1975-02-28 第75回国会 衆議院 法務委員会 第8号
○横山委員 私はこのたび、質問をいたします前に、財団法人愛知自啓会という更生保護施設をずっと見て、話も聞いて、そして経営に当たっていらっしゃる方の御意見も伺ってきました。そしていま八南会や中京苑の状況も伺ってみたのですけれども、いまの状態で推移いたしますならば、確かに局長のおっしゃるように、これからどうもいまの法律なりいまのシステムではどこの更生保護会もやっていけないのではないか。
○横山委員 私はこのたび、質問をいたします前に、財団法人愛知自啓会という更生保護施設をずっと見て、話も聞いて、そして経営に当たっていらっしゃる方の御意見も伺ってきました。そしていま八南会や中京苑の状況も伺ってみたのですけれども、いまの状態で推移いたしますならば、確かに局長のおっしゃるように、これからどうもいまの法律なりいまのシステムではどこの更生保護会もやっていけないのではないか。
昭和三十七年十二月十日、東海災害コントロール・センター準備委員会というものをつくりまして、この準備委員会の構成は、名古屋大学医学部長の神田善吾、名古屋大学医学部附属病院長の青山進午、それから同じく分院長の橋本義雄、教授の高木健太郎、それから愛知県医師会長の服部銈三、愛知県外科医会長の棚橋貞雄、中部日本新聞社社長の与良ヱ、中部日本新聞社常務取締役の鈴木充、同じく取締役編集局長の織田稔、同編集局次長の宮岸栄次、さらに財団法人愛知県交通安全協会長