2021-04-09 第204回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第4号
東日本大震災につきまして、先ほど委員からも御指摘ございました貞観地震から約千年ということで、千年に一度程度の頻度で起きる大規模な地震、津波と言われておりますけれども、三陸地方では、おっしゃるとおり、明治、昭和の津波、また慶長の津波など、大きな津波に襲われております。また、全国的にも、東南海、南海、東海というような形で大きな津波に見舞われているところでございます。
東日本大震災につきまして、先ほど委員からも御指摘ございました貞観地震から約千年ということで、千年に一度程度の頻度で起きる大規模な地震、津波と言われておりますけれども、三陸地方では、おっしゃるとおり、明治、昭和の津波、また慶長の津波など、大きな津波に襲われております。また、全国的にも、東南海、南海、東海というような形で大きな津波に見舞われているところでございます。
普代村の村長さん、隣が八メーターだけれども、貞観津波があった歴史も踏まえて、うちは十五・五メーター、倍の防潮堤を造ろうと、造り始めました。村民の皆さんから、村長、何と無駄な公共事業をやっているんだ、業者からお金をもらったのか、いろいろ言われたそうです。防潮堤は完成しました。三・一一の大震災による大津波、八メーターを超えました。
岡村行信教授、貞観地震などの専門家ですが、二〇〇九年六月、保安院の作業部会で、福島第一原発などにも津波が到達する可能性を指摘をします。東電の社員は岡村教授を訪問、七月十七、七月二十八、八月十日の三回ですが、そのとき岡村教授は、もう調査じゃなくて対策を取ってくださいと、そのことを東電の社員に伝えます。
貞観地震の専門家が対策取れと言っているんですよ。 東電に改めてお聞きします。 二〇〇八年に工事を始めていれば間に合っていました。先送りしている間に、まさに十五メートルの津波が来ました。すさまじい原発事故を起こした予見可能性、回避可能性、十分あったんじゃないですか。
千三百年間読み継がれてきた帝王学の教科書「貞観政要」にある言葉です。 一つ目は、自分の顔を映す銅の鏡、二つ目は、歴史に学ぶ歴史の鏡、最後の三つ目は、部下の厳しい直言や諫言を受け入れる人の鏡です。この三つの鏡は、良い意思決定をする上で必要な心構えとして挙げられています。 もう一つの言葉は、私の地元香川県出身の大平元総理が使っていた楕円の哲学です。
次に、防災の教育面という点でちょっとお話をしたいんですけれども、有名な歴史学者の磯田道史さんが、五百年に一回ぐらい起きていて、ちょっと読ませていただきますが、仙台平野は約二千年前、約一千百年前、貞観津波、四百年前、慶長三陸津波、そして二〇一一年と、はっきりしているが、二千年間に四回もの大津波に襲われている、いずれも内陸四キロ前後まで浸水云々とあります。
日本政治に大きな影響を与えた中国唐時代の「貞観政要」に、国は人民をもととしとあります。改めて、国の根本である国民を大切にし、国民が豊かに栄えてこそ国の発展と繁栄があることを確認し合い、私の質問を終わります。(拍手) 〔内閣総理大臣安倍晋三君登壇〕
つまり、その昔、宮城県沖で貞観地震が起き、その九年後に関東南部の相模・武蔵地震、その九年後に南海地方の仁和地震と。これを参考にすると、二〇一一年の東日本大震災、その九年後のちょうど今年が首都直下地震でございます。また、その九年後には南海地震が起こる可能性が高いということでございます。
そこで、今回、東日本大震災を経験して、私はすごいと思ったのは、よく東日本大震災は貞観地震、貞観の津波と対比されます。 貞観の津波の歴史を調べてみると、その貞観の津波が起こる何年か前に新潟で地震がありました。今回は中越沖地震があった。全く同じです。その後に、貞観の津波の後に開聞岳が噴火しています。今回は鹿児島のちょっと南の口永良部島が噴火しているんです。朝鮮半島で地震がありました。
それで、よく東日本大震災と比較される貞観地震というのがあります。この貞観地震というのは八六九年に起こっていまして、今回の東日本大震災と非常に酷似しているんです。それはなぜかというと、この貞観地震が起こる前に実は中越地方で地震が起こっています。今回の東日本大震災が起こっている際も、実は中越地域で地震がありました。大きな地震が二回あったと思います。
八六九年の貞観大地震というものが東北に大きな災害をもたらしたと記録されています。私も土木会社に昔おりましたものですから、必ず土を動かすときはボーリングをして、その柱状図を作るんです。そうすると、どのぐらいに津波が来ているかどうか分かるはずなんです。これを、福島第一原発を造るとき、経済産業省も東京電力も意図的なのか見逃したのか分かりません。また来ると思います。
過去を振り返りますと、やはり今回の東日本、今回というか、月日がたってしまったわけですが、東日本震災の地震においても貞観地震があったという、データ的には当然、平安時代であったらそういった調査の結果みたいなものはないわけですけれども、しかし、経験は我々日本国民というかはしているわけでありますし、このところの地震で、大阪の北部地震であったりというようなものについても、過去、歴史をさかのぼると地震があって、
貞観地震のお話がありましたけれども、その貞観地震等についても、その規模が検証可能であれば、貞観地震と同規模の災害については過去に経験しているということで、原則どおり無過失責任の対象になるということで、さっきもお話が、城井さんの質問と大臣とのやりとりの中にもございましたけれども、現行の「異常に巨大な天災地変」については、昭和三十五年に政府の答弁があるわけで、関東大震災の三倍以上の大震災といった場合が該当
東日本大震災を検証した国の中央防災会議は二〇一一年九月に報告書を出しておられて、仙台平野に大きな被害をもたらした貞観地震、津波などを考慮した対策をとっていなかったことを「十分反省する必要がある」と指摘、地震、津波の想定は「できるだけ過去にさかのぼり、古文書などの分析や津波堆積物の調査を進めるべきだ」と提言したということが実際に記事としてあったんです。
東日本大震災を振り返りますと、貞観地震の例が引かれたりしますし、私も、震災後一週間目ぐらいに山田町に入りまして現地を見たら、それこそ神社は大体大丈夫だったというのが印象に残っているのと、それと、石碑があって、これより上に家を建てろよというような明治の時代の石碑だったと思うんですけれども、そういった石碑があって、そこから上のお宅は全然実際津波が来ていなかったというのを拝見してびっくりしたということがあります
○杉本委員 もう終わりますけれども、貞観の過去とかいうと千年以上さかのぼったりということで、ちょっと伝説になってしまうような、インディ・ジョーンズではないんですけれども、そういったところまでさかのぼって、ぜひ教訓として我々が生かせるように研究を進めていただきたいとお願いしまして、質疑を終わりたいと思います。 ありがとうございました。
大臣、手元に京都大学教授の藤井聡先生の地震の資料がありまして、三月十一日、二〇一一年、あの東日本大震災が起こって、その後の先生の論文からの資料なんですけれども、東日本側の海溝型の巨大地震、例えば東日本大震災は、貞観の地震、平安時代、八六九年の一千年後の地震だと言われておりまして、この貞観の地震の九年後には、マグニチュード七・四の相模・武蔵地震というのがありました。
三つ目が、今先生触れられておりますけれども、歴史は繰り返された、要するに災害は繰り返されたということ、貞観だったり、明治三陸だったり、そういったことをしっかりと教育、これからの教育というのは学校や教育委員会だけではなくて、社会が、町がしっかり取り組むことだというふうに私は思っております。
○大島(敦)委員 二〇一一年三月十一日の東日本大震災、ここの南三陸沖で大きな地震が起きると、貞観の地震があり、慶長年間、明治、昭和とあって、その前後には、首都直下型、あるいは東海、東南海、南海の地震が起きたと言われていて、私たちの国のリスクは高くなっております。そうすると、気象庁は地震予知が難しいと言うんですけれども、やはり地震予知について、私は国としてやるべきだと考えております。
また、保安院は東京電力に対して、貞観地震、八六九年に発生しておりますけれども、これについても最終報告に反映させるよう求めていたと承知しております。 こうした中、旧保安院は、試算について説明を受け、東京電力に早期に津波対策についての検討を行い、耐震バックチェック最終報告書を提出するよう求めていたところであります。
それで、東北大震災のときに貞観の地震ということが指摘をされました。今から千年以上昔の貞観の地震。その経緯を探ると、今の東北大震災と同じぐらいの津波、もっと大きい津波が来ていたのではないかという、観測というかデータも残っているようなことが発見されているんです。その貞観の地震のときにも、五年たって、貞観の大噴火という現象が起きたんだそうです。このとき、富士山も一部噴火しているようです。
冒頭も申し上げましたが、復旧復興はまだまだで、それについて我々陳情を受けて、それにどれだけ応えていくのかというのはすごく大事なことなんだと思いますが、終わっていることについて経験をきちんとまとめて、今後起こる可能性が非常に高いと、何か貞観津波の後には二十年以内に東南海トラフなんかも全部起こったんだそうでして、そういう意味では、こういう経験を、何と言ったらいいでしょうか、次の災害の、起こらないことが一番
是非、これからまた、この間ある方から教えていただいたんですが、貞観の津波のときには、二十年以内に東南海トラフもあの当時来たんだそうなんです。ないことを祈っています。ないことを祈っていますし、それから、宮城でいうと、慶長の津波の際には、岩沼という町が全滅したんだそうですけれど、彼の説明によると、そのときには逆に東南海トラフが起こっていて、それから来ていると。