数を押えてきたのでございます。ただ国際的には、それは表に出すのがまずいから隠しはしますが、そうかといって野放しに底びきは自由勝手にやりなさいということは私の方ではさせないつもりでおります。
それに昨年は北海道におきまする鮭鱒の定置が非常に不成績でありまして、例年から見ますと大体五分の一くらい――的確な数字は持ち合せておりませんが、貫数にいたしまして大体百三十万貫程度、例年より約五分の一である。従いまして全部合せましても大体一億尾くらいではないかというふうに考えております。
○池田宇右衞門君 そうすると約四千人くらいの職工が要らなくなるというような、この使用貫数から言えば、結果になるが、それはどのくらい要るか、やってみなければ実際わからないが、今事務的処理の構想は一体どのくらい要りますか、百円札を印刷するのに要るという程度は。
併しながら、実際に地方の検査官なんというものは、私は栃木県ですが、どこの県でも恐らく内容が間違いなく六十キロあつたところで、絶対に十七貫五百以上の貫数でなければとらない、尤も計り方もいろいろありますけれども、いずれにいたしましても実際にはとらないのです。
それから大蔵大臣に重ねて申上げますが、二千七百万貫に対して貫数割が行つておる。そして一部はそれぞれの県の製糸業者に対してその半額に当るものが割当てられて、中央の前の原糸課税に反対しておる団体に出ているのです。この額は少額ではありますが、造船の利子補給と揆を一にするものである。このような予算が、三派修正によつて出たことを私は甚だ遺憾とするものであります。
その当時の産額を申し上げますと、これは昭和十四、十五、十六の三箇年の平均をとつたのでございますが、一箇年当りの生産額は、貫数にして二百二十一万六百四十貫、これが当時の内地に出荷しておつた農産物の量でございます。金額にいたしますと二百二十五万五千七百四十円となつております。
貫数にいたしまして約二万七千貫強であります。それから銀が二千三百六十四トンであります。貫数にいたしまして六十四万貫弱であります。合金が二十六トンであります。貫数にいたしまして七千貫弱であります。さらにダイヤモンドが十六万一千百八十五カラツトであります。さらに国会に大蔵省が報告をせざるところの解除になつた物件が他にあります。
それから時計のバンド一つと、タバコのクースが一つあつたというのですが、これを合せますと五千九百四十五グラム、さらにそのほかのもので二万四千八百五十八グラムのものが入つておつたようですが、これをひつくるめて、日本の貫数に直しますと、きわめて軽いものです。それで、当時お預けなさつたものと、軍事課を経て接収されたものと、大分幅があるのです。
○中野委員 お持ちになつたときの貫数——大体こつちは調べているのですが、受取つた人と預かつた人と、そこに大分食い違いがあるのです。それから、接収された、いわゆる供出されたときと、このときの形態がまるで違つておるから、あなたにおいでを願つて聞いておるのです。だから、あなたの場合は、ほかのことは全然頭に入れられずに、あなたがお持ちになつたときの目方と形をおつしやれば、それでいいわけなんです。
〔「君が持つて行つた貫数だけの予想を言えばいい」と呼ぶ者あり〕
それに関連して伺いますが、名古屋で接収されました金、白金、ダイヤモンド等は、あなたの方は接収受領書のあるものとしてカラツトを入れておりますが、名古屋で接収されましたときには、接収担当官は、そのカラツトあるいはその貫数については明記しておりません。単に箱だけですが、どういうところを根拠にしてこのカラツトの中に入れられましたか。