1998-03-11 第142回国会 衆議院 厚生委員会 第3号
ですから、総領十五になったときには、下に弟、妹、子供が四人いるわけでありますから、総領十五は貧乏盛りで一番大変だったのでありますが、末子が十五になりますと、上にお姉さん、お兄さん、四人いて働いていますから、末子十五で蔵が建つ、こういうことを言ったのですが、そのときには、一番下の子が十五のときには、親が三十五で産み納めですから五十歳、そうすると大体親はいなかった。
ですから、総領十五になったときには、下に弟、妹、子供が四人いるわけでありますから、総領十五は貧乏盛りで一番大変だったのでありますが、末子が十五になりますと、上にお姉さん、お兄さん、四人いて働いていますから、末子十五で蔵が建つ、こういうことを言ったのですが、そのときには、一番下の子が十五のときには、親が三十五で産み納めですから五十歳、そうすると大体親はいなかった。
そして、かつて惣領土五のときには貧乏盛りだと言っていたのですが、今や一番下の子が十五のとき、末子十五のときというと、大体二人ですから、お兄さんが高校三年か大学一年か浪人しているかどっちかなんです。そうすると、そのころに一番金がかかり出してくるのです。母親が大体四十三、父親と二・五ぐらい差があると父親が四十五、六、そのときが経済的厄年といって金がかかるのです。経済的厄年はそこから始まっている。