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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-02-27 第96回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

そういうことで、宮田町は困りに困り果てまして、昭和五十六年六月に、ついに福岡地方裁判所第四民事部貝島炭砿更生計画に対する上申書をもって実は訴えたわけでございますが、中でも、更生会社土地処分を一時中止していただきたい、民間サイドの自由な土地利用に歯どめをかけてください、なぜならば、先ほど言ったような虫食い状態になって、とても町の再建計画はできません、そして計画的な再開発をするためには、更生会社

大橋敏雄

1982-02-27 第96回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

福川政府委員 御指摘貝島炭砿につきましては、五十一年の六月に更生計画認可決定以降、管財人を中心にいたしまして更生手続が進められております。いま御指摘のとおりに、土地売却が予定どおり進まないという事態がございまして、それで現在、鉱害復旧処理と並びまして、この露天掘り跡地処理ということが一番大きな問題に相なっておるわけでございます。  

福川伸次

1976-10-27 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

この前、当委員会貝島鉱害問題につきまして私どもの今後の処理考え方を御説明申し上げましてが、その後の状況といたしましては、五十一年度の貝島炭砿に係る紘害復旧工事につきまして、先般、同社につきまして年度内に無資力認定の見込みがほぼついたということ、それから同社管財人の、この問題に対する弾力的な対応と協力についての確約が得られたということでありますので、復旧着手のための手続を開始した次第でございます

島田春樹

1976-10-27 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

○大橋(敏)委員 それでは時間も来ましたので、この辺でやめたいと思いますが、この貝島炭砿閉山に伴ういろいろな問題は、地域にはもう深刻な状況で漂っております。全力を挙げて、この対策に乗り出してくださると思いますけれども、地元にいますわれわれの立場から、その実態を踏まえて、強く、この対策の推進を要望いたしたいと思います。  では終わります。

大橋敏雄

1976-10-27 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号

それでは、次は貝島炭砿関係で若干お尋ねをしてみたいと思います。  かつて石炭王国名門と言われた貝島炭砿歴史の裏ってきました石炭業界名門といわれた貝島炭砿閉山したわけです、この貝島炭砿歴史の裏で永年にわたって生み出されました鉱害のつめ跡は、想像以上に地域住民生活環境をむしばんでいるわけでございます。

大橋敏雄

1976-10-20 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号

一体貝島炭砿跡なんかは、あれだけのものをどうするかですよ。田川だってどうするかというのがあるのです。そんな状態ではできませんよ。そして、たとえば田川市なら田川市でコンセンサスが得られたとしても、一体、三分の一の補助金をどうするか、そういう問題だって簡単でないのですよ、あれだけの炭住があるから。

多賀谷真稔

1976-10-20 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号

それから近くは貝島炭砿跡地の問題があるということで、これはひとつ建設省としては、この炭住跡の問題をどういうように考えておられるのか。  と申し上げるのは、いままでの不良住宅改良程度では、どうも資金的の枠もございまして、自治体の能力もございますので、なかなか困難ではないかと思います。いままで、わりあいによく建設ができましたのは北九州の都市周辺地域ですね。

多賀谷真稔

1976-10-08 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

しかし、これを最初に適用を受けましたのが貝島炭砿で、この時期は率直に言いまして、萩原さんが会長であったかどうか記憶がないのですけれども、石炭協会というのは非常に冷たい、これは個別企業の問題とされた。しかし、その次には明治、杵島、高松炭鉱がその適用になって、いわゆる再建管理炭鉱といった。

多賀谷真稔

1976-10-06 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第2号

多賀谷委員 次に、貝島炭砿は最近は露天をやっておりまして、膨大な露天跡があるわけです。私はこのことを考えますと、どうも日本の炭鉱資本家は、立つ鳥跡を濁さずというけれども、やりっ放しにやって、そして倒産しましたから方法はありません。こういうやり方が許されるかと思うくらいの傷跡を残して倒産をしたわけです。その一つの最も大きいものが露天ですよ。露天の埋め戻しをやらないと、すでに水がたまっておるのです。

多賀谷真稔

1976-05-12 第77回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

○河本国務大臣 貝島炭砿が経営が行き詰まりまして、いま会社更生法適用裁判所申請をしておる。裁判所の方では、いろいろな資料を集めまして、そして、いろいろ対策を練っておるようでございます。その結論の方向が、どういうふうに持っていかれるのか、そこらあたりを、もう少し見きわめませんと、現時点では何とも私は申しかねると思います。

河本敏夫

1976-05-12 第77回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

実は貝島炭砿株式会社の件でありますが、この炭鉱昭和三十七年、炭労が政転闘争をいたしましたときに、炭量があって、まだ十分、操業できるけれども、とりあえず資金がなくて閉山のやむなきに至る炭鉱を何とか救いたい、こういうことで昭和三十八年に合理化法を改正いたしまして、いわば開発銀行から中期運転資金を出すことになったのであります。これが貝島炭砿が第一号でありまして以来十三年を経ております。

多賀谷真稔

1975-06-25 第75回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第8号

主として旧古河の鉱区でございまして、貝島炭砿が、露天掘りの山でございますけれども、現在、炭量の枯渇というような点がございまして、掘れる炭があるならば、できるだけ小竹団地造成前に、これは造成に邪魔になるようなことがあっては、また別問題でございますけれども、幸いにしましてまだ造成にかかっておりませんので、小竹団地造成前に掘れるなら掘らすべきではないかというような考え方に立ちまして、現在、古河貝島との

高木俊介

1967-05-31 第55回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第5号

とても——まだ将来起きるでしょうが、将来は別として、いまあの貝島炭砿一つ取り上げても、大臣、局長の御答弁のようにいくかどうか。私はさいぜんも申し上げておりますとおり、機関を持って調査しておるのではないのですが、あの一例を見ても、あなた方の御答弁に納得できないわけです。やがて五年後に、それ、ざま見たかというようなことは言おうと思っておりませんがね。もし自信があればお答え願いいた。  

阿部竹松

1961-03-24 第38回国会 衆議院 商工委員会 第17号

災害発生を見た大辻炭砿は、貝島炭砿株式会社より分離したものであり、年間二十万トン程度の出炭を見ており、能率も月産一人当たり十八トン以上の高能率を上げ、坑内の保安状況保安管理も良好な炭鉱であったのであります。事故の発生は、三月十六日午前一時半ごろ第二巻卸右半片コンプレッサー室(坑口より約九百三十メートルの地点)で火災が起こり、これを三月十五日乙方入坑鉱山労務者が発見したのであります。

中村重光

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